土用の丑の日はうなぎ「土用の丑の日にはうなぎを食べる」というのが日本の伝統になっていますが、あれは何故でしょうか?
これには諸説あって正確な由来はわからないそうですが、江戸時代の学者・平賀源内が、鰻屋に頼まれて作った宣伝コピー、という説が特に有名です。
●土用の丑の日とは?
夏の土用の間で日の十二支が丑である日のこと。暦を見ればわかりますが、七月の二十五日あたりです。
●平賀源内のエピソード
平賀源内(1728〜1780)とは、江戸時代の有名な蘭学者で、エレキテルを修理して紹介したりしたことで有名です。
とにかく多彩な人で、学問や発明以外にも、浄瑠璃の台本を書いたり、油絵まで書いてしまうという、いわゆる「天才」で、江戸では知らない人はいない、という有名人だったようです。(→wik「平賀源内」)
もともと鰻の蒲焼は、味が濃くてこってりしているので、夏にはなかなか売れませんでした。
そもそも、鰻の産卵期は冬なので、多くの魚と同じく、産卵前の脂を蓄えた秋〜冬が一番美味しい「旬」なので、旬から外れた夏の鰻はいまひとつ人気がなかったようです。そこで鰻屋が、夏でも鰻が売れるようにするために、知恵者で有名な平賀源内にアイディアを授かりに行ったというわけです。
鰻屋から相談を受けた平賀源内は、「丑の日だから、『う』のつくものを食べると縁起が良い」という語路合せを考えます。
また、鰻は古来より精をつけるのに良い食べ物として知られていたことも利用し、「精のつく鰻は夏を乗り切るのに最適」というセールスポイントを加え、そして、鰻屋の店の前に「本日土用丑の日」と書いた、誰の目にもつく、とても大きな看板を置かせたのでした。
街を行く江戸っ子達は、人目をひく大きな看板を見て、「本日土用丑の日…?なんでぇ、こりゃあ?」「今日って何かあったかい?」などと、いぶかしがって店の前で足を止めます。
そこですかさず鰻屋の店主がすり寄って、平賀源内から授かった宣伝文句を用いて、次々と客を引き込み、かくして鰻屋は大繁盛となったそうです。
そして、それを見た他の鰻屋も、みんなそれを真似をするようになり、以来、土用の丑の日には鰻を食べる、というのがいつしか風習として根付いたそうです。
たったそれだけのこと?と思われるかもしれませんが、この「土用丑の日」というのは、今でいうところの「キャッチコピー」だったわけです。
平賀源内は、この他にも色々な宣伝文句の依頼を受けていたそうで、「コピーライターの元祖」とも言われています。
宣伝力に差がいかに商売に直結するかは言うまでもありませんが、今日の日本でも「鰻で精をつけて夏を乗り切る」というイメージが定着していることからも、平賀源内が考えたのかどうかはともかく、相当優れたコピーだったと言えます。
そんなわけで、この「土用の丑の日」の印象が強すぎるせいか、鰻の旬を夏だと思っている方は結構多いようです。でも、鰻の旬は秋〜冬です。味としては、冬の方が脂がのっていて美味しいと思います。
ただ、今となっては、鰻は夏の風物詩になっているので、夏に鰻を食べるのは情趣的に良いもんだな〜、と感じます。「初ガツオ」と同じように、江戸っ子にとっての、「趣の旬」ってやつでヤンスね!