「モノ消費・コト消費」のパラドックス

 最近(2019年現在)、人の消費が「モノ消費」から「コト消費」へと変わった、なんて話がキーワードとなっている……らしい。

 下記のマーケティング情報サイトによると、2006年くらいから使われたとか。

 https://ferret-plus.com/6452

 「コトバンク」の日本大百科全書では、2000年頃から使われたなんて書いてある。
 
ウチの会社の社長も、今年の年初の会議で、「世の中はモノ消費からコト消費へ……」なんてことを大袈裟に宣っていた。

 でも、はっきりいってこの言葉、「最近」というより、2000年どころか、ずっと昔から言われ続けてる言葉だと思います。

 飲食をやっていると、美味い「モノ」さえ出してりゃ客は勝手についてくる、なんて時代はとっくに終わり、トータルでの空間・時間、そしてそれ以前に、その店自体のストーリーといった体験全てひっくるめて「価値」にしないといけない、なんてことは、常に言われていました。
 
だから、ウチの会社の社長が偉そうにこれを講釈していた時は、「何をいまさらわかりきったことを」と思いました。

 ちなみに、飲食業界の情報誌『月刊食堂』1985年1月号には、「時代はモノ消費からコト消費に変わっている」という島田陽介氏(有名なコンサルタント)の話が大きく書かれていました。

 1985年って、バブル景気(1986年12月〜)より前の話ですよ?
 こんな時代からとっくに使われていた言葉です。

 でも、そんな古い言葉が、いまだに「最近のトレンド」のように持ち出されるかというと、そこにはいつの時代も変わらない普遍的な現象が本質にあって、それが錯覚のようなものを引き起こしているからだと思います。

 その本質とは、実はいつの時代も人は「コト消費」を求めている、ということです。
 そもそも「モノ」だけで高い価値があったトレンドなんて存在せず、それは単に「コト」が陳腐化して、後から見ると「モノ」という位置づけに見えるだけだと思います。

 例えば、バブル時代にブレイクした、とある海外のブランドバッグの話になったとします。
 今からそれを見ると、そのブランドバッグという「モノ」に人が群がっていたように見えるでしょう。

 しかし、当時そこに群がっていた人々は、決してその「モノ」だけに価値を感じていたのではないと思います。
 その時にはその時の世相・時代背景がしっかりあり、それを踏まえてストーリーや仕掛けが施されてそのバッグは市場に登場し、消費者にとっては、それを所有するまでの道のり、所有出来た時の達成感、そしてそれを持ち歩いた時に周囲から受ける羨望の眼差しなど、それらがトータルで体験価値のある「コト」として成り得たのだと思います。

 生きる上での最低必需品は別として、嗜好品においては「モノ」だけが売れるなんてことはあり得ません。

 ただ、どんな「コト」であっても、それがブームになって加熱すると、だんだんストーリー性や体験価値とは関係なく、消費者にとってはその流行に乗ること自体が目的化し、需要増に伴う供給増により特別感も薄れ、所有前後の体験価値も失われ、その結果、「コト」は「モノ」へと劣化するのです。

 結果論的に「モノ消費」という現象には行き着きますが、何かがブレイクするそのはじまりは、常に「コト消費」から始まります。
 
つまり、「モノ消費」の時代なんてものはそもそも存在しないのです。

 しかし、その商品が陳腐化してから振り返ると、当時は「コト」だったはずのものが、「モノ」に見えてしまう。
 そして新しくトレンドとなるものは、必ずその時代・世相に適した何らかの体験価値を伴っているので、いつも新しい「コト」に見える。

 だから、今も、昔も、いつの時代でも「モノ消費からコト消費へ変わった」という錯覚を引き起こし、それが言葉のパラドックスを生んでいるだけのことです。

 結局、何かをヒットさせようと思ったら、必ず「コト」の価値を伴わないといけないということです。
 良い物を作っていれば客はついてくる、なんて思ったらいけないし、一度はヒットした商品であっても、それを「モノ」に劣化させないためには、いつでもその時代の適した「コト」に至らしめる工夫と努力が必要なのです。
 ただ粛々と品質維持だけをしていても時代に取り残されてしまう、ということです。

 このあたりは、日本人の苦手なところかも知れませんね。
 欧米の人気ブランドは、それそのものが重厚な歴史を持っている上で、同時に時代の最先端でもあるかのような宣伝努力・見せ方の工夫に余念がなく、そこの莫大な投資をします。
 それに、特にヨーロッパ人は、歴史や薀蓄が大好きです。
 ワインなんかが最たる例ですね。
 もはや味云々というより、そのワイン造りのバックボーンや作り手の思想にまで想いを馳せ、それらをひっくるめて体験価値に感じているからあれだけの価値が伴うのであり、作り手も、そう感じてもらうためのブランドストーリーを作ることにも力を注ぎます。

 一方、日本のメーカーは、すごく良い物を作っていても、その見せ方や宣伝はつつましいところも多く、むしろ宣伝しないことが美徳かのような風潮すらあるように思います。

 でも、結局そういう商品はマイナー止まりだったり、ブランド力では舶来ブランドに負けたり。
 幅広く長い支持を得て、大きな市場シェアを持っているメーカーは、良くも悪くも宣伝が上手なところが多いですよね。
 
時計のロレックスもまさに良い例です。
 しっかり宣伝をしておきながら、製造量・流通量はコントロールし、常に品薄状態を維持する巧みな戦術。
 ロレックスより優れた時計・歴史のある時計は沢山ありますが、ロレックスのスポーツモデルの入手難易度は異常に高く、定価以上のプレミアが必ずつきます。
 そうすることでブランド感を高めているだけでなく、そうした入手の困難さも、時計という「モノ」の所有を「コト体験」に変えることに一役買っています。

 まれに、ほとんど宣伝をしないけれど絶大な支持を得ている、というものもありますが、かなりレアなケースだし、それはそれで「宣伝をしない」ことを逆に上手にストーリーにしていたり。
 でも、大抵は宣伝しないと埋もれてしまい、人知れず消えていくケースの方が圧倒的に多いでしょう。

 品のない広告や、誇大な宣伝はよくないと思いますが、偽りのないストーリーを知ってもらう努力をすることは、何ら恥ずかしいことではないと思います。
 むしろ消費者にとって「コト」としてに価値につながるものだから、何かを売る仕事をしている人は、その製品の機能・性能を高めることと同じくらい、積極的に研究・努力すべきことなんだと思います。

 しかし、商品の企画は、えてして「すごいモノ」を作ることばかりを考えがちです。
 
過去の分析をすると成功は全て「モノの成功」に見えてしまうだけに、とにかく無敵のスーパーマンを生み出そうと躍起になります。
 しかし実は、ヒット商品というものは、そのモノ自体は実はたいしたことはなく、それを「コト」に昇華させるための工夫が大事なんだと思います。
 結局何なのかわからない、どんな存在なのかもわからない「トトロ」というキャラクターが、なぜ異常な魅力を放つのか? そっちのほうを考えるべきでしょう。

 最近やたら流行ってるアイドル商法も同じですよね。
 単に外見が良ければ売れるわけじゃなく、見せ方とか、キャラ付けとか、事務所やプロダクションの仕掛けによって売れるのがほとんどですよね。
 むしろ外見やスキルは後付けなくらいです。

 もっとも、そう思っていても、簡単なことではありませんが、これから海外に日本ブランドを仕掛けていこうと思うなら、より一層考えていかなければならないことでしょう。

 


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