男子厨房に入らず??

 「男は、炊事に手を出したり口を挟むべきではない。あれは、女の仕事だ。」

 ふた時代ほど昔には、こういった考えの人が結構いました。
 そうした考えの親に育てられた人は、今でもそうした価値観を持っているかもしれません。

 しかし、実はこれ、本来の言葉の由来からすると間違った風習なのです。
 でも、元々の意味を知らずに、「台所のことは男がやるものではない」「男が炊事なんてやるのはみっともない」という考え方だけが、ひとり歩きして広まってしまったものです。

 ではなぜ、このような風習になったのか?
 意外に知られていないと思うので、その由来からご紹介します。

●「君子、庖厨を遠ざくる也」

 「男子厨房に入らず」の由来は、中国の『孟子』にある、「君子、庖厨を遠ざくる也」から来ています。
 これをもう少し詳しく説明すると、『孟子』には、王(君主)の道を説くところで、

 「君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉、是以君子遠庖廚也」

 とあり、これをわかりやすく意訳すると、

「人情のある君主であれば、たとえ家畜であっても、生きているのを見ると、それを殺すのは忍びない気持ちになります。ましてや、その声まで聞いてしまうと、食べるのも忍びなくなってしまいます。しかし、そんなことでは国を治めることはできないので、君主たるものは、そのような気持ちにならないように、調理をするために動物を殺している厨房には近づかないほうが良いのです」

という意味です。

 この節の前の部分には、食肉として引かれている牛が抵抗しているのを君主が見て、「そんなに牛が嫌がっているのなら殺すのをやめなさい」と発言するという前段があり、それに対して臣下が、「国民が食べていくために動物を屠殺することは仕方のないことです」と言って、君主を諌めた話なのです。

 つまり、君主が職務を全うするための助言だったわけです。

 今日の家庭で、生きた牛や鳥を捌いたりすることはまずないので、実感がわかないかもしれませんが、大昔は、厨房で生きた牛や鳥から調理するのが普通だったので、こうした考えが生まれたのでした。

 見なければいいという、少し偽善的な感じもありますが、それはそれとして、決して炊事場のことを蔑んでいたわけではないのです。

●日本人の曲解

 しかし、日本に伝わった時は、どこでどう解釈を間違えたか、表面的な部分だけが伝わって定着してしまったようです。 

 いわゆる「日本男子たるもの」の元は、「武士たるもの」です。
 武士の道、すなわち「武士道」は、儒教の影響を多分に受けて形成されていて、儒教といえば孔子・孟子がその思想の大元なので、その影響は確実にあったでしょう。

 しかし、日本での「男子厨房に入るべからず」という言葉のニュアンスは、動物への憐れみという意味ではなく、「みっともない」的な意味で使うことが多かったのではないでしょうか。

 これはおそらく、日本の武士の価値観の中にあった、男尊女卑の視点が、どこかで混ざってしまったのでしょう。

 封建時代の社会では、戦いによって権力を勝ち取っていたので、戦士である男が社会の実権を持つのは、世界的にもよくある流れです。
どこの国でも、力で領土を拡大していく武士(戦士)の時代になっていくと、力の弱い女性の身分は男性より低く扱われ、男性と同等の権利を得るまでに長い年月を要しています。

 そこで、武士がやるべきではない、という扱いになった炊事を女性が担当した時点で、炊事=女の仕事=身分の低い者の仕事、という解釈になってしまったのでしょう。

 また、特に日本では仏教思想が広まり、明治になるまで肉食を忌避していたくらいなので、明治に入ってからも、食肉を屠殺する仕事や、食肉をさばく調理人は、「残酷な職業」と見なされ、「高貴な地位の人間はすべきでない」という偏見があり、明治期あたりからは、その影響も混ざったのではないかと思います。

 第二次世界大戦前の日本では、こうした価値観が根強かったので、料理の世界においても、料理人やそれに関係する人々は、どちらかというと蔑まれている立場でした。
 「料理人になる」ということは、まっとうな人の道から外れる行為と思われることもあったようです。

