味覚と味付け

 味の好みなんて人それぞれで、それで味覚の優劣を問うのはどうかと思います。
 結局、その人にとって美味しいと思うものが、美味しい物です。
 食通と呼ばれる人がどんなに高く評価しようとも、それを美味しく感じない人がいたら、その人にとっては美味しくないわけで。

 よく、濃い味が好きな人は味覚音痴だとか、歳をとると濃い味が苦手になる、なんて話があります。
 こうした話にも疑問に思う部分があります。

 人は、その人の身体が求めるものを欲することがあります。
 よく運動する人や、汗をかく仕事をする人は、塩分を失うため、塩の強い味付けを好む傾向にあります。
 これは味覚の問題ではなく、塩分を欠乏すると人は生きていけないため、体が求めているだけです。

 これは僕自身も経験上強く感じることで、レストランの現場で汗をかきながら働いていた時は味付けの強いものを好んで食べていましたが、一時、オフィス勤めを五年ほどしていた時は、年々薄味嗜好になっていき、料理に入れる塩の量がどんどん減っていきました。
 
刺身につける醤油は数滴でよくなり、昆布締めヒラメなんかは醤油すらいらない(昆布締めの際に軽く塩をきかせているので)くらいになりました。

 僕は以前、食塩水をつかった調査で味覚の感度を測ったことがあり、常人ではほとんど感じることができない微量な塩分も感知できる、いわゆる「スーパーテイスター」だったので(しかもかなり低い量でも感知できる)、そうした元々の体質のせいもあるのかも知れません。

 ですが、自分でいうのもなんですが、だからなんだよ、とも思う。
 常人に気付かないレベルの味を感知できたらといって、つまり世の中の人の大半は気付かない味ってわけですから、現実にはほとんど役に立たない味覚です。ていうか、立たない。
 グルメ漫画なんかでは、鋭敏な味覚の持ち主であると優れた料理を作れるように描かれますが、そんな一部の人にしかわからないレベルの味って、つまりはほとんどの人には理解出来ない味ってことですよ。
 この仕事をやっていて思うのは、むしろ鋭敏な味覚であることより、標準的な味覚の人のほうが、万人受けする味を判断するには優れてるんじゃないかと思うくらいです。

 けれど、そんな僕でも、毎日汗をかいて仕事をしていると、やっぱり塩のきいたものが食べたくなる。
 あと、ストレスが溜まってる時なんかは、別の意味で味付けの濃い物を食べたくなります。

 また、「料理にあった味付け」というものもあります。

 例えば僕の場合、ご飯だとか野菜なんかは、塩はあまりきかせたくない。
 それこそご飯なんて、塩なしでも十分美味しいと思う。
 野菜はドレッシングをかけません。
 といって、さすがに塩なしだと飽きるので、味付された料理と一緒に食べてちょうど良い感じになるくらい。
 和食の出汁も、昆布とカツオで出汁をとったら、塩なんて一切いれずにそのまま飲むのが大好きです。
 (削り節や昆布自身に微量ながら塩分が含まれているので)

 けれど、肉に関しては、かなり塩が強い方が好きです、むしろ、普通の人よりも強くきかせるくらいです。そのほうが肉の旨さが引き立つと思うからです。
 魚も、刺身だと塩は弱くて良いけど、焼いた魚となると異なり、脂の強い魚の場合はしょっぱいくらいが好きです。
 ただ、脂の少ない魚だと塩は軽いほうがよい。

 自炊をする時に、化学調味料は、ほぼ使いません。
 味の素はもちろん、アミノ酸やたんぱく加水分解物、○○抽出物といったものが入った調味料も一切使いません。
 ただ、中華料理、これだけは別で、化学調味料を使用します。
 これはもう、ソフルフード的なものですね。関西人にとって中華は、王将やaaといった大衆中華の洗礼を受けているので、中華炒飯や焼きそばとなると、化学調味料の入った味がスタンダードになってしまっているからです。
 もはや味の濃さとかの問題ではなく、あの味でないと、精神的な満足感が得られないわけです。
 「おふくろの味」というのもそうでしょう。
 美味い、美味くない、という問題ではなく、「あの味そのもの」という話ですよね。

 結局、味付の基準なんて、料理のタイプだとか、その人の人生経験次第なのです。
 だから、濃い味付けが過ぎだからどうだとか、ジャンクは味を好むやつはどうだとか、そんな簡単に言えるものではないのです。
 僕の経験をベースに説明しましたが、同じように、人は誰しもそれぞれに異なる嗜好があると思います。

 歳をとると濃い味が苦手になるというのも誤解があります。
 むしろ、人間は年を取ると味覚が鈍っていくので、歳と共に濃い味付けを好むようになるのが普通です。
 ただこれは塩分や旨味的なことであり、脂のようなこってりした濃さとなると、体が求めていないので苦手になるのです。

 味の違いや差に気付かないのは鈍いといえるのかも知れないけれど、濃いから・薄いからというのは違う。
 また、差に気付くというのも、その日の体調だとか、お腹の好き具合によっても違うように思う。

 何が言いたいかというと、変に食通ぶるために薄味を評価したり、濃い味が好きな人を味覚音痴のように言うのは的外れだということです。
 某グルメサイトをはじめ、美味いまずいといった情報を発信しやすくなった今日、自分にとって「美味い」「うまくない」を発信するのは自由だし、食とはそういうものだと思いますが、食通とはかくあるべし、みたいなスタンスで、味覚そのもののに優劣があることを前提に語るのは、ちょっとズレているように思います。

 


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