ネットでは、芸能人の不倫がよくニュースになる。
有名人の不倫報道に思う
そのたびに、コメントなんかでは、「不倫は犯罪じゃない」「夫婦の問題であって周りがとやかくいうことじゃない」という意見が散見されるが……しかし、不倫を「一概に悪いこととは言えない」と言う輩は間違いなく、「不倫する気のある奴」の自己弁護だと思う。
普通に考えて、浮気されて平気な人なんていない。
「されて嫌なこと」をする時点でアウトだ。
されても平気だとしたら、愛情がもうなくなってるか、自分も浮気をしてるかだ。お互いが容認してるならアリだろ、という考えの輩もいるとは思うが、そこは非常に慎重に判断すべきだ。
何故なら、こに思考は一歩間違えると、世の中全てのことに「悪」がなくなってしまう。これって「いじめ」の議論に似ていると思う。
よくある、「悪気はなかった、受けてる方も楽しんでると思っていた」「だから教員も看過していた」というヤツだ。相手が受け入れて楽しんでるならそれは「いじめ」ではない、という主張は、そもそもどこでどう確認してるのか。
仮にそういう事例が存在したとしても、「いじめ」と思われる現象に対して、「相手が受け入れてる可能性もあるから、周りはとやかく言うことではない」というのは完全に間違いだ。まず「いじめは悪」という大前提にたって追求すべきで、それを「本当にいじめなら本人がそう申し出るべきで、周りがとやかくいうな」となったら、おかしなことになる。何故なら、いじめられる側は大抵弱い立場だから、自分からは言えないことが圧倒的に多い。まして、本人がいじめだと訴えているのを、「それなら相手にやめてといえばいい。周りが関与することではない」などというのは、あり得ない暴論だ。
不倫問題もこれに似ている。
夫婦となると、世間体もあるし、特に家庭があったり、年齢も高くなると、簡単に「離婚しよう」なんて言えない。
現実として、離婚したら子供に申し訳ないとか、生活が大変とか、状況的な理由によって「我慢」し、泣き寝入り状態で「容認する」場合も少なくない。
そうした「泣き寝入り状態」は、相手が言ってこない=「受け入れてる」と言えるのか??それでも「周りがとやかくいうことではない」と言う輩もいるだろう。そこは別の話だと。
しかし、周囲までも不倫を容認するようなスタンスをとってしまったら、不倫している当人は、決して自分の非に気付かず、むしろ「肯定された」と考えることすらあるだろう。いじめの関係と同じく、周りは黙ってみているだけ、当事者同士で答えは出せ、となったら、単純に立場の強い方が勝つ。
それが夫婦となれば、たいがい経済力を握っているほうが強い。
そう考えれば、周りが諭さずして、誰がその行為の不徳を正せるというのか?それでもやはり、夫婦間のことはあくまで「私的なこと」だとして、赤の他人が騒ぐことではない、という考えを認めたとしても、それはそれとして、「不倫は悪」という前提的認識は変わらない。
また、浮気や不倫は、「相手に隠し続ける限りセーフ」で、それが大人のルールだ、という考え方もある。
何十年も一人の相手だけなんてのは、そもそも無理があって、何かしらあるのは仕方がない、と。
ただ、そこの最低限のルールとして、絶対に気付かせたり、匂わせもしないのが大人のルールであり、伴侶に対するマナーだと。これは、僕が学生時代に飲み屋でバイトしている時に、店のママとお客さん同士なんが話しているのを聞いて知った言葉だ。
これを聞いた当時は、結婚してもいつかは誰しもそうなるのか…と思いもした。しかし、おっさんになった今あらためて思うことは、「こういうことを言う奴は自己弁護してるに過ぎない」ということだ。
確かに、「何十年も相手は一人だけ」というのは、耐えられない人は少なくないかも知れない。
しかし、そこで隠れて不倫をして良い、ということになるのは「夫婦お互いが同じ認識」であってはじめて成立する。
愛情なんてとっくになくなり、互いにそれぞれの人生を楽しもうという観点に立った者同士にのみ成立するルール。しかし、片方に不倫をする気はなく、片方だけが不倫する、という関係でこの話は成立しない。
ただここで微妙なのは、、子供のこととか、年齢的理由で、いまさら離婚できないからやむを得ず我慢している、というケースで、これが現実には多いのではないか?と思う。何事もゼロか百かではない。
