スパゲッティ・ナポリタンの起源

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  スパゲッティ・ナポリタン(調理:管理者)

 洋食屋の定番、スパゲッティとトマトケチャップを和えた「スパゲッティ・ナポリタン」が、日本特有のパスタ料理であることは良く知られているところです。

 というのも、イタリアでは基本的にケチャップを使わない(というかむしろ邪道扱い)ので、このような料理が存在しないからです。

 日本ではメジャーでも、その発祥や元祖がはっきりしていないので、それを研究して談義することはB級グルメ好きにはなかなか人気のテーマのようです。

 というわけで、この「ナポリタン」の発祥について、簡単にご説明します。

 なお、ナポリタンの発祥論については、僕を含め一部のマニアな人々によって長らく色々な論議をかもしだし、それらを全て語りだすと長大な内容になってしまうため、ここでは、あまり深い論拠や歴史的背景などは省略し、簡単な説明にとどめることとします。

 もし、マニアックな内容が知りたい方は、こちらをご覧ください。ナポリタンに関する情報の量・質質としては、おそらく日本一だと自負しています。

 ⇒ナポリタンの発祥・完全版

●発祥説として有名な“横浜ホテルニューグランド”

 ナポリタンの発祥として定説とされているのが、横浜ホテルニューグランドの第二代総料理長・入江茂忠氏が考案したという説で、現在でもナポリタンはニューグランドの名物料理として提供されています。

 ニューグランド第四代総料理長・高橋清一氏の著書『横浜流 -すべてはここから始まった-』(東京新聞出版局)によると、第二次大戦後、ニューグランドの総料理長に就任した入江氏は、アメリカの進駐軍がスパゲッティにトマトケチャップと塩コショウをかけて簡単に食べているのを見て、もっときちんとした料理にして提供しようと考えて作り出したメニューが、「スパゲッティ・ナポリタン」だったと説明しています。

 これが、ナポリタンの発祥として一番広まっている説です。

 なお、考案者の入江氏は、ニューグランドの初代総料理長サリー・ワイル氏の下で腕を磨いた人物で、戦後GHQによってホテルが接収された際、一時ニューグランドを離れていましたが、1952年にホテルの接収が解除されるとニューグランドに復職し、第二代総料理長に就任しました。

 しかし、これで決定とならないのが、ナポリタン談義の深いところ。

 最近では、第二次大戦終了直後の1946年(昭和二十一年)に横浜で開業したレストラン「センターグリル」では、開業の頃よりナポリタンを提供していた、という説が有力になりました。

 なお、センターグリルの創業者である石橋豊吉氏は、ニューグランド初代料理長のワイル氏が経営していたセンターホテル出身のコックで、料理の系統としてはニューグランドに近いものがあります。

 しかし、よく調べてみると、そもそもニューグランドでも、戦前の1934年(昭和九年)1月27日のア・ラ・カルトメニューには、すでに"Spaghetti Napolitaine"があったことがわかるなど、新しい情報が次々と発見されています。※1

●フランス料理のナポリタン

 戦前の料理書や、日本の洋食の原点となった古いフランスの料理書を調べてみると、どうやら、トマトソースをからめたスパゲッティのことをナポリ風、つまり「スパゲッティ・ナポリタン」と呼んでいたようです。(正式には"Spaghetti à la napolitaine")

 イタリアのナポリはトマトの名産地なので、トマトソースを和えたスパゲッティ=ナポリ風スパゲッティとなったのでしょう。

 フランス料理界の帝王と呼ばれたオーギュスト・エスコフィエ(1845〜1937)が書いた料理書、"Le Guide Culinaire"(1902年刊)や、プロスペール・モンタニェ(1864〜1968)が書いた料理書、"Larousse gastronomique"(ラルース・料理百科事典)、などには、そうしたナポリタンのレシピがあり、作り方はどれも茹でたパスタにトマトソースを和えたものです。

