横浜に必要なのはカジノではない

 横浜の林市長が横浜にカジノを誘致するとほざいている。

 もう、アホかと。
 横浜振興の方法としてカジノしか思いつかないなんて、なんて文化レベルの低い輩だ。

 僕が一番気になるのは、日本有数の都市である「横浜」の目玉が「カジノ」でいいのか??
 ということ。

 横浜を文化的な側面でアピールできることは、もっとあるだろう!
 と言いたい。

 横浜は、その歴史を辿ると、実は繁華街としての歴史は浅く、発達したのは明治以降なので、変化の歴史は本当に目覚ましいのです。

 江戸時代までは何もなかった小さな漁村でしたが、ペリーの黒船の来航が全てを変えました。
 日本が開国するにあたり、港が当時の中心地である江戸から近すぎると危険だということで、少し離れた横浜を開港地にしたのです。

 そして、日本で最初の鉄道が、東京〜横浜間に開通しました。
 現在の新橋駅と、桜木町駅がそれにあたります。

 以降、横浜は日本最大の貿易港となり、多くの外国人が山下町界隈にあった外国人居留地に住み、日本の文明開化、そして西洋化の源流となりました。

 日本で一番古くから貿易しているのは長崎でしたが、開国以降の日本の文明開化を牽引したのは横浜です。
 横浜駅(現在の桜木町駅)〜関内・馬車道〜伊勢佐木町界隈は、横浜最大の繁華街として栄え、銀座の「銀ブラ」と並んで「伊勢ブラ」という言葉もあったそうです。

 東海道本線の拡張とともに横浜駅は移転しましたが、第二次世界大戦後も、桜木町駅周辺に闇市ができ、やはり伊勢佐木町周辺が最大の盛り場でした。

 ですが、現在の横浜駅の開発と、みらとみらい地区の開発が進むにつれて、伊勢佐木町界隈はどんどん廃れてしまいました。
 伊勢佐木町には「伊勢佐木モール」という商店街があり、そこには日本最初の映画館である「横浜オデオン座」というのがありました。ハマっ子なら知らない人はない、伊勢佐木のシンボル的存在でしたが、2000年に閉館しました。
 
二人組ユニットの「ゆず」が路上時代に歌っていたのは、伊勢佐木モールにあった「松坂屋」という百貨店の前です。ですが、その松坂屋も2008年には閉店。

 この十数年ほどの間でも、伊勢佐木界隈は、どんどん寂しくなっていきました。

 ただ、今でも闇市のあった桜木町の野毛側(みなとみらいの逆側)では、昔の名残で古い飲み屋などが多くあり、いつも地元民で賑わっています。
 そういう意味では、昔ながらの「本当の横浜」は、世間的に認知度の高いみなとみらい側ではなく、逆側の野毛側、そして伊勢佐木周辺にあると思っています。

 しかしながら、地方の商店街から古い店が消えていくのは日本中で起きている事なので、それ自体は時代の流れとして仕方がありません。
 ですが、そんな、寂れていく伊勢佐木モールに次々と誕生していった、ひときわ「きらびやか」な商業施設。それは「パチンコ屋」です。
 
工事がはじまり、立派そうな建物が作られ、「何か出来るんだろう」と見ていると、たいがいパチンコ屋。

 商店街がシャッター街になっていくのは時代の流れとはいえ、かつて銀座と並び称せられるほどの繁華街だった伊勢佐木モールで、今一番目立つ施設がパチンコ屋って、なんて情けない話だろう…

 まずは、これだけ魅力ある歴史を持つ街なのに、そうなってしまっている現状を何とかすべきなんです。

 ……だが、繰り返すけどそのための策は「カジノ」ではない!
 ありえねえ。ありえねえよ。こんなの、横浜にふさわしい文化じゃあない。

 ただ、こんな判断されてしまうのは、横浜自体にも特殊性があるように思います。
 横浜は不思議な街で、
日本の都市の中でもひときわ知名度・人気の高い街でありながら、いまいち名物がはっきりしない。
 「横浜の名物は?」と聞かれると、ハマっ子ですら、たいがい即答できずに迷います。
 そして悩んだ挙句に出てくるのは「崎陽軒のシューマイ? サンマーメン?」と、その程度。

