お客様は神様じゃない!@

 「お客様は神様です」

 日本ではそんな言葉を、飲食に限らず、商売の世界では耳にすることがあります。
 
お客様は神様で、偉い存在。だから、どんなにことをされても、何を言われても、従業員は我慢して逆らってはいけない。
 
と、そんな意味で使われることが多いと思います。

 しかし、これは本来、間違った使い方なのです。
 この言葉がもともと、どういう意味だったかご存知でしょうか?

 この言葉は、浪曲師であり歌手だった、故・三波春夫さん(1923〜2001)の言葉で、本来は、全く違う意味でした。

 そこには、大きく二つの意味がありました。
 まずひとつに、舞台に立つ時は、神に手を合わせた時のように心を昇華しなければ真実の藝は出来ないと考え、「神様の前で演じるつもりで歌う」という意味で、お客様を神様と思って演技している、ということだそうです。
 
もうひとつは、ある日の公演、ひどいしゃっくりで、声を出すのもままならい状態だったのが、覚悟を決めて舞台に上がったところ、お客様の拍手と熱気に迎えられると、嘘のようにしゃっくりは止まり、いつも通り歌えたそうです。
 その時、自分はお客様によって舞台の上で生かされたように感じ、このような奇蹟を引き出すお客様に、「神様」の姿を見たように感じたそうです。

 こうしたことを背景に、三波さんが、関西でのとある公演で、司会者から「今日のこのお客様をどう思いますか?」と質問されたことに対して、

 「お客様は、神様のようなものです」

と答えたのが、この言葉が広まるきっかけになったそうです。

 しかしそれが、いつしか、「お金を払う"客"は、神様のような絶対的な存在であり、逆らってはいけない」、というような意味に利用されるようになってしまいました。

 そうした、本来の意図とは関係なく使われていることには、生前の三波さんも心苦しく思われていたようで、現在でも三波さんのホームページでは、意味の違いやその経緯について説明されています。
 
そしてそこには、自分の言う「お客様」とは、商店や飲食店のお客様のことではない、と、はっきり言い切られています。

 三波さんの真意は、すごく納得感のあるものです。
 
特に、音楽とか舞台の経験のある人なら、よくわかる話ではないかと思います。

 お客さんの熱気に満ちたホールの舞台に立つと、何とも言えない独特のテンションに心が高まり、いつもの自分にないパフォーマンスを発揮できた、という経験のある人は、たくさんいることでしょう。
 そういう時、お客さんに対して何か特別な神聖さを感じたとしても、わかる話です。

 しかし一方で、世間でよく使われている「カネを払うお客は絶対者」みたいな主張は、ひどく傲慢な解釈だと思います。

 確かに、サービスする側の心得として、「お客様は神様のような絶対者である」という教訓があったとしても、一理あるかも知れません。
 三波春夫さんの言う、「お客様を神様と思って演じる」も、サービスする側の意識としては同じように思えるかも知れません。

 ただ、舞台での演技は、一方的に演じるもので、評価は後からつきます。
 しかし、レストランのサービスでは、お客様との対話がその場で発生します。
 
そうなると、お客さんの言うことに従わないといけないとか、根本的に異質な話となってしまいます。

 また、「演じる側の理想」とした場合、困りごとがあります。
 お客様を神様と思ってサービスするのがサービススタッフの心掛け、という考え方が肯定されると、結局お客さんからも、「お前は客を神様と思ってやってないのか」という突っ込みを招いてしまうからです。

 ともあれ、自分のことを神様扱いしろなんて主張、冷静に考えたら、あり得ないほど傲慢な主張です。
 
そもそも、商店だろうと飲食店だろうと、店とお客さんとの関係なんて、所詮は代価に見合ったサービスをする、というだけの契約関係です。
 
お客さんの下僕になる約束なんて誰も交していません。

 ただ、客商売においては、サービスが良いに越したことはないので、従業員はお客さんに対して下手に出るだけです。
 けれど、
従業員が下手に出ているのにつけこんで、従業員を召使いのように扱い、そうでなければ怒るというのは、何か勘違いをしているのではないでしょうか?

 百歩譲って、あくまで「ビジネスの手法」として、お客さんを神様のように扱うサービス、というのがあったとしましょう。
 
では、そんな神様レベルのVIP待遇を求めるのなら、その「お客様」はいったい、どれだけの代価を支払うべきでしょうか?
 
そのへんの街の飲食店や小売店の「お客様」は、自分を「神様扱いしろ」と要求できるほどの代金を払ってるのでしょうか??

 高級ブランド店や一流ホテルでは、高い教育を受けた従業員が手厚く配置され、レベルの高いサービスをしますが、そこには、料金にそうしたサービス料・人件費が含まれています。
 しかし、街場の大衆レストランや小売店では、そんな値付けをしていません。だからこそ安いわけです。
 大衆的な価格の店に対して、サービスに高い要求をすること自体、「過ぎた要求」なのです。

 最近では、「笑顔での接客」といったサービスの基本についても、「肉体労働」「頭脳労働」と並ぶ、「感情労働」と呼ばれるようになっています。
 しかし、日本では、「物」に対しては対価を払う意識がありますが、物理的消費を伴わない肉体労働や頭脳労働に対しては正しく対価を支払うかどうかは微妙なところで、感情労働にいたっては無視されているに近い状況にあると思います。

