ハンバーグのルーツ

 洋食の定番、「ハンバーグ」のルーツは、意外とちゃんとわかっていません。

 そもそも、牛肉の屑肉とか、固い肉を食べやすくするために挽肉にして食べる、またそれを美味しくするために調味料や混ぜ物をする、といった料理は古代からあったので、誰が考案したとか、起源がどこかを特定することは難しいからです。

 日本ハンバーグ・ハンバーガー協会や、日本ハンバーグ協会のホームページでは、ハンバーグの歴史について、タルタルステーキが起源、という説が記載され、ウィキペディアでもその説が採用されていますが、明確な根拠はなく、俗説に近いレベルです。(2020年現在)
 多くのサイトで、ハンバーグのルーツとしてこの「タルタルステーキ説」を採用していますが 挽肉に混ぜ物を加えて焼いた料理なんてのは古代からあるのに、なぜこの調理法も形状も異なる料理を起源に結びつけるのか、全く理解に苦しみます。

 また、「卵を使っているのは日本独自」だとかよく言われますが、これも正しい情報ではなく、挽肉と卵、パン粉などを混ぜて焼いた料理も古くから世界中に存在し、日本オリジナルの料理ではありません。

●ハンバーグの名前の由来はドイツから

 ただ、「ハンバーグ」という名称の由来については、ある程度はっきりしています。
 ハンバーグという名前は、ドイツの都市ハンブルク(独:Hamburg)のことです。
 ドイツ最大の工業都市であるハンブルクでは、労働者を中心に安い挽肉を工夫してよく食べられていたことから、欧米では牛の挽肉を固めて焼いた料理を「ハンブルク風」と呼ぶようになったようです。

 ソーセージのことをフランクフルトやウィンナーと呼ばれれますが、ドイツ圏はとにかく挽肉料理が盛んな地域です。(フランクフルトもドイツの都市名、ウィンナーはオーストリアの首都ヴィエナの英語読みが語源)

 牛肉を挽肉にして、混ぜ物を入れて焼いた料理をドイツでは「フリカデラ」("frikadeller")や、「ハック・シュテーク」("Hack steak")などと言い、現在のドイツでも一般的に食べられ、ドイツ以外でもヨーロッパ各地で作られています。
 ドイツに隣接しているベルギーやフランス北部ではメジャーな料理で、フランスでは"fricadelle"と呼ばれ、ハンバーグのように大きな塊もあれば、小さなミートボールだったり、ソーセージ状だったりと様々なようです。
 ちないみに、明治二十三年生まれのフランス文学者・山本直文氏の『食味ノオト』には、若い頃の東京での洋食事情として「ハンバーガーと同じフランスのフリカデルは、フーカーデンとなまって言われていた」と書かれていて、今よりもむしろ昔の日本のほうが知られていた料理のようです。

 なお、日本ではハンバーグのことを"Hamburg"と綴り、「ハンバーガー」というとマクドナルドのようなファーストフードのハンバーガーを連想すると思いますが、"Humburg"だと都市名のハンブルクそのものになってしまうので、アメリカでは通常"Hamburger"と綴ります。
 そして、
アメリカのウィキペディアでは、"Hamburger"の項で、その起源を"frikadeller"としています

 日本のwikipediaをはじめ、ハンバーグの起源としてよく言われるタルタルステーキは、挽肉を使うといっても韓国のユッケに近い料理で、肉を生で食べるスタイルの、固有の料理です。
 
挽肉に混ぜ物をして焼いた料理はヨーロッパ中に古くから存在するのに、成り立ちも食べ方も違うタルタルステーキを、しかもわざわざそれを焼くことでハンバーグに変化したとするのは、かなり無理のあるこじつけだと思います

