『蛍の墓』は、作家・野坂昭如さんの代表的な小説で、自分自身の体験をベースに、戦争によって両親を亡くした兄妹が終戦直後の日本で生きていく姿を書き、ジブリの高畑勲さん監督でアニメ化もされた有名な作品です。
『蛍の墓』この作品は、僕が言うまでもないのですが、すごい深い作品です。
野坂昭如さん自身にとっては、単純な反戦だとか、お涙頂戴だとか、そんな意図ではなく、自分自身の妹さんへの贖罪として書かれたそうです。なお、作品のネタバレも含んでいるので、読んでいない人はご注意下さい…!
実際の「兄」の立場であった野坂さん本人は、手間のかかる妹を疎ましく思い、きちんとした面倒も見ずに死なせてしまい、自分だけが生きていることに、ずっと後ろめたい気持ちを背負っていたそうです。
そこに、小説の中では最期まで「優しい兄」として、ともに死んでいく姿を書いたのは、野坂さん自身の後悔の気持ちであり、そこにこの作品の一つの本質があります。
しかし、この作品には、それだけにはとどまらない、戦前・戦後にあった、社会の様々な理不尽が描かれています。
そして、それをアニメにして見事に描き切った高畑勲さんも素晴らしい。
原作も良いですが、このアニメは、子供の時と大人の時と、2回は観るべきだと思います。子供の頃は、幼い主人公たちにただ感情移入し、強い「大人たち」が誰も助けてくれず、孤独に死んでいく哀しさを感じ、そしてそこから、戦争というものの酷さを単純に感じられると思います。
それが、大人になって観ると、強いと思っていた大人たちは決して強くなく、それらもまた、戦争に翻弄された人々であることに気付きます。
むしろ、世間の常識に馴染もうとしなかった主人公たちである「子供」のほうに、いくら子供といえども不甲斐なさを感じもするでしょう。
清太はいいとこのおぼっちゃんでした。
物語の初めは、高価な持ち物を売ることでお金を作っていましたが、それも長くは続かないので、叔母さんが清太に働くよう促しますが、なまじ最初はお金を持っていたからか、プライドなのか、やる気がないのか、結局働かず、自分達を養ってくれない叔母さんに対する反発心だけは旺盛で、自分から家を飛び出し、勝手に生活困窮していきます。冷静に考えれば、これで死んでしまっても、悲劇になっていません。
高畑さんは、インタビューで、清太兄妹のことを、「社会生活に失敗した二人」と答えています。
「清太は現代のニートである」という言い方をする人もいます。公開当時、清太と節子の二人への同情の声が多かったことに対して、高畑さんは、なんで清太の行動に対する批判が出ないのか?と、疑問に思ったそうです。
つまり、高畑さん自身、この二人を単に「可哀想な兄妹」として描いたつもりはないのですね。ですが、といって、どうしようもない兄妹として描いたわけでもない。
高畑さんは、"今の世の中は、ニートですら、社会からどんな批判をされながらも生きていける"と言います。(作品成立当時にニートという言葉はありませんでしたが)
一方、清太は、社会に適合はできませんでしたが、誰か依存する相手を求め続けたわけではなく、自分達だけで、必死に生きていこうとしました。ただ、発想や知識があまりにも幼過ぎたため、生きていくことはできなかった。ここに、高畑さんの隠れたメッセージがあるわけです。
見落としてはいけないのは、終盤に、どこかのお金持ちのお嬢様らしき人物たちが、疎開から帰ってきて、まるで戦争とは無縁なように喜々としてはしゃぐ姿が挿入されているところです。
単に悲劇のドラマに描きたいのなら、登場させる必要のない、明らかに、浮いた存在です。
僕自身、観ていて、ものすごい異物感を感じました。
それまで、ずっと清太と節子の暗い陰鬱な暮らしが描かれている流れの中で、なんなんだこいつらは。戦争が終わって良かったねと、それをはしゃぐのはわかるにしろ、何故ここで出てくるのか?と。今そこに、飢えて死にゆく妹描くという、悲劇的な流れの中に、明らかに違う次元の存在。
これは意図的に、「わざと」登場させているのです。つまり、ここにあるのは、現代と当時の社会への歪みに対しての投げかけでもあり、少なくとも他人に依存せず生きて行こうとした、現代のニートよりもよっぽど「まし」な清太が、当時の社会では生きることが許されなかった。
それでいて、そうした不遇な環境が当時全ての日本人に等しく置かれていたかというと、それもそうではなく、ノホホンと生きていけた人間もいた。にもかかわらず、やはり清太と節子は死ななければならなかった。高畑勲監督が描こうとした本質は、結局、あのような「子供」を生み出した社会自体がそもそも歪んでいて、つまりは「戦争」こそが諸悪の根源であり、それが生み出す世の中の歪みに対するアンチテーゼなのでしょう。
『蛍の墓』は、戦争というテーマを利用した、お涙頂戴の三文ドラマではありません。
後世まで長く伝えるべき深い作品だと思います。