尾崎豊

 かつて「10代のカリスマ」などと呼ばれた、故・尾崎豊さん。(って、もう四十年くらい前の話かよ…!)

 僕は尾崎豊さんの歌が結構好きです。
 世代は違うし、僕はヤンキーでもなかったので、反抗的な詩に惹かれたわけではないですが、旋律と、何よりソウルフルな歌い方がとても好きだからです。
 「きっと忘れない」「傷つけた人々へ」「失くした1/2」「存在」なんかを、学生時代にカラオケでよく歌ったものです。

 芸能人の中でも「カリスマ」とか呼ばれる人には、少なからず虚像があり、「教祖」とまで呼ばれた尾崎さんも、歳を重ねるとともに、ファンに期待されるイメージとリアルの自分とのギャップに悩まれたそうです。
 そりゃ、ミュージシャンとして成功し、潤沢な収入もあって、結婚して子供も出来たのに、いつまでも「支配からの卒業」なんて感覚のまなのわけがないでしょう。
 それで、「誕生」をはじめ、年齢とともに変化した自分の人生観に沿った曲を書くようになり、それはそれで多くの名曲が生まれました。

 僕自身は、中学も高校もそれなりに楽しくやっていたので、尾崎さんの反抗的な詞に共感をしたわけではありません。
 でも、尾崎さんが詞にこめた想いのようなものは何となくわかる気がします。

 尾崎さんの詞を「青臭いとか」、今だと「厨二病」なんて言う人がいたりしますが、それは詞の表面しか見ていないと思います。
 もちろん、若さゆえの幼い面はあったでしょう。
 でも、尾崎さんが書いた内容は、当時の高校生なら誰しもが一度は感じるようなものでした。
 だから、それを現役の高校生である尾崎さんが「詞」にしたこと自体は、何らおかしなことではありません。

 尾崎さんは1965年生まれですが、1960年の日本って、大学どころか、高校への進学率すら、まだ57%だった時代なのです。
 その尾崎さんが高校生時代というと、ちょうど1980年頃。非行や校内暴力が社会問題になった時代です。

 それが、日本の高度成長と一億総中流意識の広がりからぐんぐん進学率は上がり、1970年代後半には90%を超えます。
 つまり、尾崎さんが高校生になった当時は、ちょうど「高校に行くのが普通」が社会として当たり前になったばかりの頃なのです。

 行きたい人しか行かなかった高校に、誰もが行くのが当たり前になった。
 本人が望むか望まないかに関わらず、社会の風潮がそうさせている。

 高校に進んで当たり前なのは今も同じかもしれませんが、今との違いは、当時の日本はものすごいスピードで豊かになっていった時期で、それを実現している社会構造のレールの乗って生きることが常識とされていたことです。

 今では個性を尊重されるのが当たり前なので、勉強するのもしないのも個人の勝手でしょう。親が強要しない限りは。
 本来高校とは勉強をするところとはいえ、進学校でなければ、
落第しない程度にやっていれば問題視されることはありません。
 しかし当時は、世の中の流れからはみだすような個性の持ち主は異端視されたのです。

 尾崎さんの歌詞の読むと、荒くれ者のヤンキー出身と思う人がいるかも知れませんが、実はいいとこの育ちでした。
 名門私立の進学校に通い、父親は自衛官、それも一般隊員ではなく防衛大を出たエリートで、実兄は早稲田大を出て弁護士になられています。

 ミュージシャンに進むような感性の持ち主だった尾崎さんは、そんな家庭に育ったからこそ余計に、社会のレールに乗せられることがストレスになり、当時の学校組織にも馴染めかったのでしょう。

 今の人にはピンとこないかも知れませんが、かつての日本では、ロックは不良の音楽だとか、バンドをやるなんてのは不良のすることだと言われていた時代があったのです。
 「けいおん!」ブームを経た今の若者には、信じられないかも知れませんが…

 尾崎さんが高校生時代に書いた、代表曲でもある「卒業」には、

 「逆らい続け あがき続けた 早く自由になりなかった」
 
「この支配からの卒業」

という歌詞があります。

 今の高校生からすれば、えらく大袈裟だと思われるでしょう。
 今の日本では、逆らい・あがき続けなければならないような環境の高校なんてないと思います。
 自由気ままな高校生活を送っている人が大半なのではないでしょうか?

 
 でも、こんな詞を書かずにいられない尾崎さんがいて、それを支持する大勢のファンが全国にいたのが、当時の日本だったわけです。

 現代からすると厨二病と言われてしまうのような視点だとしても、自分に内在する思いや熱量を、旋律や詞として生み出し、ソウルフルに歌にする力、それこそが尾崎さんの魅力だと思うんです。

 少し違う話ですが、aikoさんなんかは、年甲斐もなく恋愛ソングなんて…と世間から思われたとしても、「恋愛の本質は何歳になっても変わらない」と開き直って歌っているそうですが、それでいいと思うんです。
 50歳になって20代の頃の恋の歌を歌ったとしても、それはそれで紛れもなくaikoさんです。
 今のaikoさんではないかも知れないけど、かつていたaikoさんであることは間違いないし、そもそも意識する必要もない。

 だから、尾崎さんだって、10代の教祖のような歌を歌い続けようと、年齢相応の歌に変化したとしても、それが尾崎さんの本心から生まれた詞であり曲である限り、それでいいと思うんです。

 シンガーソングライターというのは、自分の内面を燃料にしている人が多いので、自分にないものにソウルをこめて歌えない、という人もいるのかも知れませんし、尾崎さんはもしかすると、そういう点で悩んでいたのかも知れない。
 
スターゆえの悩みもかも知れません。
 上に駆け上がっていく時は、自分に共感してくれる人だけついてきてくれればいい、と思っていても、いざ一つのポジションに登りきってしまうと、もう降りられなり、ついてきた人が離れてしまうのを恐れるようになってしまうのかも知れない。

 とはいえ、尾崎さんが早逝したのは、本人が望んていたわけではなく、不慮の事故だと思っているので、そもそもそこまで深刻なことはなかったのかも知れませんが…

 いずれにしろ、尾崎さんが若くして亡くなっていなかったら、30代ならどんな音楽を、40代になったらどんな音楽を、50代になったらどんな音楽を生み出していたのか聴いてみたかったので、すごく残念ですね。
 

 

 


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