洋食に関する従来の定説について

このサイトでは、洋食の歴史や料理のルーツなどを
あれこれ書いていますが、どちらかというと、
「異端」扱いされてる内容ではないかと思います。

例えば「じゃがいものコロッケ」は、
西洋のコロッケを日本人がアレンジして作った洋食、
というのが定説なようですが、
このサイトでは「じゃがいものコロッケ」自体を
イギリスまたはフランス料理としています。

また、「コロッケの唄」を根拠に、
大正時代の日本にはコロッケが大衆化していた、
というネット上の定説を真っ向から否定したり、
ナポリタンのルーツをフランス料理としたり、
ハンバーグのルーツをフランス料理としたり、
ネットでよく見かける説とは異なる内容が多くあります。

なので、このサイトを見ると、
個人的な推測を好き勝手に書いているサイトだと
思われる可能性が高いと思います。

しかし、僕からすると、「真相」はともかく、
ネット上で流布しているの定説の方が「異端」で、
このサイトの方が、よっぽど「正統」だと思っています。

というのも、従来の洋食の研究は、
どちらかというと現代から遡って、
より古い事例を見つけてそれを論拠にする、
というような論理展開の構造が多い気がします。

この場合、往々にして、
現代人の感覚にとらわれたまま判断したり、
明治○○年の『○○』という本に○○という記載があった、
などという「点」的な事例の発見だけをもって、
論拠としがちなように思います。
 
例えば、コロッケの起源を調べようとすると、
「じゃがいもは安い・じゃがいものコロッケは大衆食」
という現代人の感性にとらわれたまま調べるから、

・北海道でコロッケの生産が増大
・大正時代にコロッケの唄が流行

という「点」的な事例だけで、
イコール大正時代にはイモのコロッケが大衆化していた、
と安直に結論づける、という思考パターンです。

飽食の時代と言われる現代人の感覚からすると、
安い惣菜の代表ともいえる「イモのコロッケ」が
フランス料理と言われても違和感があるだろうし、
「大正ロマン」という言葉のイメージからも、
大正時代には洋食が大衆食になり、
その代表的存在がイモの
コロッケだった、
と言われれば、しっくりくる気持ちはわかります。 

しかし、コロッケの唄が歌われたという
帝劇や浅草オペラの流行というもの自体が、
日本全国において、どれだけの規模だったのか?
そもそも、当時の日本全体の状況、
テレビやラジオなんてものがないのはもちろん、
国民全体の生活水準、封建時代的な格差社会や、
年間に何万人も栄養失調で死亡していた食環境、
『哀工女史』『あゝ野麦峠』のような労働環境、
インフラすらまともに整備されていなかった
地方農村の状況などを考慮しているのでしょうか?
それとも、地方や労働者は庶民に含まれないのか?
であれば、何をもって「大衆化」なのか??

そうした、日本の「歴史」そのものを把握せず、
しかも、「東京」という、日本全体から見れば、
ほんの一つかみ、唯一の大都市での事例だけを見て、
あたかもテレビドラマが日本中でヒットしたのと
同じような感覚でコロッケの唄を扱っているように感じます。

僕は、洋食の様々なルーツについて調べたというより、
古代から西洋料理そのものの歴史を積み上げ、
それが日本に流入・発展した歴史的経緯を調べ、
日本の西洋料理界の成り立ちをまとめていたところ、
そこから派生して、様々な洋食の料理のルーツを
独立項目にしたものです。

その結果として、従来の定説とは異なる見解が、
おのずと出てきたわけです。
想像や主観的な仮説からはじめた調査ではなく、
歴史を積み上げた結果、自然的に出てきた説なので、
そういう意味で「正統」と言いたいわけです。

例えば、よく洋食の起源説の出典として出てくる、
小菅桂子氏の『にっぽん洋食物語』などは、
洋食史の本格的な研究がされていなかった当時としては、
すごくよく調べられたと思いますし、
読み物としては非常に面白い本ではありますが、
資料的価値となると、かなりあやしいと思います。