 さらに日本でも、1920年(大正九年)に発行された『仏蘭西料理献立書・調理法解説』(鈴本敏雄著)には、"Spaghetti à la  Napolitaine"がちゃんと書かれていて、こちらの作り方は、スパゲッティにトマトを和えたものとなっています。

 また、何故フランス料理?と思う人もいると思いますが、日本の洋食のはじまりは、明治期に入ってきたフランス料理がベースです。

 日本にやってきた外国人は、長崎や横浜、神戸の居留地に住み、そこには多くの外国人ホテルが建てられましたが、当時の欧米の正餐のスタンダードはフランス料理だったので、そうしたホテルのレストランは、経営者がイギリス人やアメリカ人だったとしても、その多くがフランス式でした。

 そうした外国人ホテルで下働きしていた日本人コック達が、やがて日本のホテルや街のレストランで料理長となって、日本の洋食界を作っていったので、日本の洋食はベースとしてフランス料理の影響が大きいのです。

●ケチャップ・ナポリタン

 ですが、現在一般的に認識されているナポリタンというと、トマトソースではなく、ケチャップで和えたスパゲッティでしょう。
 トマトソースで和えたお上品なナポリタンは、ナポリタンにしてナポリタンにあらず、あの大衆的なトマトケチャップをこってりと和えてこその「ナポリタン」、だと言う人も多いようです。

 これについての説明は、戦前のニューグランドでワイル氏の補佐を務めいてた荒田勇作氏が著した、『荒田西洋料理』(1964年刊)が参考になると思います。
 同書に掲載されている"Spaghetti à la napolitaine"の説明では、

「旧来はトマトの赤色を付けただけで、アントレや野菜のコースにも出たが、現在のア・ラ・カルトの場合には、薄切りのシャンピニヨン、芝海老、ペパロニかサラミ・ソーセージなどを混ぜ合わせているところもある。要はトマト味の調理法と思えばよい。(中略)トマトケチャップなどでからげるのも悪くないが、これは家庭向きの素人が行う方法で、専門家は別の方法で作られる方がよい」

と書いています。

 なお、同書は料理名を仏語と英語と日本語の3ヶ国で表記していて、英語表記では"Spaghetti napolitan"、日本語は「スパゲッティのトマト和えナポーリ風」としています。

 ただ、この英語表記の"napolitan"は和製英語で、ナポリ風の正しい英語表記は"neapolitan"です。こうしたところからでも、フランス料理が日本的洋食へと変化していったことが見てとれます。

 つまり、本来はトマトソースを用いていたフランス料理のナポリタンを、簡易にトマトケチャップで代用されるようになったのが、現在のスパゲッティ・ナポリタンだと言えそうです。

 ただ、今でこそ大衆的な調味料のトマトケチャップですが、元々はそうではなかったようです。
 日本にトマトケチャップがもたらされたのは明治時代後半ですが、当時はかなりの高級調味料で、家庭で簡単に使えるようなものではなかったようです。

 それが日本で大衆化したのは、第二次世界大戦後にアメリカ進駐軍が、日本に大量にトマトケチャップを持ち込んでからのこと。

 そして、元々はトマトソースで作られていたところ、戦後にアメリカ軍が持ってきた大量のトマトケチャップで代用されるようになり、結果としてトマトケチャップのナポリタンのほうが市民権を得るようになってしまったのです。

●ニューグランド発祥説の謎

 それでは、何故「ニューグランド発祥」という説が生まれたのかに謎が残ります。

 これについては、日本のレストラン史の中で、ア・ラ・カルトスタイルがどのように確立したがその背景としてあると思います。

 明治・大正期の日本の洋食は、十八世紀から十九世紀初期のフランスの食事形式の影響を強く受け、単品料理というのは基本的になく、コース(当時は定食と呼ばれた)や宴会料理が中心でした。

 意外に思われるかも知れませんが、レストランで料理を単品で注文するのが当たり前になるのは、フランスでも十九世紀以降のことで、日本では昭和になってからなのです。

 そもそも、今のようなレストランという形態は、十八世紀末にフランス革命が起こって王政が崩壊し、宮廷や貴族お抱えの料理人が職を失い、生活のために大衆向けの営業を街場ではじめてから発達したものです。(ちなみにレストラン"Restaurant"はフランス語)

