フィギュア・伊藤みどりの功績

 「伊藤みどり」というフィギュアスケーターをご存知でしょうか
 
数あるオリンピック種目の中でもフィギュアスケートは、日本では特に人気の高い種目です。
 むしろ、オリンピックとは無関係に、単独で人気のある競技とも言えますが、そうした日本のフュギュア人気を生み、日本のフュギュア界を発展させる原点となったのが、この伊藤みどりさんです。

 現役で活躍されていたのがもう三十年近く昔になるので、最近フィギュアを観るようになった人は知らないかも知れませんが、昨年現役を引退された浅田真央さんが、最も尊敬するスケーターの一人として名を挙げられ、伊藤みどりさんと同じ衣装を着て選手権に出場されたこともあるそうです。

 現役時代の伊藤みどりさんは、天才スケーターとしてその名を馳せてはいましたが、当時はまだ今ほどフィギュア人気が高いわけでもなく、世界的に活躍している人も少なかったため、最初は、今のフィギュアスケーターのように日本中から注目されているような存在でもなく、日本のフュギュア界の間ですら、突出して評価されているわけではなかったそうです。

 ですが、その名を世界に轟かせたのが、1988年にカナダで開催されたカルガリーオリンピックです。
 当時は今とは競技形式が違い、ショートプログラムやフリーの他に、「規定」と呼ばれるものがありました。
 この「規定」は、簡単に言うと、決められた図形を滑り、最初に滑ったそのラインを、二週、三週と正確になぞるもので、伊藤さんはこれが苦手でした。
 いつもここで点数を大きく落とし、結果的に伊藤さんの総合順位は低かったため、評価されにくかったのかも知れません。
 (その後この規定は廃止されます)

 そこに、カルガリーオリンピックでは規定で何とか10位になることが出来たので、上位入賞の望みが出てきました。
 それでも、4グループのうちの第3グループなので、トップグループの位置にはいません。

 しかし、フリープログラムでの伊藤さんは、今でも語り継がれる、伝説的な演技を魅せることになります。
 当時のフィギュア界では、現在のように高度なジャンプを飛びまくることはなく、男子ですら三回転ジャンプのコンビネーションなどは当たり前でなく、まして女子ではあり得ないくらいの時代でした。

 そんな中、伊藤さんは、男子にも引けを取らない、というかもはや同等レベルの高さで飛び、三回転トウループの連続コンビネーションや、二回転ループ・三回転ループのコンビネーションといった大技をバンバン決め、点数にならないにもかかわらずフライング・シット・スピンといった他の誰もやらない技を繰り出し、最後のジャンプを決めた時には演技中でありながらガッツポーズを取るなど、衝撃的な演技を披露し、二万人の観衆は沸きに沸き返り、最後のスピンの時にはもう観衆は総立ちになり、スタンディングオベーションを送るという、日本のフィギュア選手としては前代未聞の事態になりました。
 
その時の映像はyoutubeなどでもすぐ観れますが、アメリカの中継などは、実況者もエキサイティングして激賞しています。

 しかし、その日の伊藤さんがフィギュア界に与えた衝撃は、それだけではありませんでした。
 当時の評価方法は、技術点と芸術点の二つの面で点数がつけられ、順に発表される形式でしたが、まず技術点
が発表された時、全ての審査員が6点満点中5.8〜5.9点と、その日の最高点がついて観客からは拍手と大歓声が上がるも、続いて芸術点が発表されると、全員が5.5〜5.7点という微妙な評価だったので、その点数が発表された瞬間、会場が大きくどよめきました。

 確かに、伊藤さんの演技はテクニカルな演技ばかりが目立ち、優美な動きや表現に乏しいことは、以前から指摘されていたし、その日の演技でも、そうした表現には欠けていました。

 しかし、全観客をあれだけの興奮に巻き込んだ演技が「アート」と呼べないのであれば、フィギュアの表現とは一体何なのか?

 結果、伊藤さんの順位は総合五位に終わりましたが、ドラマはそこで終わりません。
 フィギュアでは、最後に上位入賞者によるエキシビジョンが演じられますが、五位の選手は対象外でした。
 エキシビジョンでは下位入賞者から順に演じられていくので、三位以上の人が出てくれば五位の伊藤さんは当然もう出ませんが、すると「なぜ伊藤みどりを出さないんだ」と、苦情の電話が殺到したそうです。
 それで、全てのエキシビジョンが終わった後、最後の大トリとして、急遽伊藤さんが滑ることになったのです。
 五位の選手がオリンピックの最後の締めくくりを飾るなんてことは、前代未聞のことでした。

 そして、この時から、世界のフィギュア界において、「フィギュアとはスポーツなのか?芸術なのか?」という論争を巻き起こすことになったそうです。

 確かに、フィギュアはスポーツと言っても、少し特殊な側面があります。
 氷の上でバレリーナのように演技し、それを楽しむ側面もあるので、その他のオリンピック種目のように、シンプルにスピードを競ったり得点を獲りあう球技などと異なり、「ダンス」のような、感覚的な側面も強い競技だからです。

 しかし、「スポーツの祭典」としてのオリンピックである以上、アスリートとしての高みを目指す取り組みが高く評価されないのはおかしい。
 もちろん、「氷上の芸術」とも呼ばれるフュギュア特有の価値は、なくてはならないものでもある。

 いずれにしろ、伊藤みどりさんの出現によって、女子フィギュアスケートのスポーツとしての可能性が大きく開かれたのは間違いありません。

 そして、1989年の世界選手権で、伊藤さんはついに世界一に輝きます。
 フィギュアの世界大会で優勝することは、日本人としてはもちろん、アジア人としても初のことでした。

 しかもその時の審査では、当時の採点方法において、技術点で9人の審査員のうち5人が6点満点がつけるという、フィギュア史上最高得点を獲得しました。
 現在はフィギュアの採点方法が変更されたため、その時の伊藤さんの記録はもう破られることはなくなり、現在も旧基準において世界最高得点を出したフィギュアスケーターとしてギネスブックに載っているそうです。

 現在のフィギュア界では、女子でも高度なジャンプをするのは当たり前になり、そうした技術も当然のごとく求められる時代になっていますが、世界の女子フィギュア界にそうした方向性をもたらしたのが、伊藤さんです。
 中でも、トリプルアクセルは、フィギュアのジャンプの中では最も難易度が高いジャンプの一つだそうですが、それを女子の公式戦で世界で初めて成功させたのは伊藤さんです。
 女子の公式戦でトリプルアクセルを成功させたのは、その歴史の中で、現在もなお世界に数えるほどしかおらず、伊藤さんが成功させた後、1991年にアメリカのトーニャ・ハーディングさんが史上二人目として成功させた後は、約10年の間、誰も成功しなかったそうです。

 それだけ伊藤さんは、先駆的であり、今日においてもなお飛び抜けた存在だったというわけです。

 ちなみに、フィギュアと言うと金持ちのスポーツのように思われがちですが、伊藤さんは、むしろあまり裕福でない家庭に生まれ育ったそうです。
 なので、経済的にはその道に進むのは難しかったところ、周りの人がそのあまりの才能を惜しみ、援助して、スケートを続けることが出来たそうな。
 
そんな背景も、アメリカンドリーム的でドラマチックな話です。

 日本のフィギュア界を、そして世界のフィギュア界を変え、日本のフィギュア人気を確立した立役者とも言える、伊藤さんの話でした。

 


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