たまたま目に付いたグルメ評論家を評価する

 2026年現在、今さらいうまでもなく、インターネットの普及とSNSの普及で、食べ歩きを発信する人が無数に増えました。
 僕が東京に出たばかりの頃はまだ食べログなどなく、個人のホームページで発信してる人がちらほらいるくらいで、高級レストランとなれば「ジバラン」が当時は有名で、個人では石井AQ!という音楽プロデューサーの方が相当な数をアップされていたので、それらが数少ない情報源でした。

 その後、食べログなどの発展もあり、個人でひたすら食べ歩きを投稿して有名になり、Yahooニュースであがってくるくらいそれなりの発言力・影響力を持つ方も増えましたが、レストラン業界の人間としては、そうした批評家たちにいつも指摘ばかりされているので、たまにはそうした個人の批評家を評価してみたいと思います。

 なお、ここで挙げた人物を選んだ理由や基準は無く、僕がたまたま目に付いて批評内容が印象に残った人が対象です笑

 まず、色々見ていきた中で、これはいいな、と思ったのが「タケマシュラン」という方です。この方は超高級店含めて尋常じゃない数に行かれていて、招待されないと行けないような店もいかれているので、いったいどういう人なんだろうと思ったりするのですが、とにかくご自身のスタンスが明確。自分はこういう店が好きだ、こういうのは好きじゃない、と、主観は主観としてはっきり言い切った上でのコメントの数々。結構な毒も吐かれてますが、批判というよりは、自分に合うか合わないかの視点が軸。
 こういうのは本当に参考になります。そもそも、好みや飲食店に求めるものなんて人によって違うので、その人がどういう価値観・感性でそう評価しているのかのレ
ビューになってるので、読んでいて、これは僕の好みにも合いそうだとか、この店は違うかも、といった想像がしやすいからです。あたかも自分が世の中の基準かのように旨いと褒めたり、自分の味覚が絶対者のような前提で否定する人を見かけますが、ただ味が濃いだと薄いだの、旨い不味いといわれても、そもそもの基準がわからないことには参考になりません。

 あと、価格帯についても言及が多いのも非常に役立ちます。タケマシュラン氏の経済力からしたら、多少の金額差なんて関係ないように思いますが、意外とコスパ感覚まで意識して書いているので、自分のような庶民には事前情報として大変役立ちます。
 食べログなんかで、長々延々レビューを書いてけど、具体的にどんな味で、いくらだったかの情報が一切ないレビュアーも少なくありません。口コミというのは、その店の情報を知りたくて読んでるのに、味や価格といった情報は書かず、自分語りばかりされても、何の役にも立ちません。酷いものになると、店とは全く関係ない個人的な想い出話とか綴ってるのもあったりします。そんなものチラシの裏にでも書いてろと言いたくなります。

 そしてタケマシュラン氏の一番すごいと思うところは、世間で注目されておらず、予約も簡単に取れ、行ってみたら他の客はゼロ、みたいな店にも足を運び、良いと思えば絶賛したりするところです。
 いつの世も、評論家の役割として最も価値があり、その批評家の技量が試されるのって、「原石の発掘」だと思うんですよね。世間では無名の新人だったり、実力があるのに気付かれてない隠れた存在に気づき、それを世に知らしめる。そういう情報こそ評論家を「さすが」と思える瞬間であり、もっとも 有益な情報だと思います。タケマシュラン氏のすごいと思うところは、まだ注目されてないマイナーな店を見つけて絶賛していたり、この店はきっとミシュランを取るとか、そういう予言的なことをやっていることです。