 日本の文明開化の時に流入した西洋料理は、宮廷料理の流れを汲んでいて、コース(定食)料理や宴会料理ばかりでした。
 というのも、当時の日本でも、西洋料理は上流階級の人間かお金持ちでなければ食べられず、それも社交の場としてや、宴会料理としての需要が多かったからです。

 そこに、ホテルや街の高級レストランで単品メニューが一般的になるのは、昭和になってからのことで、その嚆矢が1927年(昭和二年)に開業した横浜ホテルニューグランドなのです。

 開業時に総料理長としてフランスから招かれたサリー・ワイル氏は、通常のメインダイニングとは別に、単品メニューを中心にカジュアルに食事を楽しめる「グリル・ルーム」を設けたところ、それが大ヒットし、瞬く間に大流行しました。

 もちろん、それ以前の日本に単品メニューが全く存在しなかったわけではなく、「洋食一品売」とか「御好一品」と書かれたメニューもありましたし、関東大震災以降に増えた街場の大衆食堂などでは、単品の洋食は存在していました。

 しかし、きちんとした西洋料理を出すレストランや、ホテルのレストランでは、一品だけ注文しても定食と同じ値段を取られる店もあったほどで、レストランで単品料理を注文するというのは一般的ではありませんでした。

 それに、当時の街場の大衆食堂の洋食というのは、カレーライスや豚カツ、コロッケなどを出す程度で、スパゲッティ料理は存在していなかったようです。

 そうした中、多彩な一品メニューがずらりと並んだ「ア・ラ・カルトメニュー」をレストランで本格的に導入したのがワイル氏で、そうしたカルトメニューの中に、スパゲッティ・ナポリタンがあったのでした。

 戦前ニューグランドで修行し、ホテルオークラの総料理長となった小野正吉氏は、和食の名料理人である辻嘉一氏との対談『食の味、人生の味・辻嘉一・小野正吉』(平田嵯樹子/柴田書店)の中で、

「その頃、ホテルの料理は定食がほとんどだったんだけど、ワイルさんは、ダイニングルームのほかに、グリルルームを作ったのね。そこで、ア・ラ・カルトを出していたんです。(中略)スパゲッティナポリタンだとか、ご飯をグラタンにしたドーリアなんか、ワイルさんがはじめて出したんですよ。いま、われわれがちょっと、軽くスパゲッティ一皿なんて食べられるのは、ワイルさんのおかげなんです」

と述べています。

 ア・ラ・カルトを全面に出したワイル氏のグリル・ルームは、当時革命的な大ヒットとなり、他のホテルやレストランでも競うようにしてア・ラ・カルトメニューを出すようになりましたが、こうした経緯が、ニューグランドでナポリタンが生まれたという説が出てくる背景としてあるでしょう。

 しかし、そうすると、戦後に第二代総料理長の入江氏が開発したという説とは食い違いが生じます。ニューグランドはニューグランドでも、入江氏ではなくワイル氏がオリジナルということになります。

 ここで考えることとしては、戦前にあったナポリタンが、どれだけ我々のイメージする「ナポリタン」と同じであったか?ということでしょう。

 何故なら、ワイル氏の時代にナポリタンが現在の形で確立していたのであれば、その頃からニューグランドにいた入江氏が戦後になって開発したという伝説が、わざわざ生まれたりしないと思うからです。

 おそらく、ワイル氏によるスパゲッティ・ナポリタンは、昔の料理書にあるような、パスタにトマトソースを合わせただけような、シンプルなものだったのではないでしょうか?それを入江氏が、現在のような料理の形に発展させた、ということなのではないか…?と思います。

