映画「ミスト」が残念過ぎた
 

 2008年の話題作、「ミスト」。
 どういった映画か、どういう評判かも知らない状態で、amazonプライムで無料だったから観たわけですが……

 個人的に、微妙でした。
 有名だから期待していただけに、ちょっと残念……

 以下、ネタばれなので、観た人だけご覧ください。

(以下、ネタばれあり)
 この映画、最悪のラストの胸糞映画として有名なようです。
 自分はそれを知らずに観ていたのですが、その「有名」なラストがあまりに腑に落ちず、胸糞というよりむしろ興覚めしてガッカリしてしまいました。

 ただ、ラストまでは面白く観てたんですよ。
 けど、あのラストによって全部の辻褄があわないというか、主人公の行動に妥当性がなさすぎて、最後の最後に「えーっ????」となってしまいました。

 まず、なんで自殺するのさ??
 だって、室内にいると、なぜか襲ってこないんですよね、やつらは。
 なら、餓死寸前のギリギリか、襲われる寸前まで車の中でじっとするもんじゃない??

 監督の意図は、『ショーシャンクの空』の逆バージョンで、「諦めるのが早かったために招いた悲劇」というメッセージに仕立てたらしいのですが……
 いやいや、早さとか判断というより、主人公のこれまでの行動パターンからしたら、あの選択肢は取らないでしょう。

 確かに、あんな何もないところにガソリン切れでポツンとしたら、絶望するかも知れない。
 けど、人間ってのは、戦場のジャングルの中でも、餓死寸前のギリギリまで生き抜こう、耐えよう、とするもんだと思う。
 そもそも食糧積んで出ていこうとしたくらいだから、長期戦の覚悟だったのでは?
 まして、大火傷して「苦しいから殺してくれ」と言っている仲間に、「何とかするからもう少し頑張れ」と励まし、命がけで薬を取りにいくような勇敢な主人公が、ガソリン切れした瞬間に、まだピンピンしてるうちに自殺を決め込むという、その心理がどうしてもつながらない。

 そして一番おかしいのが、その直後。
 主人公が車の外に出たら、すぐに軍隊の大部隊が姿を見せ、瞬く間に霧が晴れていき、モンスターたちは退治されてすでに焼き払われていて、スーパーにいた人が救助されて通り過ぎていくのを見て、主人公は激しくショックを受けるわけですが……おかしくね????

 これって、完全にモンスター殲滅後の光景。
 なら、もっと前から、絶対に激しい戦闘音、ヘリが飛び回る音とか、色んな爆音・轟音がも響きまくって、自殺するより前に、「何が起こった?」「何が起きている??」状態になってるはず。
 なのに、音も光もない、絶望しかないような静寂した状態から、いきなり霧が晴れて事件解決後の状態に飛ぶのは、どう考えてもおかしい。
 

 何がいいたいかってつまり、こんな状況はあり得ないわけですよ。

 せいぜい、車内で餓死してる車が発見される、といった描写にしたほうがまだ自然だったでしょう。
 (ていうか、そんな感じの映画があったと思う)

 それと、救助された人々の中に、最初に出ていった女性がいるのにも激しい違和感。
 なんで助かったの、ということじゃなくて、確かスーパーの近所に住んでる人でしたよね?
 スーパー近郊にいた怪物たちが駆除され、救助されて移動してきたとなると、ガス欠で立往生してる場所はスーパーからそう遠くない場所ってことです。

 つまり、たいして時間が経ってないってことですよ。

 そうなると余計に、運転中に地響きを鳴らして闊歩しているのを目撃した超巨大怪物は、いつの間に、どこで退治されたのか??
 やっぱり、戦闘機とかヘリで退治したとか、地上からのミサイル攻撃で退治したとして、少なくとも音くらい聞こえるでしょうよ。

 というか、あの主人公の車、どんだけガソリン少なかったんだよって話。
 自分の車なんだし、ガソリンの残量くらいわかってたんじゃないの??
 そんなんで、よくもまあ、食糧積んで「行けるところまで行く」とか言えたもんだよ。
 そんなすぐガソリン切れるなら食糧いらないじゃん。無計画にもほどがある。

 百歩譲って、ガソリンの残量を覚えていなかったとしても、乗った時点で気付くよね。
 この量だと、どこくらいまでしかいけない、って。
 だから、ガソリンがなくなる前に、どこかの避難できる建物がないか探そうとか思わなかったのか。
 もっとも、そのへんの建物だって危ないとは思うが、ガス欠で荒野の中で行き倒れる前に、いったん車を止めて、どうするか考えよう、とかそういう話になってるはずだ。