 物理的に「モノ」を消費することには金を払っても、感情のような、本人の心意気次第でどうにでもなるものについては、無条件に高い要求と奉仕精神を求める傾向が日本にはあります。

 もちろん、どれくらいの金額ならどれくらいのサービスをすべき、という判断基準は難しいです。
 しかし、
そもそも従業員だって、店を離れればただの人。
 仕事として、たまたま客商売をしているだけで、同じ人間です。

 少なくとも、お客は「神様」で従業員は「下僕」のような扱いを前提にするならば、相当なサービス料を支払わなければ割に合いません。

 ただ、残念ながら中には、単にレストランという職業で見下して、下僕扱いする人もいることでしょう。
 飲食や小売店の従業員なんて底辺だから、粗末に扱って良いと思っている人もいるかも知れません。

 かつての帝国ホテルの犬丸徹三社長(1887〜1981)は、名家の出身で、一橋大学を出ながらも、ホテルマンになりました。
 しかも、経営陣としてではなく、窓拭きやボーイ、コックとして下積みから働いたので、大学の同窓生からは「一橋大の名を汚すのか」と言われたそうです。

 しかし、犬丸氏は、仕事をはじめた頃こそ、自分自身でもホテルの仕事を蔑んで悩んでいたそうですが、修行を積み、ホテルの何たるかを理解してからは、ホテルの仕事を天職として誇りを持つようになったそうです。
 そしてついには帝国ホテルの社長となり、帝国ホテルのみならず、日本のホテル業界を世界レベルまで牽引した功労者と言われるほどになりました。

 そして今日では、有名大学を出て小売や飲食で働いている人は珍しくありません。
 特に飲食は、好きでやってる人が多い業界です。
 もっとも、よほど特殊な家柄の人はどうかわかりませんが、日本の90%以上を占める一般人に関しては、
学歴や職業で差別すること自体、時代遅れで恥ずかしいことです。

 これはもう、「人として」の品性の問題だと思います。

 サービスや料理に明らかな不手際があったならば、それは怒って当然だし、お店側も全力でお詫びすべきでしょう。

 例えば、料理に髪の毛が入っていた場合、確かに、食べる側にしてみれば、すごく不快です。
 そのせいで、半分も食べられなかった。そりゃあ、代金はいただけません。

 しかし、ステーキを注文して、赤味の部分は綺麗に食べて、脂身の部分を残して、「ちょっと、食べられない脂身がこんなにあったんだけど、これでお金を取るの!?」

 というのは、どうでしょうか。

 ヒレ肉ならともかく、サーロインやリブロースなどは、脂身がある程度あるのが当然の部位です。
 
それも含めての値段ですし、脂身が好きなお客さんもいます。
 
それを、自分は脂身は好きではないからと言って、脂身の部分を値引けというのは、無茶苦茶な話なんです。

 そりゃあ、三分の一も脂身だったら、さすがにお店の問題でしょう。
 ですが、200グラムのサーロインステーキに、20〜30g程度の脂身がつくくらいは、普通のことです。

 それで、その分を値引けと言うのは横暴な話だと思うのですが、こういうお客は結構います。

 でも、店側は、そういう相手にも、頭を下げて、お詫びしながらご説明し、作り直しをしたり、それでもご納得いただけなければ、値引きをすることもあります。

 しかしそれは、お客さんのほうが偉い・お客さんの言ってることが正しいから、お詫びしているわけではありません。

 そういう手合いには、常識が通じないから、まともに対応しても時間の無駄なので、とりあえず頭を下げて、さっさと帰ってもらいたいだけです。

 でも、店がこういう対応をしてしまうから、「お客様」は勘違いし続け、自分の間違いに気づかないんでしょうね。

 むしろ「ゴネ得」に味をしめている悪質なお客さんもいます。
 とりあえずいちゃもんつければ値引きしてもらえると思って、アラを探しては、確信犯的に言ってくる人もいます。
 そして、「どこどこの店だとこうしてくれた」とか、そんな話を引き合いに出して、しつこくねばってくる。

 それでも、ある意味「値引き交渉」的なスタンスなら可愛げもありますが、従業員と客という立場を利用して、高圧的な態度で言ってくる輩も少なくありません。

 いずれにせよ、わずかなお金を払うくらいで、横柄に振る舞い、従業員を下僕のように扱ったり、自分が気に食わなければ何でもクレームをつけてくる人を見てると、同じ人間として、すごくさもしい。すごく寂しい。

 飲食業をやっていて一番やるせないのは、こういうお客さんに遭遇した時です。

 最近、全国の色々な小売店で、従業員を土下座させるようなことが話題になり、そのたびに炎上していますが、そんなことをして当然と思っている輩がいるのが現実です。

 たかが買い物くらいで、自分の満足のために、相手の人権を潰してまでサービスを要求するなんて、常識ある人の行動とは思えません。

 また、「自分は神様だ」というのなら、神様らしく、従業員に対して、限りない慈愛の念をもって接してくれないのでしょうか?
 神様ともあろう方が、何故そんなちんけなクレームを簡単に口するのでしょうか??

 本来の、三波さんの言葉は、とっても素敵な言葉です。

 でも、それを飲食店や商店で悪用されたのは、まだ日本の社会や文化が発展途上だった時代の、過去の遺物として、なくなって欲しい習慣です。
  


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