洋食の起源はイギリス式フランス料理

 日本に西洋料理が本格的に入って来たのは、明治維新の開国後からです。
 江戸時代は鎖国していたので、食に限らず、海外の文化が入ってこなかったからです。

 そして、開国してから西洋文化が一気に入ってくるわけですが、その時に一番強い影響を受けたのは、イギリスでした。そして今でも、日本の洋食には、イギリスの影響が色濃く残っています。

 何故イギリスなのか…?
 それを、歴史的経緯から、説明しましょう。

●開国と洋食のはじまり

 1853年(嘉永六年)、ペリーの黒船が来航し、アメリカをはじめとする欧米各国と条約を結び、箱館・新潟・横浜・神戸・長崎の5つが開港地となります。

 そうした開港地には、外国人居留地や各国の公使館が設けられ、そこから急速に日本に欧米の文化が流入します。
 
外国人居留地といえば、完全に治外法権で、日本人はおいそれと立ち入れない、日本の中の「外国」でした。

 そこに立ち並ぶホテルやレストランというのは、全て経営者は外国人で、もちろんお客も外国人。当時の日本人にはまだ洋食が作れないので、料理長も当然外国人。
 そのため、そうしたところで提供されていた食事は、100%西洋食だったと言えます。

 とはいえ、当時の日本には西洋食材がほとんどありませんでした。
 といって、輸入品を使ったり専用で栽培すると高価になり過ぎてしまうから、日本にある食材でアレンジせざるを得なかった部分は少なくありませんでした。

 いずれにせよ、これが、日本の中で提供された洋食のはじまりです。

 そうした居留地のホテルや外国人館では、多くの日本人が下働きをしていました。
 厨房にも多くの日本人がいて、そこで外人コックから、外人客のための、本物の西洋料理を学んでいきました。
 
こうして、洋食が作れる日本人が、少しずつ生まれていきます。

●日本人と洋食

 日本は長らく鎖国して世界と断絶していたので、ほとんどの日本人は、洋食の味も、食べ方もわかりませんでした。
 しかし、これから西欧列国の仲間入りをしようとしているのに、そんなことでは欧米人にバカにされてしまいます。

 だから、日本人も、特に上流階級や知識人と呼ばれる人々は、洋服を着て、西洋の社交ダンスを踊り、西洋料理を嗜む努力をしました。
 欧米人と接する可能性の高い海軍では、士官は西洋料理店で食事することが義務付けられていたほどだったそうです。

 中には、「鹿鳴館」に象徴されるように、猿真似と揶揄されることもありましたが、そんな日本人のための洋食屋が生まれ、やがて外国人コックの下で料理を学んだ日本人コックが独立して、自分の店を持つようにもなっていきます。

●強かったイギリス

 ひとくちに「西洋」といっても、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなど、様々な国があり、歴史も文化も、当然食も、国によって異なりますが、開国時の日本が一番大きな影響を受けたのは、イギリスでした。
 それは、当時イギリスが一番強かったからと、日本に居住している外国人の数は、圧倒的にイギリス人が多かったからです。

 そして、皇室はイギリス王室をお手本に西洋のマナーを学び、海軍はイギリス海軍をお手本に近代兵術を学びました。
 
そんなわけで、食文化においても、イギリスの影響を強く受けたわけです。

 もっとも、西洋でも一番美味しい料理はフランス料理、と相場が決まっていました。
 だから、国賓を接待する時は、どこの国が相手だろうとも、フランス料理が基本。それが、世界のスタンダードでした。

 そのため、当時の日本政府や上流階級が求めていたものも、洋食を志すコックが目指していたものも、当然フランス料理でした。
 居留地の外人ホテルでも、メインダイニングは基本的にフレンチスタイルで、多くのホテルがフランス料理のコックを雇っていました。

 しかしそれでも、イギリス人が一番多かったわけですから、どうしても料理はイギリス風になります。つまり、「イギリス式フランス料理」という表現になるでしょう。

 また、日本にいる外国人が、常に高級料理ばかり食べているわけではありません。
 当然ながら、大衆的な料理や、家庭的な料理もあったでしょう。そうなると、やはり一番人数の多かった、イギリス人のためのイギリス料理を作る機会が多かっただろうことは、想像に難くありません。

