派閥の良し悪し

 
 組織において、派閥は必要なのだろうか。
 
政治の派閥や、企業の社内派閥というと、どことなくいい聞こえはしない。
 むしろ、どこの派閥にも属しない一匹狼というほうが、格好良くすら見える。

 でも、世の中の大組織には、そんな「いい聞こえはしない」派閥があるのが当たり前らしい。

 もっとも、それは人間の行動学として仕方のないことなのかも知れない。
 企業でなくとも、中高生のクラスでも、学生の部活やサークルなんかでも、大きな組織にはグループが出来てしまうものです。
 それが大人の組織になると、「派閥」となるわけです。

 派閥が形成されていくにあたって、入会届けがあるわけでもなかろう。
 
実際のところ、多くの企業では、直属の上司や、自分に目をかけてくれたり、評価して引き上げたりされていくうちに、グループのようなものが生まれ、その中で強いリーダーシップのある人が権力のある地位に就くことで、それが派閥として自然形成されていくのでしょう。

 結局は、現象の結果であり、派閥の構成員としては、どれほど明確に派閥意識を持っているか? というと、意外とはっきりしていないのではないかと思います。
 
本人達が派閥と思っていなくとも、グループが形成され、そのグループが組織の中で力のある存在だと、それは一種の派閥と認識される可能性が高い。

 また、自分がそのグループに所属していると思っていなくても、そのグループの中心人物と親しい関係にあれば、傍からはその一派と見做されてしまうこともある。

 僕自身も、かつて、自分の会社内で派閥闘争のようなものが起きた時、その片側のグループの中枢にいる人と個人的に親しくしていたため、派閥争いに巻き込まれそうになったことがありました。

 派閥闘争が起きている時、その派閥の中の一人から、協力をお願いされたのです。
 それまでの付き合いを考えると、無下に断るのも気まずいが、僕の信条として、業務に派閥的な判断を混在させるのは性に合わず、ましてや企業価値に繋がらない派閥争いに加担するのは嫌だったので、その場しのぎに話だけあわせ、結局何も協力しませんでした。

 また、その派閥のまさに中枢にいる別の人が、社内に口説きたい女性がいて、僕がその女性と個人的に親しくしていたため、飲み会のセッティングを頼まれることがあったりもしました。

 僕自身は、その派閥争い自体には一切かかわっていませんでしたが、派閥闘争が先鋭化している最中に、その中枢にいるメンバーからコソコソとそんな話を持ち掛けられていたので、周りからはその一派と見做されていた可能性はあります。

 少し話が逸れてしまいましたが、大組織を動かすには、一人の力では限界があります。
 だから、ブレインやチームを結成するのは当然のことです。
 それが、純粋に業務遂行のためのチームであれば問題ありませんが、派閥となると、微妙に感じる部分はあります。

 でも、チームなのか、派閥なのかの違いは、判断が難しい。
 人間なんて、ゼロかイチかじゃないですからね。

 野心を持つことも、権力のある地位に就きたいと思うこと自体は、健全なことです。
 けれど、どこまでが純粋で、どこからが悪どいのかなんて、微妙な話です。

 それに、人を動かすのは、必ずしも理論や正論ではなく、人間感情、そして何より、個人の利害関係の影響力のほうがずっと大きいようにも思います。
 だから、業務上の成果を目的としたチームより、個の利益を目的とした派閥のほうが幅を利かせるのでしょう。
 そして、利害関係によって結びついた関係のほうが、心理的にも強いモチベーションとなり、業務・任務を力強く遂行するのが現実だったりして、その結果として「派閥」が力を持っていくのかも知れません。

 確かに、山崎豊子さんの『沈まぬ太陽』に出てくるような、腐敗にまみれた派閥では何も生み出せないと思います。
 一方で、城山三郎さんの『役員室午後三時』という小説では、モデルとなるカネボウの武藤社長は、社内に派閥を築かなかったがために、味方がおらず、強い推進力を発揮出来なかった……という表現をされています。

 政治の世界なんて派閥で構成されているようなものだし、結局のところ、派閥が正義となるか悪となるかは、詰まる所その派閥のボスの経営手腕や倫理観に大きく左右され、「派閥」それ自体が良い・悪い、ではなく、結局は派閥の「ボス」次第なのでしょう。

 やっぱり人間というのは、「自分に利するかどうか」が一番の関心ごとで、自分の処遇を良くしてくれる人に従い、自分の言う通りに動いてくれる部下を引き上げようと思うのが人間心理ってものでしょう。
 「会社を良くしたい」なんてのは、全ての社員にとって共通する言葉のようでありながら、現実には何の共通点も持たない言葉です。
 結局のところ、ほとんどの人にとって「自分の暮らしを良くしたい」のが一番だからです。

 ただそれでも、純粋にミッションに向かって業務分担しているだけなら「派閥」とは呼ばれないようにも思われます。
 そこに敢えて、「派閥」という言葉で形容されるグループがあったとしたら、それは組織のミッション達成とは別の動機、つまり個人の結びつきで集まっている可能性が高く、そうした集団が大きくなっていくと、えてして腐敗しやすいものだと思います。

 そんなわけで、やっぱり派閥は好きになれないなあ…と思う今日この頃です。


 

 


 →TOPへ