最近、飲食業界というと、労働環境が過酷だとか、カスタマーハラスメントなどがよく話題になり、ブラックな業界と思われがちな気がします。
飲食業は素敵な仕事ですが、飲食業界は、本来とても魅力的で、やりがいのある、ある意味とても「幸せな仕事」です。
よく、飲食業界のやりがいとして、お客さんから「ありがとうと直接言われること」が引き合いに出されますが、僕としては、そんな現象的なことでまとめてしまうのはどこか言葉足らずで、その本質は、「幸せの時間を共有できる」ことだと思います。
過大表現に思われるかも知れませんが、人が生きている中での、色々な「幸せの瞬間」を想像してみてください。
子供の頃、父や母に連れられてお出かけをすることがあるでしょう。
遊園地に行くのかもしれない。アニメ映画を観にいくかも知れない。でも、その一日の中には、必ず「食事」があります。
「今日は何が楽しかった?」なんて話ながら、ファミレスで色とりどりのメニューを開いたり、ちょっと日常離れした豪奢な店で、家庭料理では見ないような料理を食べたり。そして大きくなり、学校の友達と、部活の先輩と、遊びに行ったり、行動した先には必ず「メシ、いかない?」「メシ、どうする?」がある。
僕は、今でもはっきり覚えています。人生初めての、自分たちだけの、大人抜きでの外食。
仲の良い友達から、「ラーメン行こうや!」そう言われて、最初は「??」って思いました。
その時、僕ははまだ小学生で、子供だけで外食するなんて想像をしたこともなく、大冒険のようにすら思ってしまいました。
それで母に話すと、「行けば?」と言われてお金を持たされ、ドキドキしながら友達三人でラーメン屋に行きました。
近所の安いラーメン屋さんでしたが、その日のことは、一生忘れることがないだろう思い出になっています。高校生、大学生となり、行動範囲も使えるお金の金額も増えると、それに伴って外食先も広がります。
部活の遠征の帰り、文化祭の打ち上げ、新歓コンパ、サークル仲間とのはじめてのイベント、様々なシーンに「外食」が登場します。高校生の時、初めての彼女との初めてのデートは外食でした。
大学生の時、意中の女の子と仲を深めるべく誘った場所も外食。そして、どこかにデートに行くとなれば、必ずといって良いほど外食が関わります。そして、部活の引退式、卒業旅行、就職先の内定者交流会、入社式の懇親会、音楽仲間の誕生日会、友達の結婚祝い、結婚披露宴、兄弟の結婚相手のご両親との顔合わせ会、昔の仲間との同窓会……
……とにかくとにかく、人生のあらゆるシーンにおいて、そこかしこに「外食」が登場します。その外食のシーンが、どんなシーンであるかによって、当然その日の充実感・幸せ度合いは大きく変わります。
もちろんそこには、単純に外食のメインである料理が美味しい・美味しくないの話はありますが、それは外食という行為の中の、一つの要素に過ぎません。
外食は、人生に彩を与え、スタッフはその「幸せの瞬間」に立ち会います。
食べること自体が目的とも限らないのです。またそれも、特別なお祝いのような瞬間だけとは限りません。
高級店だけでの話でもなく、大衆食堂であろうとも。お洒落なカフェなんかではなく、ファーストフード店だろうとも。何気ない、友達との食事会、彼女とのデート、家族の夕食、そんな日常の流れの中の一コマが、忘れられない思い出の一日になることだってあります。
そして、その外食の場をプロデュースし、その空間をライブで演出するのが、外食のスタッフです。
外食の場が、ただの栄養補給の場になるのか、素敵な時間になるのか、それを仕掛け・実現するのが「飲食」という仕事なのです。もちろん、場合によっては「不幸な時間」になってしまうこともある。
だからこそ、知識や技術が求められ、それが店のあり方・従業員のあり方次第となれば、そこにやり甲斐がないわけがない。
来店された人に、幸せの舞台を提供し、そして幸せを感じ取ってもらえ、その時間体験に対して「ありがとう」と言われるから嬉しいのです。素敵な演奏や舞台、映画が、オーディエンスに充実した時間を感じてもらうのと同じように、外食も、そこにいる人に充実した時間を感じてもらう仕事、それが「飲食」なのです。
僕はミュージシャンを目指していたからそんな表現の仕方をするのかも知れませんが、店の佇まいから、内装、調度品、サービス、調理、それら一つひとつが、奏でる音と同じようなものにも思える時があります。
そんな仕事が、楽しくないわけがない。
人を幸せにして社会を華やかにする、素晴らしい仕事だと思います。だから、今も昔も、老いも若きも、安定した仕事を持っている人であっても、「いつか自分の店を持ちたい」「居酒屋をやりたい」「カフェを開きたい」なんて人が必ずいます。
そこには、単純にサラリーマン生活に嫌気がさして「手っ取り早く一国一城の主になりたい」という動機があるかも知れませんが、そこで「飲食」という手段が選択されるのは、外食に幸せなイメージ、楽しいイメージ、理想とする時間を空間のイメージがあるからこそ、そういう想いに駆られるのではないでしょうか?
そして事実、外食の場には"それ"がある。よく、「外食は世の中にあってもなくてもいいもの」という人がいますが、この世の中から外食が消えたら、めちゃくちゃつまらないものになると思います。
外食という仕事を蔑む人がいますが、それは、人生をつまらなくしているのと同じだと思います。誰だって、リスペクトしている人から影響されたいし、尊敬する人から言葉をもらえば、それは宝石のように感じられるかも知れない。
軽蔑している人の話を聞きたいとは思わないし、馬鹿にしている相手から言葉をもらっても、何も嬉しいとは思わない。「外食」という行為を楽しいものにするのか、取るに足らぬものにするのかも、その人の心の持ち様からはじまります。
もちろん、最終的に幸せな時間体験となるか、リスペクトに値する存在足り得るかは、飲食に従事する人間次第ではあります。外食の価値を見出すことは、人生の楽しみを見出すことと同じだと思っています。
そんな、人生に楽しみや喜び、そして幸せを創り出せる飲食という仕事は、とても魅力あふれる仕事だと思います。