わたし、定時で帰りますA

 このドラマの東山と種田と諏訪との関係性、そしてそれらを視聴者の女子の多くが肯定していることに、大いに考えさせられました。

 ネットでは、「働く意味について考えさせられた」という意見が多いですが、長時間労働とか、仕事優先の生き方とか、そういうところとは別の視点ですごく気になったのです。

 このドラマを観て、昭和世代のオジサンたちの考え方を「古い」とする意見が多く、これから社会が変わらないといけない、というようなまとめ方をする人が多いですが、僕が感じたのはむしろ逆です。
 何故なら、東山の行動と、それに共感するネットの女子の反響を見ていると、「昭和のオジサンが古い」というより、現代の働く女子が「昭和のオジサンになりたがっている」ように思ったのです

 それがどういうことなのか、このドラマの東山の行動を整理して説明します。

 普段は定時上がりし、家に帰ると、彼氏の諏訪が当たり前のように夕食を用意して待っている。
 でも、日によってはお気に入りの中華料理店に飲みに行って自分だけ勝手に楽しんでいる。
 諏訪と婚約することになり、諏訪は、結婚式は関係者も呼んで盛大にやりたいというが、
 自分は、そんなの必要ない、身内だけで小さくでいいのに、と不満に思う。
 ある時から、上司が無謀な仕事を取ってきたせいで、連日残業せざるを得なくなった。
 婚約者である諏訪との映画の約束も、仕事優先で当日ドタキャンした。 
 
職場にはイケメンの元カレがいて、いつも自分のこと気にかけてくれる。
 ある日、酔っぱらって帰れなくなった時、その元カレがおんぶしてくれて、二人で一夜を明かした。
 でも、そのことは彼には内緒にしておく。
 そして、映画の約束をドタキャンするくらい彼との時間が取れない中、
 会社の後輩のカウセリングのために、休みを潰して、元カレの実家に行く…

 …と、これが、東山の行動の大筋です。

 でも、この東山の生き方って、「昭和のオジサンそのもの」だと思うんです。

 この東山を「男」に、諏訪を「彼女」に置き換えればわかります。
 毎日彼女に夕食を作らせておきながら、自分は勝手に飲みに行って帰りは遅くなったり、残業だと言っては遅くなり、映画の約束もドタキャンし、休みの日まで仕事の付き合いだと言って彼女をほったらかしてどこかに行ったり。
 そして結婚式も彼女はちゃんとやりたりと言っているのに、自分はそんなに面倒だと言ったり、酔っぱらった勢いで職場の女の子とイチャイチャして朝帰りしたり。

 どうですか?
 家の事は奥さんに丸投げして、自分は好きなよう働き、好きなように遊んでいた「昭和の男」そのものでしょう?

 この東山のスタンスに共感するということは、結局、男も女も関係なく、「自由に生きたい」ってことだと思います。

 残業の部分については、望んだわけでなくやっているので少し違うかもしれませんが、全国の女子が共感や称賛している東山に、僕は何の真新しさを感じませんでした。
 奥さんを家で待たせてほったらかし、自分は好きなように仕事して飲みにく昭和の男と一緒じゃん、って思ったからです。

 結局、「自由に生きたい」。
 それが本質だと思います。

 自由に生きられる、ということは、他者から束縛されないということ。
 つまりは、長時間労働も、そのものが良い、悪い、ではなく、それによって自分の自由が奪われることが問題なのであり、自分がその仕事に心からやり甲斐を感じてやっているのなら好きにすればいい。
 それだけのことだと思います。

 だから問題なのは、無理矢理長時間労働を強いたり、刷り込みや洗脳教育で"自主的な"長時間労働に仕向ける「やりがい搾取」であったり、逆に私生活が華やかじゃないとつまらない人間みたな空気を作る「リア充強要」だと思います。

 ただ、今の日本で一番問題なのはそこではないように思います。

 何故なら、強制的な長時間労働ややりがい搾取は「悪」という認識は、今日においては一般論としてかなり広まっているからです。
 現実にそれを強いている会社は今でもあると思いますが、そういう会社は「ブラック企業」という認識が一般化しています。
 「リア充強要」も、Facebookなどでリア充な記事を更新しないといけないような脅迫観念に駆られ、無理矢理ネタ作りに出かけるような「SNS疲れ」「リア充疲れ」を引き起こし、結局は何事もそこに自分の意思がないことが問題だという認識が広まっています。