●アメリカのハンバーグステーキ

 アメリカでハンバーグが作られるようになったのは、ドイツ人がアメリカに移民をはじめてからだと言われています。

 アメリカに住むドイツ人が、ドイツの郷土料理であるフリカデレを作って食べていたわけですが、それを"Hamburger"(ハンバーグ)という名前にして出すようになった経緯ははっきりせず、資料として確認できるのは十九世紀後半からで、ニューヨークのアウグスト・エルミッシュというドイツ人の店には、1873年のメニューにハンバーグがあったそうです。

 そして、1876年のフィラデルフィア博覧会にドイツの料理店が出店し、そこで当時は珍しかったハンバーグが人気となり、それからアメリカに広く知られるようになったようです。

 また、アメリカには「ソールズベリー・ステーキ」というハンバーグに似た料理がありますが、これは、十九世紀中頃にニューヨークにいたジェームズ・ソールズベリーという医者の名前に由来します。

 当時、牛挽肉をちゃんと焼かないで食べて食中毒になる人がいたため、医者であるソールズベリーは、牛挽肉はしっかり火を通して食べることを推奨し、当時の医学書や料理書に「ソールズベリー・ステーキ」という名前で、牛挽肉を固めてしっかり焼いた料理を掲載したことから生まれたものです。

 ハンバーグとの違いは明確ではありませんでしたが、1914年に第一次世界大戦が始まると、アメリカにとって敵国であるドイツの都市名に由来する"Hamburger"という名称を避けるようになり、代わりにソールズベリーステーキの名前が用いられて広まったようです。

●フランス料理のハンバーグと日本 

 ハンバーグが日本に入って来た経緯となると、ネットでは、アメリカから日本に入って来たという説がよく書かれていますが、これはアメリカでハンバーガーが盛んに食べられていることから推測されたもので、正しいかどうかわかりません。

 むしろ、どちらかというと明治時代に流入してきたフランス料理の影響でしょう。
 
何故フランス料理かというと、日本が開国して西洋料理が流入してきた十九世紀の頃は、ヨーロッパで一番美味しい料理といえばフランス料理と相場が決まっていました。
 
そのため、横浜や神戸といった開港地では、外国人ホテルのレストランは基本的にフランス式で、明治政府も公式の応接料理をフランス式に定め、日本人コックは、洋食を学ぶならフランス料理を身に付けることが基本でした。

 もっとも、日本に居住している外国人の数はイギリス人が一番多かったので、実態としては多分にイギリス風ではありましたが、少なくとも戦前の日本のレストランは、レベルの高低はともかく「フランス式」が主流で、日本の洋食の多くはフランス料理が原点になっています。

 こうしたことから、日本のハンバーグの原点となる料理も、当時の古典フランス料理の中にあるのではないか? と考えるのが自然です。

 そこで、戦前の日本人コックがバイブルとしていた昔のフランスの料理書を開くと、エスコフィエの"Le guide culinaire"には"Beefsteak à la hambourgeoise"(ハンブルク風ビーフステーキ)、モンタニエの"Larousse gastronomique"には"Bifteck à la hambourgeoise"(ハンブルク風ビフテック)といった料理があり、フランス料理にも、牛挽肉を固めて焼いた料理が「ハンブルク風」と呼ばれてちゃんと存在していました。

 作り方はどちらも、牛挽肉に、玉ねぎ・卵・塩・コショウ・ナツメグを混ぜて固めて焼く、となっています。

 また、"Le guide culinaire"には、"Fricadelle"(フリカデル)の記載もあり、作り方は細かく刻んだ挽肉に、牛乳をひたしたパン粉、卵、炒めたタマネギ、塩こしょうにナツメグを合わせて丸めて、オーブンで焼く、とあります。
 これはもはや、日本でおなじみの基本のハンバーグです。

 ネットでは「卵のようなつなぎを入れるのは日本独自」という説がしばしば見られますが、これらの料理書からわかるように、挽肉にタマネギや卵を入れたり、パン粉を入れて焼く、というのはフランスでも古くから用いられていた手法であり、日本独自のものではありません。