 かつて日本の料理界が閉鎖的であった要因には、自分達から閉じこもったのではなく、社会からそうされてしまったという背景もあったのではないかと思います。

 日本で最も伝統あるホテル『帝国ホテル』の記録で、創業時にどういった経営陣がいてスタッフに誰が配されたかなどは詳細に残されているのに対して、厨房関係についてはほとんど記録がなく、初代の料理長の名前すら記録されていなかったのは、そうした価値観が背景にあったのかも知れません。

●料理好きの天皇陛下

 中国から伝わった儒教の考え方は置いといて、古来の日本人にとっての炊事に対する価値観はどうだったのでしょう。

 日本の古来の伝承の中には、大宜都比売神(オゲツヒメ)という食べ物の神様がいて、スサノオノミコトに殺されてしまったことから、男性が祭ると機嫌を損ねてしまうので、女性が祭らなければならなくなり、そのため食事を作る厨房に男は入らないほうがいい、という話が一部の地域にあるようです。

 しかし、炊事場の象徴である竈(かまど)の神様は、奥津日子神(オキツヒコ)・奥津比売命(オキツヒメ)・軻遇突智(カグツチ、ヒノカグツチ)という、「竈三柱神」と呼ばれる神様で、女性でなければ祭ってはいけないということは全くありません。

 それに、現在でも続いている正月の風習「お節料理」に象徴されるように、正月は女性が仕事をお休みする期間で、その間の炊事場を含む家事を守るのは男性の役割でした。 

 こうした民間伝承は地域によって違いもあり、どういった考え方が一般的だったのかを一律には言えませんが、少なくとも、日本全体で厨房が完全に男子禁制という原則はなかったようです。

 わかりやすい例として、昔の日本の支配者と言えば、天皇陛下ですが、なんと平安時代には、料理好きの天皇陛下がおられたそうです。 

 平安時代に在位した、第五十八代天皇の光考天皇(830〜887)は、大変な料理好きだったので、天皇に即位してからも自分で炊事を行い、その煙で部屋が真っ黒になっていたため、「黒戸の宮」と呼ばれていたほどだったそうです。

 光考天皇とえば、百人一首の「君がため 春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪は降りつつ」という有名な句を詠んだ人なので、名前をご存知の方も多いことでしょう。

 日本の神話に基づく風習や常識において厨房が男子禁制なら、日本神道の象徴であり、教養も豊かな天皇陛下が厨房に立つわけがありません。

 天皇陛下が料理好きだったということは、日本の古来の価値観では、男が炊事をすることが決してみっともないことでも何でもなかったことを示しています。

 また、庖丁の名人であった公卿の藤原山蔭に命じて饗応饗膳の作法や料理法を体系化させ、それは「四條流庖丁道」と呼ばれ、今も日本料理の流派として受け継がれています。

 公卿は貴族の中でも上位の存在ですから、光考天皇一人だけが特異な存在であったのではなく、かつては、身分の高い貴族たちも自ら庖丁を持って料理をしていたのです。

 つまり、「日本男子」として伝統的な価値観を口にするのなら、むしろ胸をはって炊事をして良いと思います。

 それに、食肉を扱う調理人などを「残酷」といって避けるのは、「偽善」以外の何ものでもありません。
 本心から動物を屠殺することを残酷だと思って、肉類を一切食べないのならわかりますが、自分自身は肉料理をレストランでも自宅でも食べるくせに、捌く部分だけを見てどうのこうのいうのは、ただの偽善でしょう。

 そもそも、男尊女卑や、職業差別の考え自体が間違っているのですから、 こうした、正しい歴史すら知らずに日本人らしさとか男らしさを口にして料理をすることを避ける輩がいたら、「男として教養が足りないよ!」と言ってやりましょう(笑)

 


 →雑学indexへ