マックの原田泳幸氏は経営者としてどうだったのか
 

 日本マクドナルド2004年から2014年頃まで社長・会長を務められた原田泳幸氏。
 今ではすっかり「疫病神」というイメージで悪い評判ばかりですが、業績低迷していたマックを再生させ、
「プロ経営者」という言葉を流行らせたのも原田氏であり、一時は大変な評価を受けていた人物でもあります。

 原田氏は、本当に優れたプロ経営者だったのでしょうか?
 それとも、成功に見えたのは全てまやかしで、疫病神でしかなかったのでしょうか?

 僕は思うに、原田氏はかつて確かに優れた経営者であったが、一時の成功で自惚れて勘違いし、経営の本質を見失った人ではないかと思います。

●初期の成功「えびフィレオ」

 原田氏初期の大成功は、「えびフィレオ」の大ヒットでしょう。

 2005年頃だったと思いますが、当時原田社長はファッションモデルの蛯原友里さんを広告として前面に起用して海老フィレオを売り出したところ、これがとんでもないヒットになり、マック再生の大きな足がかりとなりました。

 今でこそ蛯原友里さんは有名人ですが、当時はまだかなりマイナーな存在でした。
 蛯原さんがファッション業界の第一線に出るきっかけは、2004年にゼスプリゴールドキウイのオーディションでグランプリをとり、坂口憲二さんの相手役としてCMに出演してからですが、化粧品のCMに出たり、テレビの深夜番組でアシスタントなどに微妙に出演したりもしていましたが、ほとんど添え物のような存在に過ぎず、世間一般での知名度はほとんどありませんでした。

 ファッションモデルとしては、CanCamの専属モデルとして若いOLや大学生から絶大な人気を誇っていましたが、そもそも女性ファッション誌のモデルなんて、いかに人気があろうとも世間一般での認知なんて知れています。

 少なくとも、これまで大手ファーストフードが起用してきたジャニーズや人気俳優などに比べたら無名に近いレベルの蛯原さんを、原田氏が広告の主役に選んだのには、明確な理由がありました。

 まず、マックの再生にあたり、誰をターゲットにビジネスすべきかを考えて選んだのが、「20代の女性」でした。
 その理由は、マックが本来いるべきブランドポジションを「お洒落な店」と定めたからです。
 実はそう設定した背景にあったのは、マック創業者である藤田田氏が日本でマックを創業した時のコンセプトである、「ハンバーガーを日本のファッションにする」というコンセプトに立ち返ったもので、マックが再び輝くためには、そのポジションに戻ることが必要
、と原田氏は考えたからです。

 原田氏というと、藤田氏の経営を全否定したと思われがちですが、確かに原田氏は晩年の藤田氏の安売りを全否定し、藤田式のマネジメント方法や藤田派の社員を一掃したのは事実であるものの、藤田氏が作った日本の「マクドナルド」というブランドを否定したわけではなかったのです。
 むしろ、本来マックは素晴らしいブランドを持っていたのに、晩年の藤田氏は65円バーガーのような極端な安売り路線に走り、自らそのブランドを壊してしまったことを批判し、原田氏はその失われたブランドを取り戻すことがマックにとって最も重要だと考えたのです。

 もっとも、ファーストフード業界において、「お洒落でファッショナブルな存在になりたい」という考えは、ほとんどの企業が同じように思っていたと言え、多くの企業が20代の女性を重要な顧客として位置づけていました。

 ただ、それでどの企業も用いていた広告手法は、主にジャニーズを中心とした、20代女性が好む男性タレントの起用でした。

 しかし、その手法に異を唱えたのが原田氏でした。
 原田氏は、20代女性が好きな男性タレントを広告に使っても、その広告に好感を持つかもしれないが、その商品を食べたいという動機付けにはならない、と。
 マックの商品を手にとってもらうことと、マックをお洒落な存在と思うことを成立させるには、その商品を手にすることがお洒落なイメージにつながらないといけない。だから、女性が一番お洒落だと感じる女性の手にマックの商品を持たせるべきだ、と。