 しかし、今もまだ問題としての認識が完全に一般化されていないのが、「お客様は神様」的な、顧客優位の日本社会の慣習の問題です。
 最近になってようやく、「カスタマーハラスメント」という言葉が話題になりつつありますが、それでもまだまだ、話題にはなっていても、一般認識になっているとは言い難いでしょう。

 「上司」も「会社」も本音では望んでいないのに、「お客様のせいで」「クライアントのせいで」部下に長時間労働を強いらざるをえなくなる日本の社会慣習。
 ここに一番の問題があると思います。

 日本では、「お客様が」「クライアントが」という言葉を出せば、個人の事情は全て飲み込まなければならないような風潮が根強くあります。

 僕個人としては、基本的に残業や長時間労働のないドイツのような社会が理想です。
 そこにある顕著な違いは、日本は「サービス天国」、ドイツは「サービス砂漠」と言われる、サービスを提供する側と受ける側の根本的な認識の違いです。

 例えば、日本では、クライアントからの要望があれば、時間外でも土日でも対応しなければならない、ということがよくありますが、ドイツでは、「今日はもう終業なので明日対応します」「休み明けに対応します」が当たり前だそうです。しかもそれが、製品やサービスの落ち度によるものであったとしても、です。
 医療の世界でも、日本では患者の容態が変化したら、いつでも主治医が飛んでくるのが当たり前ですが、ドイツでは、「今日からバカンスなので代わりの者が対応します」が当たり前。
 飲食や小売りだと、日本ではお客さんが入ってきたら、いつでも変わらないサービスで対応するのが当たり前ですが、ドイツでは、閉店時間が近づくと、お客さんが目の前にいても、ガンガン掃除や片付けをはじめ、客の対応は後回し。「まだ営業時間じゃないのか」と日本人が文句を言おうものなら、「こんな閉店間際に来るお前が悪い」という対応をされます。
これは、日本なら間違いなくクレームものです。

 ドイツでは、国民全体がこういう意識だから、長時間労働が発生しないのです。
 個人の働き方とか、自分らしい働き方とか、そういう次元の話ではありません。
 
それを、単なる企業努力の問題や、「ブラック企業」という言葉で片付けたり、上司の意識だとか、個人の仕事の進め方といった「個」の問題に置き換えてしまったら、逆に解決しないと思います。

 インパルスという芸人のコントで、閉店間際の中華料理店に来た客に対して雑な対応をするネタがありましたが、youtubeのコメント欄には、飲食などでのアルバイト経験のある人からは、共感のコメントが多数書かれています。
 一方、そういう経験のないだろう人からは、「それが仕事だろ」「嫌なら辞めろよ」みたいなコメントが書かれ、これこそが日本人の今の意識を表していると思います。

 ドラマの第二話で、定時で帰ることをモットーとする東山を演じる吉高由里子さんに、上司である種田副部長(向井理さん)が、「うちは大企業じゃないんだから」と言うシーンがあります。
 
これって、今の日本の企業の実態としては正論だと思います。
 
ああいった制作関係の会社って、決められた納期までに受注したものを納品しなければなりません。それが間に合わなければ、残業するしかありません。
 大企業なら残業がないわけではありませんが、社員数が多いので、その気になれば
人員補強したり派遣を雇って乗り切ることもできますが、中小の場合は、打つ手には限りがあり、どうしても個人に負担が生じがちです。

 「スケジュール的に無理のある仕事を受けること自体が間違ってる」

 と言われたら確かにそうですが、そんなこと言っていたら仕事を取れない会社がゴマンとあるのが現実です。
 でも、会社を存続するためには、仕事を受けなければ会社が存続できない。
 それこそ赤字の会社だったりしたら、多少無理してでも仕事を受けようとすることでしょう。
 クライアントは、仕事の出来栄えに問題がなければ、より安く、より短期間で納品してくれる発注先を選ぶのが当然です。
 「あの会社は過重残業しているから発注をやめよう」
 なんて、普通は思ってはくれません。

 今の日本では、「自分らしい働き方」を選ぶのは当然その人の自由だけど、それは「自分らしい働き方」のできる会社を選ぶこと、でしか実現できないと思います。
 極論を言うと、残業しない働き方を優先したいなら、公務員にでもなれと。
 残業しないと回らない会社に自分で入っておきながら、自分だけが残業しないスタンスをとるとしたら、流石にそれはちょっと違うんじゃない?と、現実的には思います。

