終身雇用の時代は終わった?

 最近、日本の「終身雇用の時代は終わった」という記事がネットによく出てきます。
 そしてその
象徴として、「あのトヨタでさえ終身雇用を否定」というフレーズが引き合いに出されるのをよく目にします。

 終身雇用の良し悪しの議論はともかくとして、この「トヨタでさえ」という表現には引っ掛かります。
 何故なら、「トヨタでさえ」ではなく、むしろ「トヨタだから」と言えると思うからです。

 企業の雇用における使用者と労働者との力関係は、ぶっちゃけその企業の"人気"と"待遇"次第です。
 人気業界はいつでも雇用側が強く、不人気業界はいつでも採用難。

 その点トヨタは、日本を代表する企業の一つであり、超人気企業で、待遇も抜群に良い。

 別に、採用に困ってそう考えたわけではない。
 終身雇用だろうが、有期雇用だろうが、
どんな雇用制度にしようとも人材不足で困ったりはしないから、経営判断として一方的に決められるだけだと思う。

 それに、新卒、中途にかかわらず、いつでも優秀な人材が応募してくるような企業なら、そもそも終身雇用にこだわる必要性が低いので、そうした結論になるのは当然とも言えます。
 
トヨタだからこそ、終身雇用の「必要がなくなった」と言えるだけです。

 一方、終身雇用を必要とする企業は、どちらかというと、人材獲得競争の激しい企業、採用の難しい企業ではないでしょうか。
 
優秀な人材の獲得が難しいから、雇った社員に、長く続けてもらうことを前提として手厚い教育や定期昇給といあった安定待遇を用意することで、人材獲得・定着させようと考えるわけです。

 もちろん、そのやり方が経営的に効率が良いかどうかは別問題ですが、それはそれとして、終身雇用の時代が終わった例としてトヨタの名前を象徴として出すのは、話を一般化する例としては違うんじゃないの? って思います。

 確かに、「トヨタほどの大会社でも維持できない」という意味ではあっているかもしれないけれど、バブル期のように、使えない従業員を窓際でも雇い続けるようなレベルを基準に、終身雇用が必要だと論じる人は、さすがに今は少数でしょう。

 公務員のように一生勤めあげることが前提のような組織が終身雇用をやめたら、「あの市役所ですら」と言えると思いますが、トヨタを例に出すのは違う。

 個人的に終身雇用は賛成…というか、肯定派です。
 
純粋に経営効率でいえば、終身雇用は必要はないと思っています。
 しかし
、今の日本においては、終身雇用をベースにしないと、多くの会社は成り立たないと思うのです

 まず大前提として、日本では相変わらず公務員人気なことが挙げられます。
 最近では、近頃の若者はすぐ会社を辞めるだとか、スキルが身につくことや自分のステップアップを重視し、一つの場所に長くいることを考えていない、なんて論評を良く見ますが、それは基本認識がズレていると思います。

 近頃の若者がみんな、実力主義的な発想を好み、チャレンジ精神が強まっているのなら、公務員は不人気のはずです。
 しかし、相変わらず公務員人気が高いのは、結局、今の若者にしても、その多くが安定志向だからです。
 すぐに会社を辞めるのは、その会社での将来の見通しに不安を感じたからでしょう。
 それに、今は圧倒的な人手不足で、若者にとっては売り手市場だから、会社を辞めても他の就職先なんてすぐに見つかる。
 だから簡単に辞めるようになっただけです。

 極端な話、およそ潰れる心配がない大企業で、「終身雇用を約束・実績がなくとも年功序列で確実に昇格できます」なんて募集をかけたら、たぶん応募が殺到すると思う。

 例えば、放送局のN○Kなんて、超人気企業ですよ。

 だから、今の若者にとって終身雇用そのものに魅力がなくなった、という前提はまずありません。

 で、何故今の日本では終身雇用制がなくならなかの本論ですが、日本では理系の一部と除くと、大学自体が職業訓練校と直結しなさすぎです。
 だから、
新卒社員をゼロから教育せざるをえず、そこにかけた投資を回収するためにも、雇用側が長く続けてもらいたいと思うのは当然の発想になります。

 欧米では、大学で実践的な教育を学ぶ点が日本とは大きく異なっています。
 だから、高校を出て一度働いてお金を溜め、溜めたお金で大学に行く、なんて生き方をする人も欧米にはよくあることですが、日本では金持ちやコネのある人でなければ難しい選択です。
 医学部や薬学部のようなものは別として、日本の大学で職業スキルは身につかないから、わざわざ大学に入り直したところで企業は評価しません。商学部でマーケティングを専攻したからといって、誰もマーケティングの専門家だなんて思ってはくれません。

 結局、仕事は就職してから学ぶもの、という前提があるからこそ、現在の日本の大学のやり方が存在できているようにも思います。
 もちろん、だからといって定年まで働く必要はないと思うかも知れませんが、企業側としては社員育成にかけた費用を無駄にしたくないから、辞めてもらいたくないと思うのが当然ですし、
終身雇用をなくすなら、そうした部分から同時に変えていかないと、国策としての人材育成は難しいでしょうね。

 最近では、学生が起業するケースも増え、起業サークルなんかも盛んになりつつあり、そういう部分だけ見れば、時代は本当に変わったように感じます。

 しかし、それはそれとして、決して会社に忠誠を誓っているわけではないけれど、フワフワと浮草のように働くよりも、安定した生活を望む人のほうが多いのが日本人の気質だと思います。
 だから
現在の若者にしても、就職活動における公務員人気は相変わらず圧倒的なわけです。

 スキルアップのために一社に留まらず色々経験したいなんて考えるアクティブ層は、確かに優秀な人だとは思うけれど、全体からすればひと握りに過ぎず、結局のところ日本人のマジョリティは安定志向だと思います。

 長く勤めていれば立派、というのは時代遅れだと思いますが、転職者によるスペシャリスト組と、新卒から終身雇用のつもりで働くプロパー組と、バランスをとってやっていくのが、日本の企業の自然な経営スタイルだと思います。

 だから、過去に大きな功績を残した人には、仮に高齢になっていまいち実力を発揮できなくなったとしても、過去の功績に応じて、名誉職のような役職を与えて定年まで頑張ってもらうというのは、日本という国の現状からすると、ある程度は仕方がないんじゃないかと思います。

  問題なのは、それが会社の老害になったり癌になっては本末転倒なので、年功序列で上がった人の権限はあくまでもそうならない範囲とすることでしょう。
 能力がないのに経験だけで権力を持たせてしまうことが不幸のはじまりです。
 
大きな権限を有するのは、年齢や社歴にかかわらず有能な人、という仕組みにしてこそ、日本的な終身雇用と能力主義が両立できるように思います。

 社歴の長さや昔とった杵柄で権力を持ち、創造性のある若者の意欲を潰してしまったら、その会社に未来はありません。
 なのに、つい、そうした若者を、「意見をしたければまず偉くなれ」といって、若い感性豊かな時期を既存の枠の中で使い倒してしまうのが、日本の大企業あるあるではないでしょうか?
 そのやり方だと、そうした若者が偉くなる頃には歳をとって感受性の創造性も失われ、結局何も創造性のある成果は出せないまま、部下には「自分もそうして偉くなったんだ」といって、同じことを繰り替えす…という悪循環を生むだけだと思います。
 こうした日本の慣習が、イノベーションやクリエイティブな発想が生まれない要因ではないでしょうか。

 終身雇用がどうとかが重要ではなく、そうした、問題の本質を見極めることが重要だと思います。


 

 


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