チェーン店とのれん分けの違い

 最近の自称グルメな人の間では、個人店の方が人気があり、チェーン店は低評価される傾向があります。
 ただ、昔から、同じ看板で店を増やすことには「のれん分け」という言葉がありましたが、チェーンとは違うのでしょうか?

 飲食店が同じ看板で複数店舗を出した時、何をもってチェーン店なのか、のれん分けなのか、その違いはあまりはっきりしていません。
 また、同じ経営者で同じ運営手法でも、チェーン店と思わせないために看板を変えることもあり、実態は様々です。

 ウィキペディアでは「経営学では同一資本で11店舗以上を…」という説明が書かれていたり、グルメブロガーの間では料理がセントラルキッチン化されているのがチェーン店だと判断されたり、色々な基準で選別されていています。

 おおざっぱにいうと、弟子に同じ屋号を使うことを認めて店を増やすのがのれん分け。
 統一された作業工程(主にメニュー)をベースに、それを仕組みにしてパッケージ化し、複数店展開しているのがチェーン店です。

 セントラルキッチンは、調理のブレをなくすための手法の一つにしか過ぎません。

 ちょっと曖昧に思われたかも知れませんが、それは、最近ではチェーン店とのれん分けの境目がなくなってきているからです。
 何故境目がなくなってきてるかは、おいおい説明していきます。

 wikipediaに書かれている「同一資本」という点については、経営手法の視点では重要ですが、顧客側からしたら重要ではないでしょう。
 チェーン店でも、フランチャイズによる展開もありますから。

 のれん分けとチェーン店の違いを理解するには、そもそも飲食の「のれん分け」の背景を知ってからのほうがわかりやすいです。

 和食でも中華でも、とある個人店が二号店を出す、ということは昔からありました。
 同じ経営者が二号店を出す場合はただの二号店ですが、弟子が独立して店を出す場合「のれん分け」になります。

 二号店を出すとよく、「儲かっているから」とか「事業拡大」と言われがちですが、実際、儲け目的で二号店を出すというよりも、、一番の理由は「弟子のため」です。

 個人店の場合、たいてい親方が板前のトップであり、オーナーです。
 個人店に定年はないので、普通は体が動く限り親方です。

 そうなると、弟子はいつまで経っても親方になれません。
 仮に定年があったとして、例えば親方が四十歳で店を出したとして、弟子が三十歳だとすると、親方が六十歳になった時、その弟子は五十歳になってしまいます。

 そもそも、年齢・勤務年数と共に給料を上げいくことを考えた場合、店そのものは長年やっていれば売上が上がるわけではないので、弟子の給料を青天井に上げ続けるわけにもいきません。

 しかしそれでは弟子に夢がないし、向上心も生まれません。
 だから、弟子がある程度腕を身に付け、それなりの歳になったら、その店のためにも、その弟子のためにも、親方として独立できるようにしなければならなくなります。
 
特に繁盛店の二番手ともなれば、その人気を支えるだけの技術を備えているわけですから、次のステップとして「親方」にしてやりたいと思うのが当然です。

 そして、独り立ちできるだけのモノを備えたら、その店の看板の名前を借りて独立するわけです。
 同じ看板を使うのは、全く新しい店だと信用されないので、今の店の名声と、お客さんからの信頼を利用できるためです。

 これが「のれん分け」です。

 場合によっては、親方や同一のオーナーが出資して新店を出し、弟子を新店の親方にすることもありますが、その場合は単なる二号店で、のれん分けとは言いません。
 ただ、オーナーが親方だったり店主というよりも、単なる出資者的な存在であった場合(土地の所有者というような場合)、限りなくのれん分けに近い形もあります。

 ただ、これらの場合はチェーン店になるのでしょうか?

