高級ブランドと実用性

 バブル時代以降、日本人は勝ち組・成功者の証とばかりにブランドものに飛びつきがちです

 ただ、前の記事でも書きましたが、猫も杓子もブランドに手を出す性質はアジア人特有のもので、ヨーロッパでは、一般庶民は高級ブランドにほとんど手を出さないそうです。
 バブル時代、「シャネラー」などと呼ばれた、シャネル製品で身を固めた若い女性が流行したり、女子高生の間でバーバリーのマフラーなどが大流行したりしましたが、ああいうのは欧米では考えられないことだそうです。

 ただ、よく「高品質なものを求めると自然にブランド品になる」という主張については、これも前の記事でも触れましたが、それって本気でモノの品質を理解した上で言ってるの?? と思うことがあります。
 それは、
実用性」の意味での品質となれば、必ずしもそうではないからです。

 財布や鞄といった革製品の場合は、安物よりもブランドものの方が丁寧に作られているため、丈夫で実用性が高い事が多いのは確かでしょう。
 しかし、服や靴、時計となると、「実用性」という意味での品質となれば、むしろハイブランドのほうが実用性が低い場合が少なくありません。

 例えば、「デキるビジネスマンは良い靴を履く」と言う話があります。
 確かに合皮と本革なら本革の方が良いのはわかる話ですが、といって、普通の営業マンがジョン・ロブやエドワード・グリーンといった高級革靴を履くのは、正直どうなのか?? と思います。

 何故なら、高級革靴は基本的にレザーソールです。
 レザーソールの靴が歩きやすいか? と言えば、はっきりいって逆です。
 歩きやすさだけならゴム底のほうが明らかに上です。
 長く履いていると独特のフィット感は生まれますが、足に馴染むかどうかなら安物の合皮の靴の方が足に馴染むのは圧倒的に早い。
 特に、レザーソールは雨の日は滑って危険だし、クッション性など様々な観点から考えたら、イギリスやイタリアの高級ブランド靴なんかよりも圧倒的に安くて実用性の高い靴はゴマンとあります。

 ではなぜ、そんな実用性の低い靴がいまだに富裕層の間で支持されているかというと、本来そうした高級革靴はイギリスの上流階級のための履物だからです。
 そういう人たちは、そもそも長時間歩き回ったりしません。
 階級社会のイギリスでは、労働なんてしたことがないし、する必要もない、ただ資産運用だけしていれば暮らしていけるような貴族階級がいまだに存在し、ビジネスマンにしても、仕事中は基本オフィスにいて、移動には車を使い、雨道を歩くことなんてない超エリートが、そういう靴を履くわけです。

 「雨の多いイギリスでほんとかよ」と思うかも知れませんが、スーツの発祥地であるイギリスで、白いワイシャツがスタンダードになった理由をご存知でしょうか?
 スーツが生まれた当時のイギリスは、産業革命時代。街に出ると、工場や汽車の排煙で服がすぐに煤だらけになった当時にあって、いつでも真っ白なシャツを着ているのが、裕福で粋な証だったからだそうです。

 実用性能が低いものを使っていることがむしろ、高い実用性など求めていないステータスであることの証でもあるわけです。
 超高級車になると燃費の概念がどうでもよくなるのと似てますね。

 そこに日本の営業マンが、「ビジネスマンの嗜みだ」とか言って高級靴を履くのは、何か違う気がします。
 もちろん趣味として持つのは良いと思いますし、合皮より本革の方が綺麗で長持ちするからそれなりの靴を履こうというのはわかりますが、実用性の域を超えた、嗜好品レベルの高級靴を「身嗜み」というのはむしろ大きな勘違いだと思います。

