レストランの存在意義

 飲食店の一番の役割は、言うまでもなく人間の空腹を満たすことです。

 ですが、飲食店には町の食堂から高級レストランまで、様々な業態があります。
 その中で「レストラン」という存在は、単に空腹を満たすためだけではなく、それを超えた幸福感のような満足を与える空間だと思っています。
 
ただこれは、グランメゾンだとかビストロだとか、リストランテとトラットリアの違いとか、厳密に定義分けをして言っているわけではなく、あくまでもイメージレベルで、単なる「食堂」ではなく「レストラン」というものの話です。

 僕はレストランの責任者になると、店の目指すべきものとして、必ず従業員に話すフィロソフィがあります。

「この店に関わった全ての人が、幸せな時間・空間を過ごせること」

 どんな調理やサービス、レシピや手順、接客用語やサービスマニュアルがあろうとも、全ての判断基準はこれだ、と。

 言うは易しで、実現することは簡単ではありません。
 でも、目指している店、向かっている理想形はこういう店だということを話し、新人にも最初に必ず話すようにしています。

 そこにはもちろん、お客さんだけではなく、従業員も含まれています。
 来店されたお客さんに良い時間を過ごしてもらうこと、それはもちろん大前提として、従業員にとっても良い時間であること。

 レストランを利用するお客さんの動機は様々でしょう。
 とにかくお腹いっぱいになりたいだけの人もいるだろうし、美味い物を期待している人もいる。
 家族と、友人と、恋人と、良い時間を過ごしたいという想いを持って来店されることもあるだろうし、機嫌を損ねた奥さんをなだめるために来られることもあるでしょう。
 人それぞれに背景と動機は異なるかも知れないけれど、「この店を選んで良かった」と思ってもらえること。
 それが一番大事なことだと思っています。
 
同じように従業員も、とにかく金さえ稼げればいいと思って働きに来た人もいるだろうし、接客や調理に憧れて入った人もいるだろうし、何となく友達に誘われて入った人もいるでしょう。
 人ぞれぞれに背景と動機は異なるでしょうけれど、やっぱり「この店を選んでよかった」と思ってもらえること。

 「お客様至上主義」のために従業員が嫌な思いをして働いていたのではいけないし、といってもちろん、従業員が楽しむためにお客さんを蔑ろにしたら本末転倒です。
 しかし現実には、お客さんに嫌な思いをさせてしまったり、従業員が嫌な思いをすることはいくらでもある。
 それでも、その両立を常に考えてぐるぐる回りながら、迷ったり悩んだり、試行錯誤しつつ、心の片隅にずっと思っていることが、このフィロソフィです。

 でも、100%ではないにしても、その幾分かでも実現できていてこその価値が生まれ、それこそがレストランのレゾンデートルだと思います。

 「レゾンデートル」とは、存在価値とか存在意義といった意味の言葉ですが、企業の存在意義としてもよく用いられる言葉で、僕の好きな言葉です。
 この言葉を知ったのは、大学時代、哲学にはまっていた時にこの言葉を知り、それ以降、何かあるごとに「これのレゾンデートルってなんだろう」と考えるようになりました。
 
そして就職し、「企業のレゾンデートル」といった話を耳にするようになってから、ますます重要だと思うようになりました。

 僕は、レストランの現場では、結構店に長時間いる人間でした。
 最近では「働き方改革」の言葉がもてはやされるし、長く働けば偉いというのは旧時代の誤った考えだとか、仕事が出来ない人の働き方だと言われがちですが、僕は決して長くいることが偉いと思って長く店にいたわけでも、人手が足りないから店に長くいたわけでもありません。

 美食の国・フランスの、歴史的にも有名な美食家ブリヤ・サヴァランは、その著書の中にこのような言葉があります。

「主人は、客人が家にいる限り、その客人の幸福について責任がある」

 これがまさに、レストランが世の中で果たすべき責任であり、それを実現してこそのレゾンデートルではないでしょうか?

 だから、特にマネージャーになってからは、それを意識するとどうしても店に長く居ることになってしまいました。

 もちろん、任せられる部下がいれば任せれば良いし、そうした部下を育てるのがマネージャーの責任でもありますが、少しでも気がかりなお客さんがいたら、そのお客さんが帰られるまでは気になってなかなか帰る気になれなかったからです。

 飲食店といっても所詮はビジネスだし、特に雇われでやっている限りは、綺麗ごとばかりではないのが現実ではあります。
 偉そうに言っている僕自身も、いつだって100%でやれているわけでもなければ、適当にやってしまっている時もあります。
 けれど、どんなに時代が変わろうとも、レストランの普遍的な原理原則はそこにあり、それが存在しない店はただの「栄養補給場」であり、「レストラン」ではないという思いは持っています。

 子供の頃に家族と過ごした・学生時代に友人と過ごした・そして恋人と過ごした「幸せな外食」、それを提供してくれた「カッコイイ従業員」、これがレストランの存在価値であり、それが実現できてこそのレストランの存在意義ではないでしょうか。


 


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