 そうしたプロモーションのコンセプトに基づき、20代女性から人気の高い女性ファッションモデルがピックアップされ、そこで「海老」つながりで語呂が良い蛯原友里さんが選ばれたのでした。

 簡単に見えてこの発想の転換、当時は画期的でした。
 商品広告では、男性を釣るなら可愛い女性を表紙に、女性を釣るならイケメンを表紙に起用するのがプロモーションの王道だったからです。

 ただ、ファッション誌なら、女性誌であれば綺麗な女性、男性誌であればイケてる男性が起用されます。なりたい姿をイメージさせるためです。
 そこで
原田氏は、マックをファッショナブルなブランドにするためには、マックの商品を手に取ることがお洒落なイメージにつながらないといけない、と考えました。
 だから、ファッションの広告同様に、ターゲットである若い女性にとって憧れのファッションモデルがマックを手にした姿をお洒落に見せることで、
ターゲットである若い女性客に、自分の憧れる姿とマックのイメージを重ねられるようにしたわけです。

 マック店頭の大きなタペストリーに、蛯原友里さんがえびフィレオを持っている姿は、かなり斬新でした。
 当時の僕も、強烈な印象を受けたのをよく覚えています。男にとっては限りなくマイナーな存在だった蛯原さんのことなんて当然知るはずもなく、「誰これ?」と思いながらも、こんなお洒落な女性がファーストフードを手にした広告なんてものはそれまで皆無に近かったので、ものすごいインパクトを感じました。

 「えびフィレオ」の蛯原友里さんに衝撃を受けた人は相当いたことでしょう。
 えびフィレオはマックの予想を大幅に超える爆発的なヒットを記録しましたが、蛯原友里さんが世間一般にブレイクしたのも「えびフィレオ」効果によるものなのは明らかで、そこからモデル以外の仕事が激増し、連ドラの主演に選ばれたりもしたわけです。
 それだけ、マックの「えびフィレオ」のプロモーションは優れていたということです。

●えびフィレオの開発プロセス

 大成功したえびフィレオは、プロモーションが優れていただけではなく、商品開発プロセスも、それまでのマックとは全く違うものでした。
 原田氏がマック入りした当時の商品決定プロセスは、藤田氏がすでに逝去されてはいたものの、いかにもオーナー企業の企業文化らしく、「商品はトップが決める」というものでした。
 開発スタッフは社長直属で、社長の意を受けて開発スタッフが商品を考え、社長が味を見て商品を決める、というスタイルです。

 原田氏は、そんなやり方ではマーケットに適合した商品が作れるるわけがないといって、開発チームを解散し、企画、開発、購買、マーケティング、販促、営業、といったように、各部門から成るクロスファンクショナルチームを作り、「社長が商品を決めるのではなく、各分野のスペシャリストで知恵を集めて商品を作る」とし、それを新しい開発チームとして商品を開発させたのでした。
 えびフィレオの開発にあたり原田氏が指示したのは、「海老を使って商品を開発しろ」だけだったそうです。
 トップが示すべきは方針であり、味なんて自分は見ないし、見る必要もない。中身については任命されたスペシャリティスタッフが責任を負え、と。
 なお、原田氏がお題を海老にしたのは、世界で一番海老を消費している国は日本=日本人は海老好き=海老が売れる、という理由です。

 この話は、当時の飲食系雑誌にあった原田氏のインタビュー記事に書かれていたものですが、このように前期の原田氏は、意外とチームとしての組織経営を行っていたのです。

●客数増と単価増

 原田氏がマック再生のために最重要したのが、「客単価を上げつつ、客数も上げる」ことです。
 薄利な商品では、販売数をどれだけ増やしても人件費などの経費が比例して増加するので根本解決にならず、何より低価格路線ではブランドが上がりません。
 
しかし、商品の価格を上げると、たいがい客数が落ちてしまいます。

 そこで原田氏は、えびフィレオのような高単価かつ価値を感じられる商品の開発を重視しつつも、安売り路線の産物である100円マックを販売するという、2軸の戦略をとりました。