 でも、評論家にとってはこれが一番難しく、外すと恥をかくので、やろうと思ってもなかなかやれない。
 一方、飲食店の悪評となると、別に酷評した店がミシュランをとっても、「いや、自分が行った時の料理・サービスはあの記事の通り酷かった。その事実は変わらない」といえばそれまでだし、仮にレベルの高い店だったとしても、自分はあの程度では満足できない、もっと味覚レベルが高い、といったスタンスを取れますし、いずれにしろプライドは守れますからね。
 でも、褒める場合は難しく、うかつに褒めると、「あの程度の店で満足してるのか」と思われる可能性がありますからね。自分が行った時は美味しかった、といったところで、このケースだと少し分が悪い。なので、よっぽど間違いないと思わない限り、褒めるって難しいのです。まして、タケマシュラン氏のように、「この店は近いうちにミシュランで星を取る」といった予測まで書くとなるとさらに難易度は高い。評論家として知名度が上がれば上がるほど守りに入りがちなのに、タケマシュラン氏は、自分が美味いと思う物は美味い、と言い切る。簡単に見えてすごいと思います。

 お店と仲良くなって提灯記事を書いていたことが暴露されて一時期話題になった、「うどんが主食」氏、あれはもう問題外ですね。当人は否定し、「友達の店は書きません」と宣言したそうですが、そもそも「友達」の基準が不明。その事件で相当数の記事を削除していたが、あなたには学生時代のクラスメイトや部活仲間に、そんなにたくさんの飲食店経営者がいたのか。でなければ、その友人とはどういうつながりでできたのか。察するに、客として行って、自分が食べログヘビーユーザーであることを明かして、店主の懐に入りこんでお喋りするようになったら、それはもうお友達なのかも知れません笑

 まあ、ニュースの件の真偽はともかくとしても、食べログで同氏のレビューには、必ず冒頭に「お店に行ったら「うどんが主食の口コミを見て来た」とお伝えください。 ※特にサービスはありませんが優しくしてくれます。」とある。ぐるなびかよ笑
 これもぐるなびでもそうですが、ぐるなびに「
予約時に「ぐるなびを見た」とお伝えするとスムーズです」と書かれていますが、あれってお店と話をしてそうなってるんじゃなくて、ぐるなびが勝手に書いてるだけなんですよね。これにどんな意味があるかというと、お店に「ぐるなびを見て来る日とがいるのか」と店に認知させ、ぐるなびと契約する店を増やすことが狙いなんですよね。

 うどん氏は、口コミ情報を伝えるためにやってるんじゃなくて、自分の名前を飲食店に広めて、飲食店から特別扱いされたいのが目的なのは明らか。この下心が見え透いていて、飲食業界の人間としては非常に気持ち悪い。もちろん、本当に店主とお友達で、うどん氏のことを伝えたら店主が何かしら計らってくれるというのならわかりますが、友達は記事にしないと宣言したはず。じゃあこれは一体なんなんだ??
 確かにお店側としては、お店のことを広めてくれるのはありがたいことです。業界内でも、○○さんに勧められて来ました、というやりとりはよくあるし、それはそれで嬉しい話ですし、広める側にもその店を応援したいといった気持ちがあったりするものですが、見返りを求めるようなことは一切考えないのが普通です。
 でもうどん氏はきっと、自分が気に入った店の店主に、「うどんさん、うちの店のことを書いてくれてありがとうございます、と感謝されることを狙ってるんですよね。その先にうどん氏が期待してるが何かなんて、いわずもがなです。まじでゲスい。