 辻調理師専門学校創立者の辻静雄も、著書『フランス料理の学び方』の中で、日本にフランス料理が入ってきた初期の時代について、「どちらかといえばイギリス風の料理が多かったようです。なぜかというと、そのころイギリスの国力がフランスよりも強かったからです」と書いています。

 言葉も、英語が中心でした。それは、その頃からもう、世界の公用語が英語になりつつあったからです。だから、明治時代の料理書や洋食店のメニューなどを見ても、料理や食材名は、英語が多い。

 ホテルや高級レストランの晩餐会のようなメニューでは、フランス語で綴ってあったりするのですが、カタカナで書かれたメニューなんかは、ほとんど英語読みのカタカナ書きです。

 牛肉は「ビーフ」、鶏肉は「チキン」。フランス語なら、仔牛は「ヴォー」、成牛なら「ブッフ」、鶏なら「ヴォライユ」とか「プーレ」と言うはずですが、ほとんどそうしたものは見ません。

 洋食では定番の、「ビーフシチュー」や「ローストビーフ」といった呼び方も、英語です。
 そもそも「シチュー」という名前の料理はイギリス料理で、もともとフランスになく、むしろイギリスから逆輸入されて、「アイリッシュ・シチュー」というフランス料理が生まれたくらいです。「ロースト」は、フランス語なら「ロティ」です。

 料理人の会話なども、英語読みが多かったのではないかと思います。
 戦前から活躍しているコックのことを書いた、『西洋料理人物語』(中村雄昂/築地書館)や『ホテル料理長列伝』(岩崎信也/柴田書店)などでも、会話に出てくる料理名などは、ほとんど英語です。

 それに、戦前は料理長のことを、みんな「チーフ」と呼んでいました。
 今なら「シェフ」のほうがメジャーですが、当時は、英語読みの「チーフ」のほうがメジャーだったのです。

 これらは、当時それだけ日本の西洋料理界でもイギリス色が強かったことの表れではないでしょうか。

●洋食の中のイギリス料理

 カレーなども、明らかにイギリスの影響です。
 当時、イギリスがインドを支配していたので、インドのスパイスがイギリスにもたらされ、世界ではじめてカレー粉を作ったのはイギリスのC&B社です。日本のS&Bは、このC&Bの真似をしたわけです。
 
そのカレー粉を使ってシチューにしたイギリス料理が、日本のカレーの原点です。

 今でも洋食の定番といえば、ビーフシチューやステーキ、カレー、エビフライ、カツレツ、コロッケなどが頭に浮かぶと思いますが、これらのことはまさに、イギリスの影響の結果と言えるでしょう。

 「ステーキ」という料理の発祥はスコットランドなので、イギリス人と、イギリス系の移民が多いアメリカ人好みの料理です。

 フランス人も、牛をよく食べますが、牛を食べるなら「仔牛」を好み、シンプルに焼く場合はむしろ羊や鴨のほうが好きで、それもステーキのような「グリル」ではなく、「ロースト」(ロティ)が好きです。

 フランス料理では、油で揚げる料理はマイナーなので、エビフライやカツレツは、天ぷらの応用として日本で発明されたとよく言われます。

 しかし、イギリスは「揚げ物」が大好きな国だったので、実はその影響があったのではないかと思います。
 
フィッシュ&チップスなどは、現代でもイギリス料理の定番だし、じゃがいものコロッケは、イギリスの十九世紀の料理本にも出てきます。

 つまり、イギリス人が多用する揚げ物の調理法が、天ぷらに慣れ親しんでいる日本人にとっては馴染みやすく、大量調理にも適していたので、日本の洋食として多用・定着したのではないかと思います。

●テーブルマナーに残るイギリス色

 かつて日本のテーブルマナーは、皇室がお手本にした以上、イギリス式がスタンダードでした。今でも、宮中ではイギリス式だそうです。

 しかし、イギリス式とフランス式とでは、部分によっては真逆になっているくらい違いがあります。

 その最たる例が、「フォークの背に乗せて食べる」という食べ方でしょう。
 これは、イギリス式の食べ方で、日本でも年配の人が、洋食をそうやって食べていたりするのは、その名残でしょう。
 そのため、「ライスをフォークの背に乗せる」という食べ方が発生したわけで、これはよく日本特有の変な食べ方だと言われますが、そもそも欧米では白米をほとんど食べないので、洋食と一緒に白米を食べる日本で、ライスをフォークで食べようとした結果がそうなってしまったのは、仕方がないことかも知れません
  


 


 

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