 その答えは、「やり方による」となります。
 二店くらいではチェーンもへったくれもないと言われそうですが、最初から多店舗展開を意識し、そういう仕組みで二号店を出した場合、それはチェーン店の範疇に入ると言えなくもないと思います。
 だから「やり方による」になるのです。

 そしてここに、最初に書いた、最近はチェーン店とのれんわけの境目がなくなってきている、ということの理由に入っていきます。

 飲食店でチェーンというとセントラルキッチンが連想されるのは、セントラルキッチンを生み出したことが、飲食でのチェーンビジネスを成立させたからでしょう。

 そのはじまりは、アメリカの軍隊に原点があると言われています。
 食料を一か所に貯蔵し、それを配送して食事をする仕組みです。

 それを飲食店に応用してビジネスとして初めて確立したのがフレッド・ハーヴィという人です。
 十九世紀の後半、アメリカに鉄道が整備されていった際に、駅前に飲食店を開いて成功させた人ですが、料理の品質のブレをなくすために、一か所でまとめて仕込みし、それを鉄道でそれぞれの駅のレストランに運び、店ではそれを仕上げて提供する、という仕組みをこの人が考えて作り上げました。

 これがチェーンレストランの展開手法の原点になりました。

 そして、冷凍技術と交通機関の発達とともに、その手法とミックスして生まれたのがセントラルキッチンです。

 この時点で、勘の良い人はすでに気付いたかも知れませんが、現在は食品加工と流通が発達し過ぎて、自社でセントラルキッチンを持たなくともチェーン店を作ることが出来るのです。
 
実際、世間でチェーン店と認識されている店でも、セントラルキッチンを持っていない会社は少なくありません。
 ファミレスでも老舗中の老舗「デニーズ」もセントラルキッチンは持っていません。
 自社工場がなくとも、質の良い業務用食材が手に入れられるからです。

 料理というものは、かつては長い時間の修行が必要でした。
 そこには精神論もあったかも知れませんが、石炭で火を焚き、温度計や火力調整弁などなく、自分の五感で判断してフライヤーやオーブンで料理をしていた時代は、そう簡単に調理技術を習得できるものではありませんでした。

 しかし現代では、自動で温度制御してくれるフライヤーがあり、煮るのも焼くのも全自動でやってくれるスチームコンベクションオーブンがあり、そこに製品化された出汁を仕入れることが出来れば、簡単に料理を作ることが出来ます。
 「チェーン店」というと、セントラルキッチンで作られた冷凍食材を店でチンしたり鉄板で焼いて出しているだけのようにイメージされがちですが、現在では調理機器が進化し過ぎているため、店舗での最終調理ですら、かなりのことまで単純化できるのです。

 後必要になるのは、仕入れのルートや仕事の段取り、メニュー構成や原価のバランスといったマネジメント的なもので、そうしたものはパッケージ化できるので、ひとたび確立すれば、どんどん多店舗展開できます。

 こうなるともはや、チェーン店と言えるのではないでしょうか。
 確かにセントラルキッチンはなく、店舗でスタッフが実際に調理をしているように見えますが、実際にやっていることは、確立された仕組みと手順にのっとって作業しているに過ぎず、これはもうチェーン手法そのものです。

 そもそも、今の冷凍技術はかなり優秀なので、セントラルキッチンで作られたからレベルが低い、ということはありません。

 確かに食材や料理によっては、冷凍すると味が大きく劣化するものや、作りたてでないと出ない風味といったものは多々あります。
 しかし、店で仕込めば必ず美味しいわけではなく、結局はどの部分で加工品を使い、どの部分を店で手をかけるかの落としどころだと思います。

 某グルメサイトなんかを見ていると、オープン当初は評価されていた店が、実は大手が経営している店だと判明した瞬間に評価が下がったり、内情を知る関係者からすると、既製品や冷凍品を要所要所で使っているのを知っているけれど、個人店だというだけで手作りの味だと絶賛されていたりするので、すごく滑稽に見えます(笑)

 それもあってか、最近では運営母体が判明するまでは断定的な評価をしない人が多いですよね(笑)
 どこかの有名店で修業した職人の店と判明したら、評価が急上昇。
 どこぞの法人が展開しているとわかると、評価が保留されたり下がったり。

 …ってか、自分の舌で判断できないくせに、食通気取ってんじゃねえよと言いたい(笑)

 また、チェーン店と思われないために、わざわざ看板を変えたり、商品の盛り付けを変えて、個人店のような工夫をしている店もあります。
 ラーメン屋なんかでよくある手法ですが、そこはラーメンマニアも目ざとく、店に納品されている製麺所や食材に貼ってあるタグなんかを見て、どこ系列かを探ったりしている人も少なくありません。

 でも、そんな調べてまでしてどうこう考えるより、純粋に食べて美味けりゃそれでいいじゃん、って思うんですけどね。

 今の時代は、チェーン店から、個人店だからといって決めつけるのは、ナンセンスだと思います。

 

 
 
 


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