不倫は認めたくないが、何が何でも絶対に許せない!とまではいかず、子供や人生設計を天秤にかけて妥協、ということは多いのではないだろうか。
そうして、本当は嫌だけどギリギリ妥協して我慢しているから、「せめて隠してほしい」となり、もし発覚しても、周りに騒がれたら余計に辛いから、「その話題に触れるのはやめてくれ」というのは、現実としてあるかも知れない。「一生涯、一人の人間しか好きにならない」という人は、さすがに相当まれだとは思う。
ただ、人生の中で、色んな人を好きになるのが普通だとしても、同時に複数の人を好きになれるかどうかは別の話だ。
知り合いに何股もかけてる奴がいたが、そいつに言わせると、それぞれにちゃんと愛情を持って振り分けてるから、決していい加減なつもりはない、ただ一人に絞れないだけだ、と主張していた。
僕の場合、かつて同時期に多人数の女性から好意を寄せられた「モテ期」が到来したこともあったが、何人から好意を持たれようと、その時その時で好きな人は一人でしかなく、どんなに可愛い子から迫られても、好きな人以外には微塵も興味を持てない性質だ。
なので、そういうのを聞くと、単純にすごいと思うというか、どうやったらそんな感情を器用に使い分けられるのかと、本当に不思議でならない。ただ、一人しか好きにならないと言いながら、後になって思い返すと、もったいないことをした気になったりする。
つまり、好みじゃないから興味が持てないのではなく、あくまでもタイムリーに複数を好きになれないだけに過ぎない、ということです。
何が言いたいかというと、タイムリーに複数同時に相手ができるのと、一人しか相手に出来ないのは、生まれ持っての性質が違う、ということです。
浮気をする人間としない人間とでは、「人間としてのタイプが違う」ので、だから不倫問題は意見がぶつかるのでしょう。ただ、タイプの違いだからといって「肯定」しているわけではない。
それに、人間とはわがままなもので、自分が浮気できる気質の人間だったとしても、相手にされるのは嫌、という人間も少なくない。
非常に自分勝手な話だが、これは男に多いと思う。これは独占欲とか別の心理もかかわっていると思う。いずれにしろ、浮気や不倫なんてのは、普通なら奥さんなり旦那にとって「嫌なこと」です。
だから、「不倫」行為は断じて「批判」されるべきなのです。特に、その気質は、結婚してからじゃないと分からなかったりするから厄介だ。
しかし、子供がいたり、いい歳になってしまうと、そう単純に離婚できるものでもないので、本音は嫌でも、許さざるを得ない状況になったりもする。それを強いるのは男に多いようで、まるでそれが真理かのように「男は浮気するもの」と断言する輩もいるが、それは違う。
「類は友を呼ぶ」ごとく、浮気できる気質の人間は、気の合う仲間も同類ばかりなので、それが世の中の常識だと思い込んでるだけだ。そういう奴は、世の中の人間、浮気するのが当たり前だと本気で思ってるので、我慢しないでお前もすればいいじゃないか、なんて言い出したりする。相手にも浮気を認めれば、自分が正当化されると思っているらしいが、ふざけるのもたいがいにしろと言いたい。
百歩譲って、クズ同士のカップルなら勝手にすればいいが、相手に説得を試みなければならない、つまり価値観が違っていたとしたら、悲惨だ。残念ながら、浮気する・しないは根本的な人間的気質の違いなので、浮気する奴は何度でもする。改心なんてしない。
だから、一途型と浮気型のカップルは、残念な結果にしかならない。また、「浮気をしたことはない」とまず自分を正当化しつつ、「隠れてする分には仕方がない」なんてことをさらりと言えるヤツも、浮気するタイプの同類だと思う。
たぶんそういうヤツは、単にこれまで機会がなかっただけで、この先、いい関係になれそうな相手に出会ったら、そっちに傾く可能性を認識しているのだろう。だから、自己弁護の予防線を張ってるに過ぎないと思う。話が広がったが、有名人の不倫報道なんかで、不倫や浮気なんて、大人なら当たり前、問題あったとしても本人たちだけの問題だ、なんて意見が当たり前になってしまったら、世の中の倫理観がおかしくなってしまう気がするので、すごく気になった次第です。