 そんなのと全く対照的なのが、最初にも書いた石井AQ!氏。この方は、ネット黎明期からずっと食べ歩きをホームページに書き綴られていた、グルメ投稿のパイオニア的な存在なのですが、この方も食べている範囲は尋常じゃない。国内だけでなく、フランスやイタリア、中国といった海外の本場の名声店も相当数食べ歩きながら、日本のフレンチ、イタリアン、中華などを評価してています。
 その店と関係ない余計な自分語りとかもない。評価方式はミシュランに似ていて、お店に「踊る私たち」というマークを無印〜3つまでつけてい評価されていて、無印も含めてそこで紹介している店は基本的におすすめできる店。なので、悪評はほとんど書かれていませんが、人気店だから高評価というわけでなく、ミシュラン三つ星でも石井AQ!氏の評価は1点だったり、世間でほとんど注目されてない店に3点をつけられていたりと、あくまで石井AQ!氏基準なのも好印象。
 そして、どうやら、自分がお店の評価をがんがんネットにアップしていることをお店の人にはほとんど伝えていないようなのです。なので、お店の人は、石井AQ!氏が店を評価を付けていることを知らない。
 なぜそれがわかったかというと、この方が絶賛し、頻繁に足を運んで記事をあげていた某フレンチに行って、お店の方に石井AQ!氏の記事のことをお話したところ、そんな記事を書いている常連客がいたなんて全くご存じなく、お店の方が驚かれていました笑 食べ歩きの記事を書いていることをお店に断りなんて入れないのは普通ですが、少なくともうどん氏とはスタンスが真逆です。
 でも、そうした、お店には見返りを求めずに絶賛し、足繁く通っていることこそ、疑いようも無くお気に入りのお店であることがわかるので、その口コミに信頼を寄せたくなるわけです。

 あと、まるで信用ならないという点で、友里征耶氏という、かつて有名店の悪口ばかりを書いた本を出版して一時話題になった人物。
 お店を酷評すること自体は、あってしかるべきだと思います。小売品でも芸術でも何でも、世に出るものには批判はつきもの。賛否あっての評論ですから。
 ただ、この友里氏のやっていることの本質は、店を評価しているというより、「有名店をこきおろす俺すげーだろ」アピールなんですよね。世間で持ち上げられている有名店を、ミーハー感情に流されず評価する、一般人の一般人による一般人のための評論、という考え方は良いと思います。しかし同氏の本質は違う。悪い部分を意図的に拡大し、誇大に盛って刺激的な記事にすることが目的化しています。いうなれば有名芸能人のゴシップ誌感覚です。

 いちおう、辛口レビュアーが認める本当に美味しい店、みたいなのもやってますが、そこに出てくるのは、まあ誰もが納得するような、無難な鉄板の店だけ。そして褒め方も日常会話の感想レベルのような浅さ。僕自身、この友里氏の酷評記事を読んだ時、最初は超辛口レビューというのも面白いと思って読み進めていたのですが、同氏のおすすめの店の記事を読んだ時、そのあまりの内容のなさに、急に酷評記事の内容が薄っぺらに見えて白けてしまったんですよね。
 先にも書いたように、評論家の一番の腕の見せ所は、無名の価値の発掘だと思うんですよね。友里氏が微妙に名声店になる前の店を褒めていた事例もありましたが、一部の界隈ではすでに高い評価を受けていて、ほぼ当確のような店ばかり。一方で、タケマシュラン氏の場合は、簡単に予約が取れ、行ってみたら他の客はゼロ、みたいなマイナー店を絶賛していて、実際に食べに行ったらめちゃくちゃ美味かったりする。星を取る前の店を高評価し、ほどなくして星を取ったり、星の昇格を予言したりもしている。一方で友里氏の場合、ぼろくそに酷評した店が逆にミシュラン二つ星を取ったりする笑

 友里氏が逆張りをしているだけなのを確信したのは、「新津武昭」という寿司職人を否定する記事を読んだ時です。かつて、白洲次郎や小林秀雄、帝国ホテルの犬丸社長といった人物に愛された新津武昭という伝説的な寿司職人が「きよ田」という店で寿司を握っていたのですが、その店はとうの昔に閉店していて、しかも友里氏はそれを食べてもいないのに、実態はたいした技術はもっていなかった、などと酷評していたのです。
 そもそも、すでに存在しない店の酷評記事を書いて、一般人の役にたつのか?? もう存在しないなら、世間の高評価にのせられてうっかり行って、被害にあうようなことがないお店です。
 ただ、新津氏は、引退後にもたまに寿司を作ることがあったので、後に友里氏はそこに対面した、といった記事もあげられていましたが、そきにはびっくりするほど内容がなく、実際にどんな寿司の状態でどんな味だったかも書かれておらず、というか本当にちゃんと食べたのかもぼやかしたまま(そもそも「食べに行った」ではなく「対面した」という書き方自体があやしい)、無理矢理たいしたことはなかったと締めていました。これはおそらく、酷評記事を大々的に発表してしまったので、苦し紛れの表現だったのでしょう笑
 結局、これが意味することって、友里氏は、純粋な評価を目指してるのではなく、世間一般の評価に対して「逆張り」すること自体が目的ということです。
 辛口レビューというタンス自体は否定しないし、そういうビジネスモデルなのでしょうけど、どちらかというと、有名店を見下すように酷評することで、「俺からすればたいしたことない。自分のグルメレベルはもっと上にいる」というような自己顕示欲を満たそうとしてるかにも見える。純粋な「グルメ評」としては読むに値しません。