 そして次に、軍が出動して瞬殺レベルで駆除できたのなら、スーパーにいた兵隊が自殺した理由もわからなくなった。
 絶望するほどの状況じゃないじゃん。
 「今すぐかはわからないけど、軍が救援に動いてるはずです」くらい、その場しのぎでも言えたかも知れないし、少なくとも様子見して、急いで自殺しようなんて気にはならないと思う。

 ……ってなわけで、あのラストのせいで、色々流れがおかしくなり、それまでの内容がストーリーとしてつながらなくなってしまったのです。

 もっとも、あのラストは原作にない映画オリジナルのようですね。
 ラストをこうしたからこそ話題性は高まったんだろうけど、ストーリー的にはおかしくなったパターンです。

 映画のレビューでは、「結果的に悪に見えたカルト狂信者のカーモディが正しくて、主人公の行動が多くの人を殺すことになった」として、さもそのパラドックスがこの映画の仕掛け、と指摘しているのをよく見るけど、それはちょっと納得いかないというか、それを仕掛けとするにはやり方が不自然過ぎて、評価できない。

 というのも、最後の自殺もそうだけど、主人公の行動が裏目になり、カーモディが正当化されるのが「仕掛け」だとしたら、矛盾が多すぎる。

 まず最初に、発電機のくだり。
 あれって結局、何のための発電機なんだろう??
 発電機動かさなくても電気ついてるし。
 最初の犠牲者は、発電機を動かすために排管のごみを除去するといって、主人公の静止を無視して外にでたノームという若者だけど、結局最後まで、そんなことはしなくても電気はついていた。

 だいいち、なぜあの時のモンスターだけ、シャッターを破ろうとするかのように外からガンガン攻撃したんだ??
 結局、建物の中にさえいれば安全だったっぽいけど、あの時だけモンスターが無理やり入ってこようとしたのは何故??
 あんなことあったら、薄いガラスで囲まれた建物内じゃあ危ないって主人公が思うのは当然だよね。
 
 で、夜に虫が集まってくるシーンだけど、どう見てもモンスターが光に集まってきてるっぽい感じなのに、なんでガラス破られるまでじっーと眺めてるの??(
あれは主人公というより全員おかしいんだが)

 そもそも、駐車場には外灯がついてるから、外に向けて明かりを照らす必要がない。
 なのに、みんなご丁寧にランタンを窓際に並べて、わざわざ店内のランプまで外に向けて立て、あれは何のため??
 モンスターが光に集まってくる性質があるかどうかは不明だけど、そんなのわかってなくても、外からモンスターが襲ってくるかも知れないってのに光を外に向けて照らすなんて、ただの「ここに人がいますよ」アピールじゃん。あの、自殺行為としか思えないランプの配置自体が謎。

 たぶん現実なら、肥料とかを積んだ防壁の手前において、自分たちの手元は見えるけど、外からは光が見えないようにするよね。
 何がいいたいかって、
あれが主人公の指示だとしたら責任は重いが、そんな指示を出すこと自体が不自然すぎる。

 そして極めつけが、モンスターが侵入して襲い掛かってきた時、なんで狂信者カーモディはモンスターに張り付かれても無事だったの?? 他の人間は無差別攻撃を受けてるのに。
 あんなことがあったら、そりゃ自分は選ばれた人間という錯覚をおこしてもおかしくないよねえ……

 レビューの中には、襲われたのは動いた人ばかりで、カーモディはじっとしていたから助かった、という指摘があったが、それはどうかと。
 外に放置されてた下半身が触手で回収されたり、外に放りだされた軍人も、壁にはりついてる状態に近いのに襲われてるし。
 薬屋でも、動かない死体に虫が集結していってるし。
 カーモディは動かなかったから助かったという設定は、辻褄が合わない。

 ていうか、あのシーン自体が不要だったよ。
 普通に逃げ回って助かってる人もたくさんいたわけだし、カーモディもその一人で十分だったのでは。
 あのシーンを入れることで、カーモディが暴走する動機付けをしたかったのかも知れないけど、助かった理由が不明のままでは説得力がなさすぎる。

