和風パスタのパイオニア

 
 日本の定番スパゲッティに中には、「たらこスパゲッティ」「納豆スパゲッティ」のような、明らかにイタリアになさそうな「和風スパゲッティ」があります。

 こうした日本独自の和風スパゲッティの多くを生み出した、いわば和風パスタというジャンルの開拓者的なお店があります

 それは、東京・渋谷に本店を構えるパスタの専門店「壁の穴」です。

 「壁の穴」は、1953年に東京の田村町で開業したパスタの専門店で、初代CIA東京支局長・P.C.ブルームの家で執事をしていた成松孝安氏が開業した店です。(当時の名前は「Hole in the wall」)

 ブルーム邸では、政財界や学会の重鎮を集めた「火曜会」という会合が開かれていて、成松氏はそこの食事係だった外国人コックから料理を学び、その後、ブルーム氏の援助によって開業したのがこの店でした。(1963年に渋谷に移転して「壁の穴」となる)

 当時の日本のスパゲッティ料理といえば、フランス料理をベースとする洋食のスパゲッティか、アメリカ進駐軍の影響で作られたスパゲッティが中心でした。

 フランス料理でのスパゲッティの位置づけは、肉や魚料理の付け合わせ料理としての扱いが主だったので、ほとんどの店が、事前にまとめて茹でておき、注文が入ったらフライパンで炒めて温め直して出す、というようなレベルのものでした。

 また、アメリカ進駐軍の影響で日本に定着したスパゲッティ料理の代表といえば、何と言っても「ナポリタン」でしょう。
 本来のナポリタンはトマトソースで作るところ、アメリカ軍が大量に持ち込んだトマトケチャップを活用したほうが手間もコストも手軽だったので、戦後の日本では「スパゲッティ・ナポリタン」がスパゲッティの代表的な料理となりました。

 一方、外国人コックからスパゲッティ料理を教わった成松氏は、本場イタリアのような茹で立てのアルデンテの美味しさを知っていたので、自分の店では茹で立てのスパゲッティを出すことにこだわるなど、当時の日本のスパゲッティ料理とは一線を画す料理を出しました。

 そもそも、その頃の日本には、スパゲッティの専門店はもちろん、本格的なイタリア料理自体がほとんど皆無でした。
 明治維新以降、多くの西洋人が日本にやってきましたが、その多くはイギリス系・アメリカ系で、次にフランス、ドイツが続き、イタリア人は非常に少なかったので、イタリア料理自体がかなりマイナーだったからです。

 成松氏は、それまでの日本にはない本格的なスパゲッティ料理を出しましたが、「壁の穴」の何よりの特徴は、お客さんの要望を取り入れながら一緒にメニュー開発をしたことです。
 お客さん自身が、あれこれを食材を持ち込んでは、それを使って成松氏が料理し、そうしたお客さんのことを「店外重役」と呼んで、お客さんとともに試行錯誤しながら、いくつもの新しメニューが生まれたそうです。

 「たらこスパゲッティ」はまさにその一つで、当時常連客だったNHK交響楽団のホルン奏者が持ち込んだキャビアでスパゲッティを作ったのをきっかけに、毎度キャビアではお金がかかりすぎるので、代用品として明太子を使って工夫し、現在の「たらこスパゲッティ」になったそうです。

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 たらこスパゲッティ(調理:管理者)

 「若者のアイドル」と呼ばれるスパゲッティは、某芸能事務所の若手タレントのために作られたスパゲッティで、人気が出ることを祈願し、ソーセージやベーコン、ステーキ、茸など、若者に人気の食材を全部入れて作ったスパゲッティで、楽器メーカーの社長とスタッフのアイデアで生まれた料理だそうです。今では壁の穴以外のメニューでは見かけませんが、ひと時代前は、街場のレストランのメニューでも見かけたものです。

 壁の穴は、そうした新メニューのパイオニアだっただけでなく、そうしたスパゲッティ専門店そのものの「はしり」と言える存在でした。

 それまでの日本でのスパゲッティ料理の位置づけは、ホテルや街のレストランのメニューの一部に過ぎませんでしたが、「壁の穴」の成功によって、この店をモデルとしたスパゲッティの専門店が生まれ、日本にスパゲッティ文化が広がりました。

 1970年代頃より、フランスやイタリアで修行をしてきたコックが日本に帰国して本格的なフランス料理店・イタリア料理店を開き、1980年頃のグルメブームに伴って巻き起こった「イタめしブーム」によって、日本に本格的なイタリア式のパスタ料理が知られるまでは、日本でスパゲッティ料理といえば、ナポリタンや、こうした「壁の穴」で出されているようなスパゲッティが、スタンダードなスパゲッティ料理でした。

 また、イタリア式のパスタが知られるようになってからも、「壁の穴」はスパゲッティ専門店の代表的な存在で、スーパーに「壁の中」ブランドのミートソースやボンゴレの缶詰が並び、当時売られていたパスタソースの中では、味・人気ともにトップクラスだったのではないかと思います。

 東京以外でも、神戸なら「Ryu-Ryu」、京都なら「セカンドハウス」など、日本的スタイルのスパゲッティ専門店の老舗がありますが(ともに創業は1977年)、こうした店が登場できた背景には、「壁の穴」が日本に独自のスパゲッティ文化を切り拓いたからこそ、ではないかと思います。

 ちょっとパスタ通になると、つい本場イタリア式のスタイルにかぶれがちですが、そんな気取りは置いといて、純粋に美味しいスパゲッティを追い求めると、今ではマイナーになってしまった日本的なスパゲッティ料理の中に、新しい美味しさの発見があるかもしれません。

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ベーコンとなすのスパゲッティ(調理:管理者)

   


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