 通常、二兎を追おうとすると、どっちつかずになって失敗しがちですが、原田氏には勝算がありました。
 まず、店舗改装を徹底的に行って店を綺麗にし、ユニフォームもハイセンスなものにリニューアルし、ブランドイメージを上げて、高単価な商品が売れる店作りに大きな投資をしました。また、それも単発的なものではなく、地域によってデザインを変えてみたり、繁華街では定期的なイメージチェンジも行って、いつでも目新しさを感じさせるようにしました。
 つまり、主軸は方針通りに、「マックをファッショナブルにする」路線というわけです。

 一方、100円マックという低価格で顧客誘引はするけれど、次第にメニューの端に追いやり、絞り込んだ数品だけを文字で残した存在となりました。
 これは、チープなイメージの店にしてしまうと高感度な客は来ないが、安さだけを求める客は価格さえ安ければ買いに来るという、区別した考えに基づいたものです。

 安い商品で誘引して高単価に誘導する戦略はよくある手法といえばそうなのですが、簡単に思えて「行うは難し」です。
 何故なら
「チープな商品がある限りブランドイメージは上がれない」「ブランドが上がらなければ高い商品も売れない」という側面もあるからです。
 また、「店の敷居を高くすると安い客は来なくなる」「メニューに残っていても、それだけ買うのに気まずさを覚えるようだと買いに来なくなる」という視点もあります。
 高単価と低単価という、相反する性格のものを同じ箱で売るのは決して容易ではなく、見せ方のバランスは繊細で簡単ではありません。

 しかし、結果的には原田氏の狙いどおりとなり、その後も「メガマック」「クオーターパウンダー」「マックグリドル」といった高単価な商品を次々とヒットさせながらも、マックに安さだけを求める客層も失うことなく、単価増・客数増の両取りを実現しました。

 こうして、原田氏の指揮の下、マックは業績を大幅に回復させ、その手腕を世間は「原田マジック」と呼んで絶賛し、原田氏は「プロ経営者」として時の人となり、テレビから雑誌から講演からひっぱりだこになりました。

●原田帝国の凋落の原因

 しかし、太陽のごとき輝きを見せた原田帝国も、後期になると失策が続き、ついには「疫病神」とまで呼ばれるほどになった原田氏ですが、何故そこまで逆転してしまったのでしょうか?

 よく、原田氏がやったことはリストラによる経費削減や、FC転換での見せかけの利益を出していただけで、成功と言われてきたことは全てハリボテだった、と言われがちです。
 しかし、先に述べたえびフィレオの成功や単価政策などは非常に理にかなったもので、事実ヒット商品を連発していたし、前期に見せた成功は決してハリボテではないと考えます。
 また、リストラは業績不振の企業では避けて通れないことですし、飲食チェーンをFC主体にすること自体は、経営手法としては決しておかしなことでもなんでもありません。
 確かに、リストラやオーナー切りは恨みを買うので、特に業績が悪化すると悪くしか言われませんが、少なくとも業績が良かった頃は、世間もそれを評価していたので、こうしたことに対する批判は、後出しじゃんけんによるただの掌返しだと思います。

 では、原田経営が失敗に傾いた理由がどこにあるか?
 というと、おそらく原田氏の「奢り」によって、正しい経営判断が出来なくなったことでしょう。

 後期の原田氏は、超トップダウンのワンマン経営をし、異を唱えるものは全て排除され、原田氏の周りにはイエスマンしかいなかったと言われています。
 ただこれは、パワータイプの多くの人間が陥りがちな現象だと思います。

 新しいことを作ったり、新しい体勢に作り替えようとする時には、反対勢力が排除されるのは世の常です。
 新しいトップが新しい組織を作る時に、自分に共感する人間を集めてチームを作ろうとするのは自然なことです。
 
特にマックの原田体制のように、既存役員を排除して経営メンバーに抜擢さばれたからには、その期待に応え、何が何でも成果を出そうと必死になるものなので、もっている能力が最大限に発揮されたりします。
 新体制の結成時はまだ手探り部分が多いからこそ、
比較的ニュートラルなチャレンジ精神が損なわれず、メンバーには意欲と活気が生まれます。