 あと、主人公が、重度の火傷をおったジョーのために、隣の薬屋に決死行をするシーン。

 あれ、無理ありすぎでしょう(笑)
 なんであんな無謀な行動をとれる??
 そもそも、あんな大火傷に抗生剤とか焼け石に水。

 百歩譲って、主人公の単独行動なら分かる。
 けど、あれだけ「外に出るな!」と言ってたのに、何人も引き連れていくとか、どう考えてもおかしい。
 てっきり、主人公が自己犠牲の精神で薬屋に行くのかと思って観てたのに、「えっ? なぜそうなる?」っと観てて思ったよ。
 むしろ、「誰もついて来るな。これはあくまで俺の独断だ。失敗して死ぬのは俺一人でいい」となるところでしょう。
 死にかけの一人の痛み止めのために、複数人を命の危険をさらす行動に出るなんて、カーモディと比較するまでもなく主人公のリーダーシップはおかしい。

 その後、若い軍人をカーモディの信者が刺し、外にほおりだしてモンスターの生贄にしたシーンは、完全にカーモディが主犯。
 「カーモディが直接手を下してはいない」とか指摘してるレビュワーがいるが、いやいや、実行犯でなくても、そういう風にもっていってたら、カルト教の教祖もヤクザの組長も一緒だよ。「この男がユダだ!」と指さして、悪魔に捧げよ、みたいに騒いだら、殺せと言ってるのと同義。カーモディは正当化されない。
 あんな環境になら、その場から逃げたほうがいい、と思う心理もわからなくもない。
 だから、カーモディも悪であることは間違いなく、主人公の選択が失敗だったとしても、カーモディが正当化されるというパラドックスは成立しない。

 ……ただ、根本的におかしいのは、映画の描写上、事件が連続しているからそう思ってしまいがちだけど、実際のところ、外に出たり、夜に電灯を照らしたりさえしなければ、襲われない状況ですよね?
 その状況だと、たとえ変な狂信者が人を集めて説法をはじめたところで、そんな脅威は感じないんじゃないだろうか。
 食糧はあるんだから、ただひたすら籠城するんじゃないかと思う。リアルに考えると。
 そこにいる人間同士でもっと話す時間だって沢山あるんじゃないかって思う。日中の空き時間って何やってたんだ??
 
初期みたいに、外にモンスターがいること自体が半信半疑の時点なら、すぐ分裂しても仕方ないが、外の脅威がはっきりしている状況で24時間とじこもってたら、普通なら集まって、もっと色々な話をしたりすると思うんだけど。

 軍人たちも、連日全員で集まってどうするか話をしてたら、その中で自然に白状する形になるのが現実だろうなあ。
 少なくとも、結果的にあんなあっさり軍が殲滅したわけだから、軍属の人間として責任の一端を感じていたとしても、籠城していればモンスター退治に軍隊が動いてるはずだとか、そういう話くらいするはずだと思う。自殺する前に。
 実際、数や正体はともかく、触手だって人力でオノ攻撃したらダメージ与えられたし、虫なんて人間サイズの巨大虫でも、銃や火で簡単に殺せるんだから、軍隊が動けば何とかなりそうって、あの中での判断材料ですらそう思えたけど。

 とにかく、何もかもストーリーの辻褄が合ってない。
 ただ、それらは全部、ラストであっという間に軍隊がモンスターを殲滅するシーンがあったからそう思えてしまっただけで、それさえなければ、あくまで追い込まれた「弱い」人間の行動として、主人公の、ある意味一貫性を欠いた動の説明もできなくない。

 けど、最後に軍隊がモンスターをあっという間に退治してしまったことで、全部が茶番になってしまったのです。

 もっとも、原作のラストは全然違うんですよね。
 原作では、車で逃げた主人公たちは、ガソリンスタンドでガソリンを継ぎ足しながら、どこまでも逃げていくところで終わってるらしい。

 ああ、それならわかる。
 その展開なら、最初に逃げた人はどうなったのか、スーパーに残った人々がどうなったのか、主人公たちがどうなるのか、世界がどうなるのかも、全て謎を残したまま物語が終わる……というスタイルでストーリーはまとまる。

 やっぱり、映画ではラストを変えたことが、それまでの全ての展開と辻褄が合わなくなってしまった、ということだろう。
 ただ、いくら改変するにしても、ピンピンしてる状態から自殺し、その後すぐに事件解決は変すぎる。
 せめて特攻をかけて死んだあとに、軍隊が次々とやってきてモンスターを駆逐していき、もう少し主人公たちも我慢していれば……というのならわかるが、車のガソリンが切れただけで絶望してあっさり自殺し、その直後にモンスターが全滅し、その場で助かった人間が目の前を通り過ぎていく、というのはやり過ぎだ。
 絶望感の演出にしても、不自然すぎてポカーンですよ。

 とまあ、あまりにガッカリし過ぎたので、書いてしまいました。

 ラスト前までは面白かっただけに、非常にもったいない映画だと思いました。
 

 


 →TOPへ