二十一世紀のカフェブーム

 カフェという店の定義がすごく曖昧で幅広いことは別の記事に書きましたが、スタバのようなコーヒースタンド系のカフェではなく、OLが脱サラではじめるような、お洒落で自由な空間としての「カフェ」のモードには、仕掛け人ともいうべき存在があります。

 それは、駒沢公園近くにある「バワリーキッチン」という店と、表参道にある「ロータスカフェ」。
 
この二つはどちらも、山本宇一氏が作った店です。

 山本氏は元々飲食の人ではなく、商業施設や都市計画の景観なんかをプランニングする、「空間デザイナー」と呼ばれる人です。
 
デザイナーというと聞こえはいいですが、設計するわけでも、絵を描くわけでもない。
 
今でも空間デザイナーとかスペースデザイナーという言い方はありますが、その多くは、デザインや設計などをちゃんと勉強した人がやっているのがほとんどです。
 
けれど、バブル時代には、デザインの専門技術は持たずにやっている人が結構いたらしい。
 山本氏も、デザインや設計の本格的な勉強をしてきた人ではありません。
 ある種うさんくさい職種で、バブル崩壊とともにほとんどの人が消えていったそうですが、そんな中で、本当に実力があって生き残れた一人が山本氏だそうです。

 山本氏が、色々なプロデュースをする中、自分自身で飲食店を作ってみようと思い、レストランで実際に働いて飲食店のノウハウを勉強し、そして1997年に独立開業したのがバワリーキッチンです。

 山本氏が自分の店を作る際に、大きなインスピレーションを与えた店の一つに「J-COOK」という裏原宿の店があります。
 開業は1987年。
繁華街からは外れた路地裏にひっそりと、奥まって隠れ家のように佇む店。
 ショウケースには手作りのケーキが並び、一見するとヨーロッパのカフェを思わせるよう。
 それでいて、壁にはジャズのレコードのジャケットやポスターなどが貼られ、メニューにはビールやウィスキー、カクテルがあり、ジャズバーのようでもある。
 かと思えば、料理は軽食ありカレーあり、本格的な肉魚料理に、なんとフルコースまである。

 一体この店は何屋なんだろう?
 カフェのようであり、バーのようであり、レストランのようでもある。
 それを決めるのは店ではなくお客さんで、使う人によって、いかようにもなる不思議な店。

 この店のマスターの中尾年秀氏という人は、西洋料理界では伝説的なシェフ・荒田勇作氏の元で修行し、ヨーロッパ諸国を渡り、ドイツの日本大使館の料理人を務めていたという、筋金入りの料理人です。

 日本に帰国した中尾氏は、最初フレンチレストランなどで働いていましたが、いざ独立して作ったのはフレンチレストランではなく、ヨーロッパ生活の中で見てきた街角の何気ないカフェのスタイルで、そこに自分の好きなジャズをかけるという店でした。
 自分が良いと思うものを、自分の思うままに表現した店です。

 1980年代には、コーヒーが飲めてお酒も飲めてしっかりした料理も出す「カフェバー」といった業態が一時期ブームになっていました。
 ですが、そうした店はカフェといいながらも、それこそ時代の最先端を行く「空間」を売りにした店で、客単価は高く、敷居が高い店ばかりでした。
 一方、昔ながらの喫茶店でそれなりの料理を出す店はいくらもありましたが、お洒落な店とは言い難い。

 そこに中尾さんのJ-COOK店は、スタイリッシュな店でありながら、気取らずカジュアルで、料理も楽しめ、コーヒー一杯だけでも寛げる、本来のカフェのあり方でした。

 この店に影響を受けたのが山本氏です。

 山本氏が開いたバワリーキッチンは、オープンカフェのようにカジュアルな佇まい。
 でも、既存にあるような、洗練されたヨーロッパ調ではなく、もっとくだけて、山本氏のセンスによって配置された調度品が絶妙の雰囲気を醸し出し、人によっては雑然として、まとまりがないように見えるかも知れないくらい。
 そして、カフェといっても「ここはご飯を食べるところ」と言わんばかりに厨房が全面に出ています。

 これらは全て、山本氏自身が良いと思ったものを、自分の納得のいく形に表現したものです。

 だから、料理も、洋食だとか、和食だとかにこだわらず、単に自分が「うまい」という物を出す。
 「パテドカンパーニュ」や「グリルチキンとゴルゴンゾーラ」といった西洋料理を出しつつ、「さんまの塩焼き」も出すような店です。

 山本氏は、バワリーキッチンを「東京の食堂」と呼んでいましたが、旧来の食堂だと、コーヒー一杯だけなんて使い方はしません。
 だから、レストランですか? と聞かれたら、そうとも言えるし、カフェですか? と聞かれたら、そうとも言える。
 
料理でお腹いっぱいになるのも良し。コーヒーだけでゆったりするのも良し。酒を飲みたければ飲めばいい。それは使う人が決めればいいこと。犬を連れて来たって良い。
 
そんな、今までにないスタイルのカフェ食堂は、いつしか地域の人気店となりました。

 その成功を受けて表参道に開いたのが「ロータス・カフェ」です。
 しかし、バワリーキッチンの成功事例を習うかと思いきや、むしろ真逆の外観。
 まず、店の看板が小さすぎてわからない上に、外から見て、飲食店であることすらわからない。
 
バワリーキッチンに比べると格段にハイセンスな店構えです。

 そんな謎めいた店ですが、知る人達の間で、口コミで広まればいい。
 理解出来る人だけが集まればいい。
 それだけ聞くと敷居の高そうな店ですが、名物料理は「塩こんぶチャーハン」。
 こうしたところが、これまでのカフェにはなかった、山本氏独特のセンスです。

 この店も瞬く間に話題の店となり、ここから表参道を震源地とした「カフェブーム」に火が付いたと言われています。

 「カフェごはん」が流行したのは、この二つの店の影響が大きいでしょう。
 それまでは、料理を出すならば、きちんとした料理じゃないと格好がつかないような空気がありました。
 ですが、「カフェ」の世界では、プロからすると素人料理のように見えても、そのオーナーの「個性」が出ているほうが、むしろお洒落にすら見えるのです。

 これまでにも、マスターの趣味を全面に出したカフェや喫茶店はありましたが、肩肘はらずに、「カフェは自由にやっていいもの」という認識を一般化して定着させたのが山本氏だと言えるかもしれません。

 それまで、「こだわりのコーヒー」だとか、「ジャズ」「パリいるような雰囲気」といった、明確なコンセプトが求められがちだったのを、ある意味「ゆるーく」、目に見えない感覚や、「オーナーのセンス」を売りにし、「それに共感した人が集まる場」としてのカフェが、このあたりから花開いていきました。


 


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