ハヤシライス

 洋食の定番料理の一つ、ハヤシライス。
 どんな料理で、どんな起源があるの?と言われると、実はなかなかよくわからない料理です。

 料理のイメージとしては、「辛くないカレー」だとか、「薄切り肉を使った味の薄いビーフシチュー」とか、色々な言われることがありますが、どんな料理かを簡単に言うと、牛肉をブラウンソースで煮込み、それをライスにかけて食べる料理です。

 起源がはっきりしないのは、牛肉の煮込みはともかく、そうしたものをライスにかけて食べるという食べ方自体がそもそも西洋にはなく、日本で生まれたスタイルだからで、日本で誰が最初に作ったかについても、諸説あって定かではありません。

 有名な説としては、「丸善」創業者の早矢仕有的氏(1837〜1901)が考案した説、"Hashed beef with Rice"が訛って「ハヤシライス」になった説、洋食の老舗「上野精養軒」にいた林というコックがまかないで作った説、などがあります。

 早矢仕氏が考案した説については、明確に証明できる記録などがあるわけではなく、話が出来過ぎているなど批判もありますが、肉と野菜のごった煮を「ハヤシライス」と称して作った、という話で、現在よく見られるハヤシライスそのものというより、その原型となる料理の考案者で、ネーミングの元祖であるというもので、丸善の社史にも記載され、丸善の名物としてハヤシライスの缶詰も販売されています。

 ハッシュドビーフ説については、元となるヨーロッパのハッシュドビーフという料理自体が、現在日本でイメージされているハッシュドビーフとイコールではないので、その点が微妙なところです。

 "Hashed beef"は英語なので、イギリスのハッシュドビーフがどういう料理かというと、ダイス状にこま切りにした牛肉と、玉ねぎ、ジャガイモなどを香辛料と一緒に炒めた料理です。
 コーンビーフを使用したスタイルもありますが、あれは新鮮な牛肉の使用が制限された第二次世界大戦中に生まれ、それ以降に定着したスタイルのようです。

 ただ、"Hashed"という単語は、フランス語の"hacher"という単語に由来し、意味は「こま切れにする」という意味で、この料理のルーツはフランス料理にあります。

 "Hacher"の過去分詞"haché"は、フランス料理の世界ではよく使われる単語で、みじん切りにすることを「アシェする」「アッセする」などと言います。
 例えば、よく料理の仕上げにふりかけるパセリのみじん切りなどは、パセリ・アッシェと呼んでいます。
 ただ、肉のアッシェとなると、粉々になるまで刻むのではなく、ダイス(サイコロ)状態にすることを意味します。

 モンタニエの「ラルース料理百科事典」では、"hachis de bœuf"(アッシュ・ド・ブフ)という料理は、牛肉をダイス状にカットし、野菜と一緒に炒め、ブラウンソースまたはホワイトソースで煮込み、それにパン粉をふってグラチネ(グラタン)にした料理とあります。

 また、古典フランス料理の集大成であるエスコフィエの料理書"Le guide culinaire"を見ても、hachis de bœufのところには、牛肉をサイコロ状に刻んで、ドミグラスソースでつないでパン粉をふってオーブンで焼く、といった料理が掲載されています。

 日本でも、明治から昭和にかけて日本の西洋料理界を牽引した荒田勇作氏が書いた『荒田西洋料理』では、やはり最後にパン粉をかけてオーブンで焼く、といった料理だったり、ソースを使用せず、サイコロ状に切った牛肉と野菜を味付しながら炒めて盛り付けた料理など、何種類ものスタイルの料理が掲載されています。

 現在の日本人の感覚からすると、「ハッシュドビーフとハヤシライスのソースの違いがわからない」という人もいるくらいですから、ハッシュドビーフがそのままハヤシライスになった、と考えるのは自然に感じますが、こうした古い料理書を見ていると、ハッシュドビーフという料理は、そもそも細かく切った牛肉を使った料理全般のことなので、現在のハヤシライスと一緒くたに考えるべきものではないようです。

 一方、ハヤシライスの元祖を名乗る「上野精養軒」の本店である「築地精養軒」で料理長を務めた鈴本敏雄氏が大正九年に発行した料理書、『仏蘭西料理献立書及調理法解説』に書かれている"hachis de bœuf à la Français"(ハッシュドビーフ・フランス風)の作り方は、薄切りにした牛肉とタマネギをバターで炒めて、ブランソースで煮込んだ料理とあり、これは現在のハッシュドビーフにかなり近い料理です。

 確か、昔の上野精養軒のホームページに書かれていたハヤシライスの解説では、ハヤシライスのような料理自体はそれまでにも存在していたが、ドミグラスソースを使って仕上げるスタイルを流行らせた元祖が精養軒、というような記載がされていたと思いますが、精養軒のハッシュドビーフのスタイルは、かなり古い時代から、現在日本で見られるようなハッシュドビーフに近いものであったため、精養軒では、それがドミグラススタイルのハヤシライスへとアレンジされたのかも知れません。
 もともとは色々なスタイルのハッシュドビーフがあったところ、ブラウンソースで煮込んでライスと提供したスタイルが一番お客さんに受けたため、そのスタイルで定着した、というのは、十分考えられることです。

 いずれにしろ、明確な発祥や起源はわからないものの、当時外国からもたらされた西洋料理が、日本人向けにアレンジされていった結果生まれた料理という、日本式洋食の典型的な料理の一つであることは間違いありません。

 なお、wikipediaには、「牛肉をドミグラスソースで煮込んだもの」と断定的に書かれていますが、実際には本物のドミグラスソースで煮込んで作られているのは、かなり上質なレベルのハヤシライスで、ドミグラスソースというよりはソース・エスパニョールレベルのブラウンソースで作られたものや、トマトソースをウスターソースで色付けしたものなど、多種多様でしょう。

 また、「辛くないカレー」というのも必ずしも的外れではない表現で、そもそも日本で主流の欧風スタイルのカレーは、イギリスのシチューがベースであり、濃厚に仕上げたビーフカレーからカレー粉を除いてトマトを加えたら、それはほとんどビーフシチューと変わらず、それをさらに濃縮させると、ドミグラスソースのようなブラウンソースになるので、そのあたりの境目は、作り方次第と言えるでしょう。

 手を込んで作られたものも、簡易に作られたものも、どちらも「ハヤシライス」という洋食のスタイルの一つだと思うので、ハヤシライスというものが何かと聞かれたら、牛肉と野菜を茶色に煮込んでご飯にかけて食べる料理という、ざっくりとした料理ということになるでしょう。
 

 


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