マイルスデイビスは孤高の帝王か?

 ジャズ史における屈指のビッグネーム、マイルス・デイビスは、ジャズトランぺッターの頂点の一人であり、そのクールなスタイルと気難しい性格も相まって、「孤高の帝王」のように評されることが多いように思います。

 でも僕の勝手な想像では、マイルスは本当に孤高だったわけじゃなく、同世代のライバルがみんな早逝したりしていなくなってしまったため、結果的に孤高になってしまっただけじゃないか??と思ったりしてます。

 確かにマイルスは、多くの名演を残し、時代と共に新しいジャンルを開拓し続け、「帝王」の名にふさわしい足跡を残しました。

 しかし、よくよくその足跡を辿っていくと、まずチャーリーパーカーと演奏していた初期の頃は、たいして個性的な演奏は残していません。
 当時はまだ18歳と若かったし、スタイルが確立していない時代の演奏で評価をどうこう出来るものではありませんが、同じく18歳の頃からすでに強烈な個性を放っていたリー・モーガンに比べると、若い頃のマイルスは小粒な印象です。

 マイルスと同時期のトランぺッターには、チェット・ベイカーやクリフォード・ブラウンといった実力者がいて、特にチェットベイカーはマイルスの全盛期と言われる50年代において、当時はマイルス以上の人気を誇っていたと言われています。
 クリフォードブラウンも、それこそジャズ史上屈指の天才トランぺッターの一人の数えられ、「ブラウン・ローチクインテット」での数々の名演は、ジャズファンで知らない者はいないでしょう。

 しかし、ベイカーは、薬に溺れるは喧嘩で前歯は折るはで活動を休止するし、ブラウンは、1956年に25歳という若さで交通事故死してしまいました。

 他にも、マイルスがライバル視していたと言われるケニー・ドーハムは1972年に病死しているし、先のリー・モーガンは、有名な「サイドワインダー」で知られるように、ロックの8ビートをジャズに取り入れた先駆けとして異彩を放っていましたが、同じく1972年に浮気が元で奥さんに撃ち殺されてしまいました。

 また、マイルスって、もともとテクニシャンではありません。
 ディジー・ガレスピーのようなハイトーンや速吹きは出来ないし、クリフォード・ブラウンやリー・モーガンのようなテクニックも艶やかな音色も持っていません。

 マイルスの演奏って、生音だと「プペー」って感じの安っぽい音だし、早吹きする瞬間は「ピョロロロロッ」って指を適当に回して勢いでごまかしてるみたいだし、よく僕のジャズ仲間の間では、そもそも音色や早吹きに自信がないから、ミュートで音色をごまかして少ない音で演奏するのを「クール!」とか言って、その路線で進まざるを得なかっただけじゃないの??なんて揶揄してました(笑)

 そう言うと決まってマイルス好きは必ず怒るけど、ある程度は認めてました(笑)

 冗談はさておき、数々の名演は誰もが認めるところだし、モダンジャズが衰退してからも、ロックやファンク、エレクトリックなどを導入して、新しいジャズを開拓していった功績も素晴らしいですが、もし、早逝したライバル達がもし生きていたら、果たしてマイルスひとりだけが独自の地位を獲得し、帝王と呼ばれただろうか?と思ってしまうわけです。

 まあ、歴史の「もし」はないので、無意味な邪推かも知れませんが、決してマイルスが今ほどの評価を受けなかったんじゃないか?とか、貶める意味ではなく、同世代の天才たちが長生きしていたら、お互いに刺激し合って、もっと違う形の音楽、しかも、もっと凄い物が生まれていたんじゃないか?と思ったりして、非常に残念に感じるわけです。
 

 


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