お客様は神様じゃないB 

 お客様は、断じて神様ではありません。

 「お客様は神様だろ?」といって尊大な態度をとり、神様のように扱うよう求めるお客さん。
 残念ながら、自分が神様だと思っているお客さんには良いサービスはできません。
 細やかな気遣いをする気も起きません。

 逆に、紳士・淑女な態度で感じ良く礼儀正しいお客さん。
 むしろ、こういうお客さんは、神様のように感じて、一所懸命サービスしようという気にさせられます。

 レストランで良いサービスを受けたければ、"良いお客さん"であること、これが真理だと思います。

 「サービスの良し悪しを客のせいにするな」「客の態度によって対応を変えるプロ失格だ」、と思われる方も多いでしょう。
 ですが、サービススタッフも、料理人も、所詮はただの「人」です。

 素敵なお客さんには、最高の料理とサービスを提供しよう、という気にさせられるし、嫌なお客さんには、これでいいや的な料理とサービスで済ませよう、という気にさせられます。

 音楽家だって、真剣に耳を傾け、暖かい拍手を送ってくれるお客さんには、最高の演奏をしよういう気持ちにさせられます。
 しかし、上から目線でなんか演れよと言い、ああだこうだとヤジばかり飛ばしてくるお客さん相手には、気合の入った演奏をしようという気にはなれないでしょう。

 今も刊行が続いている、文藝春秋社の『東京いい店・うまい店』'79〜'80年度版には、執筆者が「このレストランはいいと思ったら、賢明な人は、ウェイターと仲良くなるように心がける。ウェイターに対して尊大ぶるのは、かえって紳士ではない」と書いていますが、レストラン側からすると、こういう考えの人は、「レストランの楽しみ方を知っている人だな」と思います。

 従業員とお客さんとの関係は、本来対等であるはずです。
 確かに、日本の慣習としては、飲食に限らず世間一般の営業でも、買い手と売り手との関係では、売り手の立場が低くなり、買い手の立場が上になる傾向はあります。

 ただ、レベルの高い企業ほど、たとえどんなに有力で大口の顧客であろうとも、尊大な態度を取ったり、取引先をぞんざいに扱ったりしないものではないでしょうか?

 「こっちは客なんだから偉そうにしていい」というのは、文化レベルが未成熟だった頃の、前時代的な感性だと思います。

 飲食業の従業員とお客さんの関係で、この「対等」であることを強調するのは、決して飲食店の従業員をもっと敬えとかいうわけではありまっせん。
 これも、本来あるべき「人として」の常識的なことであり、それに「対等」の関係にしたほうが、もっとサービスが良くなり、日本のレストラン文化のレベルが上昇すると思うからです。

 欧米のレストランでは、従業員とお客さんとの関係は対等で、従業員はお客さんに対して下手に出ることはなく、友人・知人レベルで接し、世間話をしたりします。

 もし、VIP的な接遇を求める場合は、それ相応の対価を支払うのが当然とされています。
 上等なサービスには、相応の労力がかかります。
 価値は、「物」に対してのみ存在するわけではありません。
 体を動かす肉体労働にも相応の価値があり、知恵を使う頭脳労働にも相応の価値があり、感情を消耗する感情労働にも相応の価値があるはずあり、そこに高いレベルのものを求めるのであれば、高い対価を支払うべきなのです。

 お客様の要望のために手間がかかった場合、お客様の要求に応えるために知恵を振り絞らなくてはならなかったり、お客様対応をするために感情を殺して愛想をふりまかなければならなかったりした場合は、その労働価値を認めるべきなのです。

 ただ、決して欧米のあり方が何でも良いと言うわけではなありません。
 チップなどなくても丁寧なサービスをする日本の風習は自体は良いことだし、むしろ世界に誇れるサービス力だと思います。

 しかし、そこで大切な意識は、そうした従業員の低姿勢な態度によって、「客のほうが偉いんだ」とか、「客はわがまを言って当然」「サービスは良くて当たり前」と錯覚してしまわないことだと思います。

 これはある意味、夫婦の関係にも似ているかも知れません。

 夫婦で、片方が仕事をし、もう片方が専業で家事をしている場合、家事をしている方は、相方が仕事から帰ってくるまでに、掃除を済ませ、夕食の準備をすることでしょう。

 そこで大切なことは、仕事から帰ってきた相手に「おかえりなさい、ご苦労様」と言いながらも、家事をしてくれたことに対しても、感謝の気持ちをもって「ただいま。夕食の準備、ありがとう」と言うことではないでしょうか?

 こっちが稼いで養ってやってるんだから、食事を用意して当たり前、洗濯も掃除も出来てて当たり前、という態度を取られたら、嫌ですよね?
 
それで、たまにできていなかった時に、「ふざけんな」と言ったり、「なんでビールが冷えてねぇんだ!」などと言って怒ったりするのは、横暴なことではないでしょうか。

 もちろん、昼間に遊んでばかりいて家事をなおざりにしてたのなら、それは怒って当然かも知れません。

 しかし、仕事から帰って来て、準備万端に整っていないことに腹を立てるのは、働いているほうが偉くて、家を守ってるほうが下、というような、前時代的な感覚があるからではないでしょうか?

 本来、夫婦は対等な関係であり、外に出て仕事をするのと、家を守ることは、分業であり、そこに上下関係はないし、あるべきではないと思います。

 お互いにリスペクトし、外に出て仕事をしてきた相手に対して、「ご苦労様」と感謝の気持ちを込めて食卓を準備し、逆に、自分が外に出ている間に家を守ってくれている相手に対して、「ありがとう」と感謝の気持ちを込めてお礼を言う、そういうものではないでしょうか。

 それも、特別なごちそうを作ってくれたから評価するのではなく、当たり前のことを当たり前にしてること自体、きちんと評価し、感謝すべきでしょう。

 お互いがお互いを認め、リスペクトし合う方からこそ、稼ぎの渡し甲斐があり、家事のし甲斐もあり、お互いにより良く務めよう、と思えるものではないでしょうか。

 レストランのサービスや料理も、仕事に対してリスペクトされてこそ、頑張ってサービスをしよう、美味しい料理を作ろう、という気になるものです。

 それを、金払ってんだから、サービスして当たり前、料理作って当たり前、という態度を取られたら、従業員も、いくらそれが仕事とはいえ、いい気はしないし、ましてやぞんざいに扱われるよいなものなら、余計にやる気を失っても仕方がないのではないでしょうか?

 日本人が、欧米のような厳格な契約社会になればいいと言うわけでも、ドライな個人主義になったほうが良いと言うわけではなく、日本人の良さを保ちながらも、前時代的な主従関係のようなものはなくし、お互いにリスペクトし合う関係になることによって、むしろ世界一のサービス文化の国になれるのではないか?と思います。

 

  


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