 また、日本では昔からハンバーグにナツメグを入れるのが定番なことからも、こうした古典フランス料理の影響である可能性が高いことが伺えます。の
 アメリカで挽肉を焼いた料理をハンバーグと呼ぶようになったのも、フランス料理での呼び方の影響があるかも知れませんね。

●日本独自と誤解される理由

 ただ、こうしたフランス料理の影響が忘れられ、日本独自の料理と誤解されたり、アメリカからの影響だと思われるようになったことには理由があります。

 アメリカではハンバーガーをはじめ、レストランでもハンバーグステーキという料理は今日でも見られますが、現在のフランスでは、"Beefsteak à la hambourgeoise"も"bifteck"という料理も、どちらも廃れてしまった料理なのです。

 また、今日の日本のハンバーグにはパン粉を入れるのが一般的ですが、現在のフランスやアメリカの挽肉料理ではパン粉はあまり使われないようです。

 こうした現代の感覚から、ハンバーグはまずアメリカから日本に持ち込まれ、そこにパン粉や卵を入れるというアレンジが日本独自で生み出された、と思われてしまうのだと思います。

 ですが、『月刊BOX』(ダイヤモンド社)1986年11月号に掲載された馬場久シェフのインタビューによると、戦前の横浜ホテルニューグランドでは、初代総料理長のサリー・ワイル氏のメニューに、数種のハンブルグ風ステーキがあり、レシピにはパン粉が入っていたそうです。(馬場久シェフは、ワイル氏の最愛の弟子と言われた人物)

 先にも書いたように、エスコフィエの料理書には、牛挽肉にタマネギ、卵、パン粉を入れて焼き上げた料理が存在し、ワイル氏はエスコフィエの料理を得意としていたと言われているので、おかしな話ではありません。

 このように、戦前の日本のフレンチ・レストランにはすでに、外国人コックの手による、パン粉の入ったハンバーグがあったわけです。
 
当時のニューグランドは外国人向けのホテルだったので、日本人向けにアレンジしたわけではなく、材料の原価を下げるためにパン粉を入れていたそうです。

 また、戦前に横浜の外国人ホテルで修行し、第二代目の「天皇の料理番」となった斎藤文次郎氏は、著書『フライパン一代』の中で、「ホテルなど一流どころではハンバーグにパン粉は入れない」と書いています。

 これらのことから、ハンバーグにパン粉を入れるか入れないかは、西洋式とか日本式と言うより、料理人の考え方次第だったということではないでしょうか。

 しかしながら、ルーツは西洋にあったとしても、今日これだけハンバーグを進化させた国は、日本をおいて他にないでしょう。
 昔はともかく、今日の日本のハンバーグは、ほとんど日本独自のスタイルと言えます。

 フランスでは廃れたハンバーグが、日本では今でも人気がある理由は、味そのものよりも、日本がもともと肉食の国ではなかったからではないか?と、個人的には思います。

 というのも、欧米や中国など、昔から肉料理をよく食べる国では、「ごちそう」的な肉料理となると、牛に限らず羊でも鳥でも塊の状態の料理で、挽肉料理は、家庭的というか、安っぽい料理という印象があるようです。

 アメリカでも、大衆食としてのハンバーガーやハンバーグステーキは存在しますが、高級レストランのメニューにハンバーガーやハンバーグ・ステーキはほとんどなく、レストランメニューの挽肉料理としては、ハンバーグステーキより、ミートローフのほうがメジャーかも知れません。
 先ほど書いたベルギーやフランスのフリカデラも、レストランのメニューというよりは、家庭や大衆食堂の料理です。

 しかし日本では、長らく肉料理そのものが高価な料理というイメージがあり、挽肉料理であっても、美味しく作ればごちそうとして認識されたので、ハンバーグもずっと進化し続けたのではないかと思います。

 日本でも、今日においては、フレンチレストランのような高級店のメニューからは姿を消していますが、洋食レストランでは定番メニューとして、この先もハンバーグが廃れることはないでしょう。
 


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