東京ミシュランに思う

 日本に上陸して話題になった『東京ミシュラン』。

 評価については賛否両論ですが、僕には、どうもよくわからない批判があります。

 「外国人に日本料理の味がわかるのか?」

という批判です。

 この批判は、僕には意味がよくわかりません。
 こう思ってる人って一体、ミシュランに何を期待しているのでしょうか?

 ミシュランは、ミシュランです。
 日本料理に詳しい人の評価を知りたいのであれば、日本人のグルメガイドを読めば良いのではないでしょうか。
 それをなぜミシュランに期待するのでしょうか?

 また、そういう批判に対し、ミュシュラン自身は、

 「調査員に日本人を入れているので問題ない」

と返しているそうですが、それもミシュランとして意味があるのか?と思います。

 『東京ミシュラン』を作るために、わざわざ新しく日本人調査員を加えたりしたら、それってミシュランなんでしょうか??

 『ミシュラン』というブランドなのに、日本の料理評論家が採点するのなら、そもそもミシュランなんて読む必要なく、最初からその人のグルメガイドを読めばいいですよね。

 日本料理の味がわかるかどうかなんて、はっきりいってどうでもよく、『ミシュラン』である以上、「ミュシュランに調査員にとっての日本料理の評価」で、何がいけないのでしょうか。
 それでこそのミシュランだと思うのですが。

 もちろん、それで日本料理を、正しく評価できるかどうかはわかりません。

 しかし、もともとミシュランの趣旨は、タイヤメーカーのミシュランが、西洋人の旅行者のために作ったガイドだったはず。

 だから、西洋人による西洋料理の評、端的にいえば、フランス人による、フランス人のための、フランス人が納得する日本のレストラン評(あるいはイタリア料理だったり)、をしてくれれば、それで良いのではないかと。
 そのほうがよっぽどミシュランらしいとい思います。

 でも、『東京ミシュラン』は、実質的に日本人向けに作られたようなものでしょう。
 だから、こうした現象が起こるのでしょうね。

 でも、なればこそ、例えばフランス料理店の評価となれば、まさに西洋人の価値観のみで評価したほうが、日本人にとっても喜ばしいのでは?

 日本人好みのフランス料理店の評価を聞きたいなら、最初からミシュランなんて不要です。

 ミシュランに期待するのは、本場ミシュランの調査員が、100%ミシュラン基準で、東京の西洋料理店を評価してくれてこそ、本物の『東京ミシュラン』ではないでしょうか。

 そうすることで、フランスと全く同じ調査員が、フランスと全く同じ基準で三ツ星をつけたら、それはまさにフランスまで海外旅行をしなくても、フランス本国の三ツ星を体験できるというお墨付きをもらったということになり、だからこそ日本人にとって値打ちのあるガイドになり得るのだと思います。

 そういう意味では、寿司屋や和食の店を評価対象に入れる必要性すら感じません。

 日本の伝統ある「焼き鳥屋」が入っていない、などという批判もありましたが、これも僕には意味がわかりません。

 『ミシュラン』という世界的権威の下、わざわざそうした店を、“日本の味がわかるフランス人”(?)に、星をつけてもらいたいのでしょうか??

 なんなんでしょうね。

 このへん、外国ブランドに弱い日本人の国民性が良く出ている気がします。

 もちろん、本来のミシュランの趣旨通り、海外の旅行者が日本に来た時のおすすめの店、という意味では必要と言えなくもない。
 でもそれって本当に、日本料理店が必要なのでしょうか…?

 逆の立場からすると、日本人がフランスのフランス料理店やイタリアのイタリア料理店を評価したガイドブックってことでしょう。
 それはそれとして意味があるかも知れないですけど、それが本当に知りたい情報なのかなあ。

 個人的には、『東京ミシュラン』は、本国フランスのミシュランと同じ調査員が、日本の西洋料理店だけを評価してくれれば、それで十分だと思います。

 


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