 この推測の根拠となる一つの例として、開業して間もないニューグランドのワイル氏の元で働き、大阪の高級レストラン「アラスカ」の料理長となった飯田進三郎氏のスパゲッティ・ナポリタンは、トマトにミルクを加え、味付けは塩・こしょうだけと、非常にシンプルだったそうです。
 トマトもミルクも貴重で、そもそもパスタ自体が高級品だった戦前では、それだけで十分贅沢な料理だったのです。※2

 しかし、入江氏が戦後GHQの接収から解除されたニューグランドのメニューを新たに作り直そうとした時は、アメリカから西洋の食材が大量に送り込まれて来ていたので、ナポリタンについて、ハムやマッシュルーム、ピーマンなどを加えて、新たにオリジナル・ナポリタンを開発したのではないでしょうか。

 そしてそれが、世の中のナポリタンのモデルとなり、横浜の洋食屋や軽食堂が真似し、ちょうどアメリカ進駐軍が大量に持ち込んだトマトケチャップでトマトソースの代わりに使って、「ナポリタン」という名前で広まっていったのではないかと思います。

 もしくは、戦前のニューグランドでは、ワイル氏がトマトを使った正統派ナポリテーヌを「ナポリタン」として提供していたのに、戦争が終わって入江氏がニューグランドに復帰してみると、進駐軍相手に、いくら食料不足とはいえ、トマトケチャップと塩コショウで合えただけの「エセ」ナポリタンが出されているのを見て幻滅し、「本物のニューグランドのナポリタンはこんなじゃない」と思って、ワイル氏時代のトマトベースで作られた、ちゃんとした「ナポリタン」を復活させてメニューに載せたことが、ナポリタンの開発者という伝説に変わったのかも知れません。

 ただ、そうであれば、入江氏は、あくまで「復刻者」であり、開発者ではなくなりますが…。

 今でこそ、ケチャップではなくトマトソースを使ったナポリタンなんて、それこそニューグランドでしか見ないし、そもそもフランス料理のナポリタンにしても、今日のフランス料理店で見る事はほとんどないため、パスタをトマトソースで味付けしたナポリタンの存在自体にピンと来ない人もいることでしょう。

 しかし、戦前まで遡らなくとも、1976年(昭和五十一年)の『月刊専門料理』には、当時の帝国ホテル総料理長・村上信夫氏がトマトソースを使った料理のレシピを紹介している中に、"Spaghetti à la Napolitaine"があり、作り方は、茹でたパスタをバターで炒め、トマトソースで和え、チーズをかけるように書いています。

 このことからも、ひと時代前までは、ナポリタンをトマトソースで作ること自体が特殊なことではなかったことがわかります。

●フレンチ式ナポリタンとケチャップナポリタンの融合

 料理の歴史や、トマトケチャップの日本への流入・普及の時期を考えると、トマトケチャップよりも先に、トマトソースを使ったフランス料理のスパゲッティ・ナポリタンが、現在のナポリタンの原点であったことは、ほぼ間違いないありません。

 ただそれが、本来ならトマトソースを使用して「ナポリ風」とするところを、戦後のトマトケチャップの普及とともに、見た目だけを真似てトマトケチャップで赤い色をつけた「ナポリ風モドキ」がナポリタンとして提供されるようになり、それがいつの間にか、ケチャップ・ナポリタンのほうが主流になっていった、ということです。

 仕込みに手間のかかかるトマトソースに比べてトマトケチャップの方が便利ですし、そうやって街の食堂などで提供されたケチャップ・ナポリタンと、大衆店とは言えないニューグランドのレストランのトマトソース・ナポリタンと、どちらの方が大衆への認知度が高まったかは、考えるまでもありません。

 そして、それを一番最初にメニューに載せた店となると、これまでセンターグリル説や、三越食堂説など、諸説が入り乱れていましたが、現時点(2016年)において確認できている最も古いものは、ニューグランドの1934年(昭和九年)1月27日のア・ラ・カルトメニューに載せられていた"Spaghetti Napolitaine"です。

