ガスト・ジョナサン24時間営業中止の理由に思う

 ガストやジョナサンを展開するすかいらーくグループが、全店で24時間営業をやめると発表しました。
 その理由について、「SNSの存在」を挙げ、「かつて深夜のファミレスはコミュニケーションツールだった」と説明したことが、「意外な理由」としてニュースになっていました。

 僕からすると、意外でもなんでもない。
 むしろ、さすがすかいらーくグループ、よくわかってるなあ、と思いました。

 すでに24時間営業を辞めている会社はいくつもありますが、その理由を、「人々のライフスタイルの変化」だとか、「夜は寝るもの」「深夜に活動したり、働きたいという人が減った」と理由づけしたり、最近では「働き方改革」を理由にする会社がほとんどですが、そんなの、現象の表面をなぞってるだけで、本質を理解してないな、と思ってました。

 ファミレスやコンビニの深夜の売上が下がり、働く人が減った理由は、人間のライフスタイルが変わったのが本質ではないと思います。

 夜行性の人間は、今も昔も変わらずいます。
 夜中に遊びたい若者・大人の数も、最近になって減ったとは思えない。

 けど、一番変わったのは「携帯の普及」「インターネット」と「ノートパソコンの進化」。
 ついでにいうと、飲酒運転の取り締まりの厳罰化。

 なぜそう言えるかというと、深夜の行動変化が急激に話題になりはじめたのは、2000年代の中頃から。
 それって、インターネットのブロードバンド化と普及具合、そしてノートパソコンの進化ともリンクしています。

 すかいらーくグループの説明にあるように、昔は、深夜に人とコミュニケーションを取ろうと思ったら、直接会うしかなかった。
 けど今は、誰もが携帯を持ち、しかも通話だけでなくメール、SNS、LINEなど、様々な方法で簡単に繋がれる。

 また、インターネットとノートパソコンの進化は、娯楽面と、ビジネス面、両面から大きな影響があります。
 昔は、深夜の娯楽といえば、深夜番組やラジオを聴くか、ビデオを借りるか、ゲームをするかくらいしなかったから、人と直接関わろうとしたら、カラオケにいくかファミレスに行くくらいしかなかった。

 けれど、今ではノートパソコンとインターネットで、様々な楽しみ方が、一人でも、オンラインで複数でもできます。
 仕事にしても、昔は職場に行かなければ出来ないことがたくさんありました。
 しかし今は、ノートパソコンとモバイルがあれば、かなりことが出来ます。
 だから、深夜まで職場にいたり、出歩く必要がない。

 夜行性の職種の代表的存在にミュージシャンがいますが、かつてはスタジオに行くのが当たり前でしたが、DTMの飛躍的な進化により、かつては倉庫一杯分の機材が必要だったレベルのものが、今ではノートパソコン一台で作ることが可能になり、ミュージシャンもエンジニアも不要で、自宅に一人でかなりのことまで仕上げることができます。
 スタジオを使うにしても、演奏の音撮りは一晩で一気に仕上げて、あとはパソコンで編集できる。
 
ミュージシャンの人口はたかが知れてますが、あくまで一例としてあげただけで、様々な業界において、自宅で作業できる領域が相当増えました。

 だから、深夜に出歩く人が減ったのは当然なのです。
 夜に働く人が減れば、飲み屋の客も減る。
 飲み屋の従業員は深夜ファミレスの主要客だったので、連鎖的にそこも減る…といったように、社会全体の動き方が変わりました。

 働き手の意識もそうで、昔の人が深夜に働きたいと思っていたいわけではない。
 いつの時代も、夜寝たい人は寝たいし、平気な人は平気。

 けれど、先に書いたように、昔は深夜にやれることなんて、たかが知れていました。
 僕も学生時代に深夜のバイトをしていましたが、それは深夜にやることがなく、時間がもったいないから働いた、というわけです。

 しかし、今では深夜に楽しめることがいくらでもある。
 一晩中youtubeを見てました、なんて学生はザラにいます。
 ライフスタイル的に夜は
寝るようになったのではなく、深夜に出歩かずとも楽しめるようになった、というのが実態に近いと思います。

 つまり、ライフスタイルの変化というより、遊び方・仕事をする場所が変わった、ということです。

 「それがライフスタイルの変化じゃないのか」という人もいるでしょう。
 しかし、言葉遊びのように思われるかも知れませんが、全然違います。

 ライフスタイルとなると、人間の性質そのものの変化に近い。
 そう受け止めてしまうと、抗う術はなく、ただ受け入れるしかなくなってしまう。
 けれど、今起きていることのほとんどは、言うなれば洋食よりも和食に人気が出てきた、というような、「マーケットの変化」に近い。
 「人間が食事をしなくなった」となったらどうにもなりませんが、食事をとることには違いないのなら、ビジネスとしての対応方法があるわけです。
 
消滅したものを追いかけても仕方がありませんが、食べるパイが変わっただけなら、追いかけ方がある、ということです。

 まあ、そんな屁理屈を唱えたところで、一緒のことだろ、と思う人は、それまでの人だと思います。

 この変化に対応するには、年中無休の廃止。
 というより、毎週一定の定休日の設定でしょう。

 なんでそうなる? と、話が飛躍していると思う人は多いと思いますが、そもそも飲食小売店が、営業時間・営業日数を延長してきた経緯を分解し、それを現在の社会状況に合わせて組み直したら、必然的にそういう答えが導き出されると思います。

 簡単に言うと、「いつでも利用できる」という長い営業時間による利便性の価値はもはや重要ではなく、絞り込んだ営業時間に資源を集中し、高価値のものを提供するのが評価される時代になる、ということです。

 人間の本質なんて、そう簡単には変わりません。
 社会におけるレストランの役割、存在意義とは何なのか?
 コンビニの役割、存在意義とは何なのか?

 昔は、コミュニケーションツールが少なかったから、深夜に限らず、酒を飲まない場合はいつの時間でもレストランなどがその場だった。
 簡単に飲食店を調べられるグルメサイトもなかったから、とりあえず「知っている看板」であることの信頼性が高く、それがいつの時間でも開いていることのニーズが高かった。

 しかし今やレストランは、明確に「食べたいと思うものを食べにいく」ことが利用動機の大半になったわけです。
 よほど立地に恵まれている場合は別として。

 本来の飲食店のあるべき姿なので、目新しい話ではないと思う人もいるでしょう。
 しかし、わかっていながらも、それに向かっていない店・企業ばかりではないでしょうか?

 間延びした営業時間の中で、だらだらと低価値のものを低価格で提供して消耗戦をし続けても、飲食業界に未来はありません。
 高価値のものを提供しようと思ったら、相応の技術も素材も必要です。
 それを用意するのには、営業時間が長ければ長いほど難易度が上がるのは自明の理なのに、いまだに
長い営業時間という「物量」で売上確保をすることを捨てられない企業ばかりではないでしょうか?

 すかいらーくさんが、「SNS」「コミュニケーションの場」という視点に気付かれたのは、流石だと思いました。
 すかいらーくさんも、かつては多くの外食企業同様、前時代的な会社だったと思います。
 ですが、ベインキャピタルが経営に入ってから、随分変わりましたよね。
 精神論ではなく、マーケティングをするようになりました。
 ベインが全ての株を売却して手を引いてから、それを継続できるかが課題になっていましたが、この発表が本気なら、まだまだいけそうな感じですね。

 「今の時代は働き方改革」なんて、言葉の表面に踊らされているだけで時代対応していると錯覚している凡庸な経営者ではなく、本質的な視点で考えられる経営者がもっと増えていけばいいのに、と思います。

 


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