また、最近も『ニッポン定番メニュー事始め』
という薀蓄本を出てましたが、
かなり微妙な部分が散見されます。
こういうライターさんって、専門家でないからこそ、
自由な発想が出来るのは良いのですが、
そもそも料理の基礎知識に欠けていたり、
何より、個人的な「思い入れ」や先入観から、
どうしても脱却できていない気がします。

この手の薀蓄本って、客観的な調査というより、
自分の「思い」や「疑問」を立証するために調べ、
悪く言えば「自分が気に入った情報だけを集める」
というような傾向に陥りがちです。
まあ、そもそもそれが執筆動機になっているから、
仕方ないと言えばそれなのですが…

まあ、薀蓄本なんて、学術本ではないので、
読んで面白ければそれで良いのでしょうけど、
こうした偏った観点でまとめられた本や情報が
「出典」となってネットなどで拡散するのは、
非常に微妙だと思うわけです。

もっとも、僕の書いた記事についても、
歴史的視点を取り入れた方がいいという
ご指導的なメールを頂いたこともありましたが、
それはむしろ僕の方が言いたいことで、
このサイトでは、あてにならない薀蓄本などは
ほとんど参考にせず、日本史をベースにしつつ、
西洋料理の歴史を積み上げているつもりです。
そこに、俗にいう「大正ロマン」のような、
イメージ的な感覚を「日本の歴史」とか言われても、
それはいかがなものかと思います…。

まあ、僕の記事にもやや誇張があり、
明治・大正時代の貧富の差をやたらと強調したり、
洋食は高級料理だったという論調が強いですが、
これは、あくまで表現上の手法として、
やや意図的にそうしているものです。

なぜなら、明治や大正、昭和初期の日本は、
まだまだ発展途上の、激しい格差社会で、
大多数の国民は、貧しく質素な暮らしをしていました。
それなのに、一部の富裕層だけが謳歌した
大正ロマンやハイカラな生活だけをとり出して、
「大正時代の日本は華やかだった」
「大正時代の日本人は気軽に洋食を食べていた」
なんて書かれると、ものすごい違和感を感じるのです。

戦前の婦人雑誌に掲載されているレシピを見て、
洋食が家庭料理になっていたと判断してる人もいますが、
戦前の日本で婦人雑誌を買う主婦なんて、
今で言えば、青山あたりに住むセレブみたいなものですよ。
家庭は家庭には違いありませんが、一般庶民ではない。
大正時代に、ケチャップやウスターソースを使って
料理をする主婦を「一般庶民」扱いするのは、
高島屋の地下でフォアグラやブルーチーズを買う主婦を
一般庶民と呼ぶようなものです。

そうした、本当の歴史的実態とは異なる、
ステレオタイプ的なイメージを覆したいがために、
戦前の格差社会を強調しているわけです。

まあ、なんでその部分にこだわるのか?
と言われれば、その答えはシンプルで、
「食のありがたみ」がわかるからであり、
それがこのサイトのコンセプトでもあるからです。

グルメ薀蓄は、それが増えていくと、
どちらかというと贅沢指向になりがちで、
僕自身も、そういう時期がありました。

でも、歴史をきちんと調べたことで、
逆に、色々な食べものについて、
ありがたみを感じるようになりました。

じゃがいものコロッケ一つとっても、
昔は富裕層じゃなきゃ食べられなかったんだな、
とか思うと、満足した気持ちで食べられるようになり、
うわついた贅沢指向がなくなりました。

まあ、これは僕の個人的な気持ちの部分ですが、
たかが洋食の薀蓄といえども、
ある意味、生活の役に立つものではないかと。

たかだ薀蓄、されど薀蓄。

日々の暮らしが、より楽しくなるものに
つながれば…と思います。

 


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