●結び

 ナポリタンに限らず、洋食の元祖は諸説あるものばかりです。
 和食でも、洋食でも、大衆料理のレベルにおいては、きちんと誰かに学んだとか修業したりしなくても、あり合わせの食材で適当に作ってみたら結構イケルので出してみたとか、どこかで提供されている料理を見た目だけ真似て出すなんてことは、古今東西行われていることです。

 それに、世の中の全てのレストランやコックが正統な知識を持っているわけではないので、適当に名前をつけた結果がナポリタンやイタリアンだった、ということも多くあると思います。

 色々書いてはみましたが、ぶっちゃけスパゲッティをトマトケチャップで炒めて出す料理なんてのは、まさにそうやって生まれ、広まった料理ってのが実態でしょう。だから、厳密にその元祖を限定するのは、ほとんど不可能ではないかと思います。

 はじまりは、フランス料理の"Napolitaine"だったとして、結局のところ古くからフランスに存在した料理なわけですから、そもそも、誰が元祖とか、どの店が発祥、という話ではないのかも知れません。

 オムライスやハヤシライスのように、明らかに日本独自の洋食となると、元祖はどこか?という話になると思いますが、ナポリタンやグラタン、ビーフシチューのように、もともとヨーロッパにある古典的な洋食となると、日本で誰が最初にメニューに載せたかを調べるなんて不可能に近いことだと思います。

 そこで、「ナポリタン:という名の料理がメニューに載っている古い情報が発見されたところで、「たまたま記録が残っていた最古の情報」に過ぎない話であり、それほど意味がある探究ではないかも知れません。

 そういう意味では、ニューグランドも、あくまで「現時点でのナポリタンの一番古い記録である」ということであり、「ニューグランド発祥」と断定すべきことかどうかは微妙なところです。

 そこに「ケチャップを使ったナポリタン」と限定して元祖となると、誰が最初にトマトソースをケチャップで代用したかなんて、今となってはわかりようがありません。

 いくら古いメニューを探して「ナポリタン」を見つけたとしても、それがトマトソースで作られていたのかケチャップで作られていたかは判断できないので、もはやこれは永遠の謎…というか、やはり「自然発生」としか、言いようがないでしょう。これを言ってしまうと身もふたもないのですが…。

 逆にいうと、“ナポリタンとはそういう料理”だと判明したことが、今回のナポリタン研究の結論、と言えるのかも知れません。


 

 【脚注・出典】
  ※1  『横浜の食文化』(教育委員会・P79に掲載)
  ※2  『栴檀木橋〜しがない洋食屋でございます〜』(望月豊/朝日新聞社)
 【参考文献】
  『亜米利加式調理法』(Daughters of America編)
  『荒田西洋料理』(荒田勇作)
  『エスコフィエフランス料理』(オーギュスト・エスコフィエ)
  『月刊専門料理』(柴田書店)
  『食生活世相史』(加藤秀俊)
  『食の味・人生の味 辻嘉一/小野正吉』(柴田書店)
  『初代総料理長サリー・ワイル』(神山典士)
  『西洋料理人物語』(中村雄昂)
  『栴檀木橋 ―しがない洋食屋でございます。―』(望月豊)
  『日本司厨士協同会沿革史』(日本司厨士協同会)
  『百味往来』(全厨協西日本地区本部・川副保・編)
  『フランス料理総覧』(T・グランゴワール、L・ソールニエ)
  『仏蘭西料理・献立書・調理法解説』(鈴本敏雄)
  『古川ロッパ昭和日記』(古川ロッパ)
  『ホテルニューグランド50年史』(渇。浜ホテルニューグランド・白土秀次)
  『ホテル料理長列伝』(岩崎信也)
  『明治大正見聞録』(生方敏郎)
  『明治東京下層生活史』(中川清)
  『横浜外国人居留地ホテル史』(澤護)
  『横浜の食文化』(教育委員会)
  『横浜流 〜すべてはここから始まる〜』(高橋清一)
  『ラ・ルース・フランス料理百科事典』(P.モンタニェ)


 

〜おまけ ナポリタンの作り方〜

 


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