戦争をなくす

 先に仕掛けるのか、自衛のためなのか、発生の経緯は理屈上色々あるだろうけど、「殺し合いはしてはらない」と、世界中の誰もが思ってさえいれば、自衛もなにも、戦争自体起こらないはずです。

 犬や猫もナワバリ争いをするし、蟻や蜂だって戦争をするし、人間も所詮は動物の一種だから、潜在的に闘争本能はあるでしょう。
 でも、その本能を理性でコントロールしてこその「人間」だと思うのです。

 戦争は悲劇です。
 
日本は第二次世界大戦でぼろ負けしたので、その時代を生きた人は、戦争の凄惨さを知っているので、ほとんどの人がもう二度と戦争なんて起こしてはならない、と思いました。

 ただ、気を付けなければならないのは、「負けたからそう思った」ではいけない、ということです。
 
日本は、日清戦争、日露戦争といったそれまでの戦争では全て戦勝国でした。
 
そのため、マスコミの偏向報道もあったとはいえ、第二次世界大戦前の日本では、抗戦派の国民は少なくなかったようです。

 しかし、「戦争は凄惨なもの」という国民認識があれば、そうはならなかったはずです。
 
戦争は、勝ったからよい、負けたからよくない、という捉え方をしてはいけないと思います。

 もし、全世界を相手にして大勝利をあげたとしても、その戦いの中で失った人が、自分にとってかけがえのない人だったら・・・?
 50億の世界を相手に戦争を起こし、日本は僅か数名の戦死者しか出さない大大大大大勝利に終わり、日本が世界の支配者となり、日本国民は等しく億万長者になったとしても、そこで戦死した数名のうちの一人が、自分にとってかけがえのない大切な人だったら、何一つ喜べないと思うのです。

 「お国のために」という言葉がありましたが、「お国」とは何でしょう??
 戦時中の教育では、お国のために死ぬことは素晴らしいことだと小学校で教えたりしていたそうですが、酷い話です。

 「自分さえよければいい」というわけではありません。
 人間は社会的な生き物なので、世のため・人のために生きることは立派なことだと思うし、
戦争でなくとも、政治だったり、個人の活動家だったり、万民のために命をかける・人生を投じる、という生き方自体は、崇高な理念だと思います。

 ですが、そのために「殺し合い」をするのは、絶対に違う。

 「万人のため」といって、罪なき人を最悪の不幸に突き落とすなんて、矛盾というより、それこそ「自分勝手」にもほどあがる。
 
そんなことが大義名分になりえるはずもなく、欺瞞以外の何ものでもありません。

 それができるとしたら、そこに差別があるからです。
 
開拓時代の西洋人にとっての先住民だったり、ヒトラーにとってのユダヤ人だったり、帝国主義時代の日本人にとってのアジア諸国民であったり、自分たちは優先されるべき民族で、それ以外は虐げられても当然であるという差別が、戦争行為を正当化させるのです。

 同じ人間に、虐げていい人種とか、優先される人種などありません。
 
戦争を正当化できる要素は何一つありません。

 第二次世界大戦の日本は、経済封鎖などで政治的に追い込まれ、戦争をするしかなかったと言う人がいます。
 その真偽や経済的な是非をここで簡単に論じることはできませんが、いずれにしろ、「戦争行為」というものは、殺し合いを肯定し、敵だけでなく、身内の命さえも軽く扱うようになり、現に戦時中の日本でもそうした事実があったことは間違いありません。
 全く意味のない、何も生み出すことのない玉砕・特攻・自決、そして戦争屋の自己都合と保身のために「非国民」として獄死させられたり、そうしたことを平気で強要できたこと。
 戦争は、必ず命を軽視する思考を生みます。
 それが、
戦争が悲劇を生むことの本質だと思います。

 平和ボケし過ぎると、戦争がいかに愚かな行為であり、不幸を生むものであるかへの想像力を失ってしまいますが、戦争の凄惨な記憶、悲劇の事実を風化させてしまってはいけないと思います。
 

 


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