 最後に、最近Youtubeで観て少し面白いと思ったのが、元大王製紙社長の井川意高氏。かなりはっきりした自己肯定タイプで、自身は地頭も良く育ちもそのへんの凡人と違い本当に美味いものを食べてきたという強い自負を感じ、それを前提として、食べログで評価されてる店とか世間で評判の店とかをばしばし批判する。
 ただ、この人も自分の好みとか美学のようなものをきちんと示した上で批評していて、僕とは違う方向性だったとしても考え方として納得できるものが多く、かなり強烈な批判というか、もはやただの悪口みたいになっていても、その考え方でいけばそうなるだろうと思わせられるのでそんなに嫌な感じがしない。
 また、高級店を食べ歩いているからといって、何でもかんでもブルジョワ気取りとか高級品好きではなく、例えば寿司なら、江戸前から外れてはいえも脂の乗ったサーモンの寿司はうまい、けどそれは大衆店での楽しみ方で、高級江戸前寿司店では、江戸前寿司の文化としての楽しみにお金を出しているので、そういう店では出すべきではないといったような、哲学のようなものをもって「外食」をとらえているところも共感性が高い。そして、否定するだけではなく、自分の好きな店や、俺はこの店は美味いと思う、ということをはっきり言うのも歯切れがよくて好感が持てる。

 ただ、井川氏も新津氏を否定しているところはちょっと同意できない。井川氏は、「きよ田」の三代目と現在の四代目を大変贔屓にしていて絶賛しているが、二代目である新津氏の寿司については、「食べたことがない」と言いながら、有名人に持ち上げられたていただけでたいしたことない、きよ田は三代目が新津とは比べものにならないレベルに高めた、と言い切っている。
 しかし、食べたことがないのになぜそう言い切れるのだろう?? 三代目を絶賛するのは全く問題ないが、わざわざ先代を落とす必要はないでしょう。新津氏を認めない理由説明をXにあげているが、「白州正子あたりの似非文化人がもちあげていただけ」とつぶやいている。
 まあ、新津氏を贔屓にしていた白洲次郎や白州正子のレベルなんていまやもうわかりようがないが、新津氏を贔屓にしていたのは、小林秀雄や辻邦生、開高健、犬丸一郎といった錚々たる文化人・経済人です。相当美味しものを食べてきて贔屓にするのだから、それなりの腕がなければそうはならないでしょう。文筆家や企業の社長なら優れた味覚があるかどうかは別ですが、それを言ってしまったら井川氏も、うまいものを散々食べてきたから味がわかると言っているのと、何が違うのか? ということになる。まして犬丸氏は帝国ホテルの社長。飲食にかけてもプロ中のプロと言って良い。そうした人々に贔屓にされていたのを、ただ「有名人に持ち上げられていただけ」と決めつけるのは筋が通らない。この新津氏の話以外は、井川氏の言ってることは面白い。

 と、こんな感じで気になったグルメ評論家について書いてみました。
 お店が評価にさらされるのなら、グルメ評をネットを使って世間に発信している人も、世間に発信する以上、こうして評価にさらされることもある、ということで、軽く読んでいただければと思います。

 

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