 しかし、トップにパワーがあればあるほど、そして成功が続くほど、トップの権限は増大します。
 そして、フレッシュな新体制結成時と異なり、部下達はトップの考え方や、嗜好・傾向もわかっていきます。
 トップの好き嫌いが見えると、部下はそれに迎合するようになって組織が腐敗してしまうのは、韓非子にもある通り、人間の基本的性質です。
 そうしてトップは次第に専制化し、部下は自分のポジションを維持するために保身に走り、挑戦を避けるようになり、組織は官僚化します。

 なので、本当に優れたトップは、そうなってしまう危険さを認識して常に客観性・公平性を保とうと努力し、トップの意をくむ手駒はしっかり握りつつも、組織内の派閥が偏らない工夫をしたり、部下の誤った忖度を見抜き、自分が独りよがりになってしまわないよう自戒することを心がけるものです。

 原田氏の失策はまさにここで、組織が腐敗していること、何より自分自身が専制君主化していることに気付いていない、あるいは気付いていたとしても、奢りと自惚れによって、「俺が判断してるんだから間違ってない」と思うようになってしまったことではないでしょうか。

 後期の大失策に、「60秒サービス」や「店頭メニューの廃止」などがありますが、あんなもの、素人からしても「無理がある」「おかしい」と思うだろうし、内部の特に現場からすれば「ありえねえ」と思ったスタッフが相当数いただろうことは想像に難くありません。
 しかし、そうした反対意見を全て握りつぶす…否、おそらく意見自体を言えなくなっていた組織にしてしまったことが問題の本質であり、失策の一つひとつは、そうした腐った組織から生まれた腐敗臭の発現に過ぎません。

 後にマックを苦境に追い込んだ、中国のチキン工場の事件についても、あれは原田氏が選んだ取引先だったとのことですが、飲食企業の経営の常識からして、あれほど大きな会社、それも取り扱い品目の少ないファーストフードで、主要商品の製造メーカーを選定するのに、現場の品質監査をせずに決めること自体がそもそもおかしな話です。

 ただ、普通に考えて、原田氏だってバカではないので、劣悪な品質管理のメーカーに製造を委託しようなんて思わないでしょう。
 といって、マックみたいな大会社では社長自ら工場監査なんてしないので、そうした実務は当然部下に任せます。
 しかし、
原田氏が選んだ取引先となると、部下は悪いことなんて言えなかったのでしょう。品質監査をしてやぶへびになったら自分の身が危険なので、品質管理担当も、アンタッチャブルな案件としてスルーしたのではないでしょうか。もしくは、実は知っていたけれど、知らないことにしたのだろうと思います。

 ただ、原田氏に、どうしてそんなレベルの低い取引先を選んだのか、と問い詰めたところで、「工場の確認は品質保証の担当者が行うべき責任だ。工場に問題があったとすれば、それはその担当者が確認を怠ったからであって、たまたまその工場を紹介したのが私だからといって私の責任だとするのは筋が違う」と答えることでしょう。

 確かに、いくら経営トップだからといって、何でも全て社長の責任というのは本質論ではないと思います。
 
しかし、その時のマックの組織は、原田氏が行うことには誰も異を唱えられない状態になっており、その状態を作ったのは他でもない原田氏であり、むしろ原田体制のマックでは社長責任こそが本質でしょう。
 
つまりは、原田氏は裸の王様になって組織も完全に腐敗していたが、本人にその自覚が不足していたので、正しい経営判断ができず、部下も正しく機能しなかった、というわけです。

●原田氏の経営手腕

 原田氏は、マックの社長就任当時は、間違いなく優れた経営者だったと思います。
 しかし、後期からは、明らかに愚かな経営者に成り下がっていたと思われます。
 ベネッセの社長をされていた時も、まだその自身の過ちに気付かれていないようだったし、奥さんへの暴行事件などからしても、その後も謙虚になれていないように見受けられます。

 現在の原田氏がどうなのかは、原田氏自身がそれに気付いているか、もしくは自分は間違っていない、といまだに思っているか次第でしょう。

 (2022.8.27)

 

 


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