 よく、「欧米のホテルに行くとホテルマンは必ず靴を見る、良い靴を履いてると対応が良くなる、ゆえに高級靴は欧米では嗜みだ、安い靴を履いてるとなめられる」というロジックを展開してる人がいますが、これはあくまで「良い靴を履いてる=金持ち=チップが期待できる」から対応が良くなるだけの話であって、靴でリスペクトを受けていると思ってるとしたら、本質論としては大きな勘違いです。

 服もそうで、劣悪な縫製でペラッペラの安物服が酷いのはわかるとして、高い服なら長持ちするかといったら別の話で、たとえばイタリアの高級生地の衣類は繊細に作られているため、擦れたりひっかけたりするとすぐに悪くなるものが少なくありません。
 スーツにしても、日本ではゼニアやロロピアーナといったイタリアの超高級生地の人気が高いですが、ああしたイタリア生地は糸が細くて目付が粗いので、耐久性はめちゃくちゃ低く、鞄を肩から掛けたりしたら、生地の表面がすぐだめになったりします。

 実用的な品質を求めるならイギリスのほうが強いし、御幸毛織や葛利毛織といった日本の生地は世界でトップクラスに良いです。
 そうしたモノの価値を理解してチョイスすることが大事です。

 それこそ腕時計なんて、高級腕時計の主流である機械式時計の実用性は、安物のクオーツ時計よりはるかに低い。
 時計オタクの中には電池で動くクオーツ時計は本物の時計じゃない、とかいう人がいるようですが、機械式時計なんて、所詮は電子機器が進歩していなかった時代の遺物に過ぎません。
 時間はすぐ狂うし、精密機械なので壊れやすいし、手巻きにいたっては不便でしょうがない。
 実用性だけで見れば、100万円の高級機械式時計よりも、100均でも買える電池式クオーツ時計のほうがはるかに上です。
 本来の「技術の進歩」という点では、機械式時計よりもはるかに高性能なクオーツやソーラー時計の方が、正統な時計と言えるはずです。「ブラウン管のテレビこそ本物のテレビ」「そろばんこそ本物の計算機。電子計算機は邪道」なんていう人はいないでしょう。

 もちろん、量産された食器より手造りの陶器を愛でるがごとく、職人技によって作られた複雑な機構と技術の詰まった高級時計を愛でるのはもちろん自由です。
 数秒単位の時間になんて縛られない自由な立場にいるから精度は求めてない、というのも正論です。
 しかし、高級時計を買っている人はみなそういう時計オタクだったり、自由な立場にいる人なのか? というと、そうではないでしょう。
 結局のところ、見栄やステータス感を求めてロレックスやオメガをしている人が大半じゃないかと思います。

 純粋に自分が気に入ったものがたまたま有名ブランドだった、というのであれば、それはそれで良いと思います。
 実用的な品質という本質的な価値を意識した結果、それなりの物になってしまうというのもわかる話です。
 しかし
大事なことは、あくまで「モノの品質」と「自分の好み」で決めることであって、「いい大人ならそれなりのブランドものを身に付けるべき」とか言って、ブランドものじゃない物を使っている人を下に見たりするとか、そういうのは勘違いも甚だしいと思います。

 少し前に亡くなられた、芸能界きっての伊達男として知られていた、俳優の藤村俊二さんは、ある本の中で、このように言っています。

人よりよい服、人よりよい車。
そう考えるより、自分の好きな服、自分の好きな車。
そこを起点にするほうが楽しいです。
何事も比べちゃいけません。
不幸は、人と比べることから始まると思っています。

 藤村さんは、靴を買うならわざわざイタリアまで行って作らせ、自分のバーを開いた時は、イギリスの職人にイギリスで作らせて、それを日本まで運ばせるくらいのこだわりの人でしたが、ジャケットは吊るしの既製服を着て、自分が気に入れば、縁日に100円くらいで売っていた小物を調度品に使ったりと、そういう人だったそうです。

 人と比べるためにブランド物を買うのではなく、あくまで自分の感性に従った生き方。
 
そんな生き方はとても素敵だと思います。

 


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