カラヤンの1964年録音「悲愴」のティンパニクラシック史上屈指の指揮者に数えられる巨匠・カラヤンは、チャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」を7回録音されているそうですが、1964年のベルリンフィルとの録音では、三楽章でシンバルが二拍遅れるという、知る人ぞ知る迷場面? があります。
でも僕は、この録音ではあえて「ティンパニの混乱ぶり」に注目します。
演奏全体としては、名演として誉れ高い1971年ほどの評価はありませんが、というより1971年があまりにも良すぎるだけで、1964年録音も独特の重厚感があり、決して悪い演奏ではなく、むしろ好演だと思っています。
ただ、この録音での三楽章でのシンバルの遅れは、かなりの「謎」とされています。
ミスがそのまま録音されること自体は決して珍しくありませんが、これに関しては相当な目立ちっぷりで、喩えるなら、ボーカルが歌詞を間違えたレベルのミスです。
ライブならともかく、レコーディングでここまでのミスをそのまま音源化するのは疑問が残るので、意図した改変ではないか?(わざと)と思うリスナーもいるほどです。
ですが、僕は絶対にミスだと思います。
なんで間違えるのかわからないレベルのミスですが、何故そう思うのかというと、そのシンバルだけでなく、そこからティンパニ奏者が混乱しはじめるからです。それがはっきりわかるのが、35分あたりのところで、ティンパニも思っきりミスっています。
これは、単なる叩き間違えではなく、「音程の変え忘れ」が原因によるものだと思います。ティンパニのことをご存知ない方は意味が分からないかも知れませんが、ティンパニは、通常四台ワンセットで演奏します。
ですが、四台だけでは四つの音程しか出せないので、演奏中にペダルを踏んで音程を上げ下げして調節しながら演奏するのです。悲愴は、曲中に何度も音を変えないといけない曲なのですが、この録音では、35分あたりのところで、ティンパニ奏者が本来「C」の音を叩くべきところで「D」を叩いています。
これはおそらく、叩き間違えではなく、Cを叩こうと思った瞬間に、そのティンパニの音程をCに設定し忘れていたため、やむを得ずDを叩いてごまかしたものと予想されます。(CをDでごまかすのはおかしいと思われるかも知れませんが、当該箇所のフレーズの流れとしてはアリな音です)
何故そう言えるかというと、慌てて隣のティンパニのペダルを踏んで音を変えたため、叩いたD音に共鳴してそのティンパニが「ウィィィン…」とポルタメントする音がはっきり入っています。
しかも、それで音程がうまく定まらず、次に叩いた時は下げ過ぎて低い音が出てしまっています。
そしてまた音程を調整し、三発目でようやくCに音が定まるという、プロとしてはありえない混乱っぷりを見せています。これはおそらく、ティンパニ奏者の単純なミスというより、その前のシンバルのミスで動揺した結果ではないか? と思います。
想像を膨らませ過ぎと思われるかも知れませんが、もし自分がその録音時にティンパニ奏者だったら? と思うと、十分あり得ると思ったからです。
何故なら、チャイ6の三楽章のシンバルは、かなりの聴かせどころなのです。
管弦の勇ましい行進のような音とリズムに乗って、それが最大に高揚した瞬間に「シャーン!!」と、高らかに鳴り響くシンバル。最高に格好良い場所なのです。これをミスること自体が有り得ないレベルなのですが、それが、あろうことか二拍遅れて叩いたとなれば、同じ打楽器セクションのメンバーにしたら、とんでもなく衝撃ものです。
「録音やり直しだろ」って、僕なら絶対に思いますね。
しかしカラヤンは演奏を止めなかった。
「え? まじか? このまま行くの? いいのか??」
ティンパニストは、絶対そう思ってたのではないでしょうか。
そう半信半疑に思いながら叩き続けているだろうことが、シンバルが出遅れたすぐあとの流れからも感じさせます。そのすぐ後は大行進のリピートになるのですが、一回目はドカンドカンとマルカート・アクセントで叩いていたのが、シンバルミス後のここでは、同じフレーズなのに、おかしなことにだんだん勢いが弱まって芯のない音になっていくのです。
これって明らかに、「おいおいおい、まじで? 止めないの??」と思いながら叩いてる感が満載です。
そんな心理状態だから、音程の調整を忘れたのではないかと思います。で、なんだよ、このままいくのか、と思いながらC音を叩こうと思った瞬間に、「やべっ! 音変え忘れた!」と思って、慌てて調整した結果がこれではないかと。
このティンパニの音程ミスに気付いている人は、僕以外には見たことがないので、かなりマイナーな情報ですが、興味ある人は是非注意深く聴いてみて下さい。