ホリエモン(堀江貴文氏)が、"寿司職人として一人前になるためには「飯炊き3年、握り8年」の修行が必要"という、寿司業界の話に対して、「問題なのは職人としてのセンスで、何年も修行するのはバカだ」とツイッターでつぶやいたらしいです。
料理人に長年の修行は必要か?今時、修行をするのはナンセンスで、料理学校に数か月間通えば十分で、自己流でやっている人もいる、とのこと。
自分は洋食の人間ですが、飲食業界では和洋問わず、長年の修行の是非については、似たような話があります。
飲食業界の僕から言わせれば、ホリエモンの言っていることは、半分正しくて、半分正しくないと思います。
もし、寿司業界で、本当に「飯炊」だけで三年、「握り」だけで八年とするならば、その他にも洗い場や、魚の扱い・仕込みなど、さらに年月が要ることになり、そりゃさすがにかかりすぎだと思います。
でもたぶん、これは言葉のアヤで、「一人前になるには十年以上かかる」ということが言いたいのだと思いますが、それならば、決して間違いではないと思います。
素人が趣味で寿司を握るのなら、数か月でも、そこそこのモノが作れると思います。
また、「握る」など個々の技術に限定すれば、器用な人なら結構短期間で習得できると思います。洋食だってフレンチだってイタリアンだって、趣味のレベルであれば、同じことが言えます。
しかし、「仕事」として料理を作るとなると、別問題です。
何が違うかというと、「仕事にする」ということは、「商売として成立する」ということだからです。
商売として店をやるなると、料理を作るだけではなく、仕入れ、仕込み、調理、接客、清掃、経理、etc...
商売として成立させるには、一皿の料理を美味しく作れるだけでなく、やることは山のようにあります。そしてそれらを、素早く、段取り良く、しかも常に一定の水準で出来なければならず、数字や計算が苦手だとも言ってられません。
自分一人だけで店をやるとなると、寿司を握る以外の仕事も全部が自分の仕事です。飲食店の営業時間は、昼夜11時〜22時くらいあるから、自分一人でこなすとなると、早朝から深夜までずっと仕事しなければならず、下手をすると寝る時間がなくなってしまいます。
もちろん、無理に一人でやらなくとも、必要なら部下やバイトを雇えばいい話です。
しかしそうなると、指導力、コミュニケーション力など、人間的な技術や能力も必要になります。正社員を雇ったら、保険料、福利厚生など、人件費は高くつくし、といってバイトにすれば、突然「熱が出たので今日休ませてください…」と言ってくる学生にどう対応するのか?? というようなレベルでの悩みも出てきます。
接客だって、寡黙で愛想もクソもない、いわゆる「職人気質」な態度だけでお客さんから支持されるなんてことは今の時代では難しく、現実には、それこそネットでよく話題になる「モンスタークレーマー」的な相手も含めて、様々なお客さんをあしらう接客技術も必要になり、それには相応の人間力というか、もはや忍耐力のような、心の修養的なものだって必要になってきます。
「三年」と文字で見ると長そうですが、実際、三年なんて、あっというまです。
料理界は高卒者が多いので、十九で修行を始めるとして、十年修行をして独立しても、二十九歳です。
独立するのに、そんなに遅い年齢とは思いません。独立してから腕を磨けばいい、と言う人もいますが、お客さんを練習台にしながらやっていける人なんて、金持ちのボンボンが道楽で店やってる場合だけです。普通の人がそれをやったら、腕を磨く前に破産します。
そうした、飲食業トータルの知識や技術をこなすには、やはり相応の経験が必要になるでしょう。
それら全部を本人の資質、センスだけで片付けるには無理があります。
料理作りのセンス、運動神経のセンス、数字のセンス、対人コミュニケーションのセンス、それら全てを素のままで持ってたとしたら、それはもう一握りの天才であって、一般論とは言えません。ただ、確かに「修行」と称して、仕事をロクに教えなかったり、下積みばかりをさせて安い給料でこきつかうような「しきたり」は、はっきりいって悪習です。
実際には、それこそある程度のセンスのある人なら、一人前になるのに十年はいらないでしょう。
そういう意味では、ホリエモンの指摘は正しい。
しかし、さすがに三か月は無理じゃないかと…ほんと、一年なんて、あっという間です。
魚を捌くのだって、素早くムダなくおろせるまでは、毎日やってても、結構な経験が必要です。寿司屋となると、何十本もの魚をおろすでしょうから、相当な素早さ・手際の良さが必要になりますが、
冬場なんて、冷たい水で魚を洗ってるだけで、手どころか、心臓まで凍りそうなつらさです。
これに慣れるだけでも、結構な修練が必要でしょう…といって、魚屋で刺身用におろしてもらうとなると、仕入れ値がグっと上がります。
それで、何円で売るのか?それで商売になるのか?こうしたことを考えるのも、商売となると、すごく重要で大変なことです。
商品の値頃感や、作業工程の時間感覚を知るのも、実は修行のひとつなんです。もっとも、料理人は座学でそれらを学ぶというよりは、師匠のマネから始めることが多いです。
だから、自分の理想に近い店で修行し、体得するわけです。ただ、ホリエモンの言わんとすることが、自分が出来ないことは出来る人間を雇えば良いとか、ということかもしれませんが、そうなるともはやプロデュース業であり、修行の話とは論点が違います。
もちろん、そのやり方自体はビジネスの手法として間違っていませんが、そうなったら極端な話、寿司の技術なんて一切なくとも寿司屋は開けられます。
「俺は親方だが、俺が考えるのは店の方針と献立だ。魚をさばいて寿司を握るのは君らの仕事だ」「接客は君に任せた」と言って、別に職人や女将を雇って営業していたとしたら、それはもう寿司職人でもなんでもなく、ただの寿司屋のオーナーです。
確かにそれなら三ヶ月くらいで寿司屋の経営に必要なノウハウを習得できそうですが、そうなるともはや「飲食店の開業ノウハウ」の話であり、「料理人」としての修行とは全く別の話です。飲食は、参入障壁の低い業界です。
単に「独立できるか」どうかだけで見れば、そもそも特別な資格なんて必要ないのだから、お金さえあれば、誰だってすぐに店を開けます。それだけ、ある意味「簡単」な業界かも知れませんが、その分、競争も激しい業界です。
ありきたりの知識と技術では、生き残ることは難しいのが現実です。ただ店を開けば「独立」ではなく、商売として成立してこそ、本当の意味での「独立」と言えると思います。
もっとも、ホリエモンにしてみれば、そうした「職人」の議論には本質的には興味はなく、単にビジネスとして成功できるかを目的にしてそうなので、議論がかみ合わない気がします。
ですが、こと「寿司ビジネス」ではなく、「寿司職人」と限定的に表現するのであれば、修行を完全否定するのは、無理があると思います。確かに、修行せずに独学で成功する人もいますが、それはあくまでごく少数の天才だけでしょう。
これを言いだしたら、どの業界でもそういう特殊な人はいるもので、音楽の世界でも、楽器をはじめて数年でプロになる天才的な人もいれば、子供の頃から十年以上続けてやっとプロになる人だっています。
人によって・教え方によっては短期間で物事を習得できること自体はわかる話だし、たとえば接客部分や計数管理な部分とかは、生来コミュニケーション力が高い人や計算の強い人なら長く修行する必要なんてないので、十年の修行が絶対必要かと言われたらそんなことはないと思いますが、誰かの下について、何年もじっくり場数を踏んでから独立する人自体は、決して「バカ」ではないと思います。