 そもそも「残業」自体は、36協定などきちんとした手続きを取り、正しく残業手当を支払えば、非合法なことでも、ブラックなことでもありません。組織としての正当な「業務命令」です。
 36協定などの労働協約に基づく限り、残業を一方的に拒否するほうが「違反」であり、それで懲戒になっても文句は言えず、裁判を起こしても負けます。
 サービス残業はもちろんだめですが、職場の状況と関係なく「定時ジャスト」ありきというのは、現実に立脚すると、ちょっと極端すぎます。

 ただ、そう言って残業のある職場を「当たり前」とし、定時で帰れる職場を非現実に考えてしまうと、いつまでも現状の日本の長時間労働の慣習から抜け出すことができません。

 そこで、労働時間が短く生産性の高いドイツと日本では、何が違うのか?
 れは、仕事を受ける側の企業のスタンスというよりむしろ、仕事を発注する側、つまり「お客様側の意識」、ひいては「社会全体の意識が違う」ことが大きいのです。

 こうした意識が生まれる背景には、単に精神的なものだけでなく、法律自体に「閉店法」というものがあって、小売店は営業時間を制限されたり、日曜は強制的に休まなければならない、というのがあります。
 閉店法自体は残業とは直結しませんが、こうした法律があるくらいだから、国民意識が異なるのは当然。
 また、閉店法はドイツだけでなく、ベルギー、フランス、ポーランド、イギリスの一部など、ヨーロッパの多くの国が制定しています。(完全に日祝全てを休みにしているのはドイツだけのようですが)

 また、小売店などでも、自由に作ることは出来ず、一つのエリアにいくつとか決まっているそうです。
 日本のように、交差点の四つ角全部がコンビニだったりはしないのです。
 
日本では無秩序に店を作らせるから、従業員も取り合いになる。

 「働き方改革」というのなら、GW十連休なんてしょうもないことをせずに、閉店法や、そうした法律を制定すればいいのに。
 もっとも、十連休の真の狙いは働き方改革ではなく、それによって消費活動を促す経済効果らしいですが、そうならそうとはっきり言って、「働き方改革」なんてインチキな冠をつけるのはやめてほしい。
 ネットでも賛否ありますが、そもそもGW十連休を簡単に取れるような企業や組織は、GW十連休なんて作らなくても、もともと休みが取れている企業・組織だけです。
 普段休みを取れない会社が、暦の上で祝日にしたからといって休みが取れるようになるわけではない。
 100時間かかる仕事があれば、祝日があろうとなかろうと100時間かかるし、納品日が5/8と決まっていたら、GWが十連休だろうとなかろうと、5/8までに納品しないといけないことは変わらない。

 子供でもわかる話です。

 本気で「働き方改革」させたいなら、例えば勤労感謝の日は、空港や鉄道といった社会インフラ以外の企業・組織は、法律で強制的に休業させたり、年末年始・お盆・GWも強制休みにするとか。

 ただ、ドイツ国内ですら、閉店法に対して「不便過ぎる」と反対の声もあるようなので、全ての日曜を一律休みにするのは日本では難しいでしょうけど、「週に一日定休日がなければならない」なら、一斉に日曜に店が閉まったりしないので、消費者にとっても不便はないと思います。

 法律で禁止されれば、クライアントも納得せざるをえない。

 もちろん、そうすることで、収支が悪化する企業も出てくることでしょう。
 しかし、法定休日を休業して採算が取れないような企業は、淘汰されるべきなのです。
 
それを企業の自己努力に任せてやらせようとするから、休みを潰してでも稼ごうとする企業を生み出してしまうのです。

 ただこれも、法律で一律休業させれば、業績悪化のリスクはかなり低減されるのでは?
 と思います。

 100時間かかる仕事は、閉店法ができたって、100時間かかることには変わりませんが、閉店法で休業を強制すれば、ライバル企業も含む全ての企業が休日を潰して仕事を受けたりモノを生産すること自体ができなくなるので、過当な市場競争が発生するのを防ぐことができ、それによって注文を逃す、ということは起きなくなると思うんですね。

 それを企業の個の努力でやらせようとするから、他の企業に仕事を取られてしまい、「休むと損」になってしまうのです。

 結局のところ、日本の長時間労働やブラックな職場問題って、低価格(=低賃金・サービス労働)でいかに仕事を引き受けるか・モノを売るか、のチキンレースの結果、というのが本質だと思います。
 ここを変えないと、どんなに頑張ってクリーンな職場を作っても、ブラックな企業に格安販売されて仕事をとられ、血みどろの争いの繰り返し……になるだけだと思います。

 ……と、ドラマとは関係のない話になってしまいましたが、定時あがりや労働問題の本質って、こういうところにあると思う今日この頃です。
 

 


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