 いや、崎陽軒のシューマイは、確かに美味しいですよ。
 僕も大好きで、よく弁当を買います。

 でも、これだけ有数の、特徴的な歴史を背負いながら、それしか出てこないのかよと。
 そう言っている僕自身も、横浜に10年以上住んでいながら、パっと浮かぶものがない。

 横浜市民ですらよくわかってないくらいだから難しいとはいえ、横浜市自身、横浜を売り出す看板を作り出せない状況で、どんなリゾート施設を作ったって、うまくいくわけないですよ。

 でも、よくよく見ていると、例えば日本の文明開化の象徴の一つであり、その発祥の一つとも言える牛鍋屋が、横浜にはあります。最古の老舗「太田なわのれん」はちょっと高いけど、「荒井屋」なら、お手頃価格のもある。そして美味しい。
 日本の西洋料理に革命を起こした「ホテルニューグランド」のドリアをはじめ、横浜港から世界を繋いだ豪華客船時代の味を今にも残す「グリル・エス」、戦後進駐軍の影響化に生まれたアメリカ洋食を伝える「センターグリル」「キムラ」「たじま」、といった洋食の数々。
 そして、今や日本を代表する食べ物となったラーメンの源流には、横浜中華街、そしてこだわりラーメンの先駆けとなった「支那そばや」、濃厚ラーメンを牽引する「家系ラーメン」と、横浜には、日本の「食」を代表するものがたくさんあります。

 つまり、横浜というのは、そうしたものを生み出してきた「街」だということです。
 沢山あるからこそ、代表を一つに絞れないだけなんじゃないか?
 と思うのです。
 
崎陽軒のシュウマイも、そんな横浜だからこそ生まれたものの一つなんだと思います。

 多くの都市において、地域振興には「食」が活用されます。
 時には、地元民からすると、そこまで名物と思っていないのに、自治体が名物に仕立て上げることすらあるくらいです。
 
でも、横浜には、そんな盛らなくても、歴史的事実が証明する、名物的な「食」がたくさんあります。

 とある調査によると、外国人が日本に訪れる際に興味があるものとして、多くの人が「食」を一番に挙げるそうです。
 だから、
インバウンドを狙うにしても、もっと横浜の「食」をアピールしたほうがいいのに、何故しない??

 少なくともそこで、安易に「カジノ」に走ってうまくいくとは到底思えない。

 中身のないまま、「カジノ」だけが看板みたいになったところで、横浜のイメージと風情が低下するだけです。
 ラスベガスは、何もない砂漠だったからこそ「カジノ」をウリにすることで名を上げたけど、日本の中でも有数の都市である横浜が「カジノ」の看板を掲げるのあ、イージーとというか「怠慢」だと思う。

 ただ、横浜が盛り上がらない理由には、現状の「中途半端な風情」にもあると思うんです。
 
世間からは「横浜」と聞くと、お洒落そう、とか、港町的な異国情緒とかを想像されるのですが、実際住んでみると、そんな感じは全くありません。
 それは、悪い意味で「自然体」だからだと思います。

 例えば京都では、単に古い建物があるから風情が保たれているのではなく、意図的にその景観や風情を失わない努力をしています。

 でも、横浜って、そうした努力があまり感じられない。
 中田市長の時には、開港150周年記念に向けて、海外からバカにされないようにと、色々と工夫をされていましたが、結局それっきり。記念イベントも不振に終わったせいで、余計にそうした流れは止まりました。
 
昔ながらの店や建物はどんどん消えていき、そして増えていくのはパチ屋ばかり。
 それでいて、「日本三大ドヤ街」と呼ばれた寿町だけは、いまだに昭和40年くらいから変わっていないヤバさ。ここは変えろよ。

 横浜らしさ、って、どこにあるのか、横浜市としてどうしたいのかが、全然わからない。
 そのへんは、意識的な努力が少し足りてないように思う。

 そんなところに「カジノ」を作ろうなんて、どうかしてる。
 魅力的な歴史を持つ横浜で、世界から客を集めるための看板が「カジノ」って、おかしくないか??
 横浜の文化と歴史を発掘するのはあきらめて、むしろとどめを刺したいのかよ? って思う。
 経済効果云々の話じゃあない。

 感傷的な話ばかりになりましたが、つづく。

 

 


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