佐野実さんのラーメン

 僕が今まで食べたラーメンの中で、一番美味しかったラーメンは? と聞かれたら、迷わず答えます。
 故・佐野実さんの「支那そばや」のラーメン、と。

 「ラーメンの鬼」と呼ばれてテレビにも良く出ていましたが、ラーメン職人としてはおそらく日本一有名な人ではないでしょうか。
 有名なヤラセ番組「ガチンコ」で極端なキャラを演じた影響で、毀誉褒貶も激しく、佐野さんの作るラーメンが実際に美味しかったのかどうかについても
、ネット上では色々な意見があります。

 ですが僕は、佐野さんのラーメンは「最高に美味しかった」と、迷いなく断言します。

 僕が食べたのは藤沢の本店ではなく、新横浜のラーメン博物館の支那そばやですが、その時は藤沢の店はなく、戸塚の店ができるずっと前のこと。
 佐野さんの店はラーメン博物館の支那そばやしかなく、佐野さんご自身がよく厨房にも立っておられた頃です。

 ラーメン好きの友達と一緒に食べに行ったのですが、僕もその友達も、特に佐野さんのファンというわけでもなく、あれだけ有名だったらどんなラーメンなんだろう? くらいの軽いノリで食べたのでした。

 そして、実際に運ばれてきたラーメンのスープをまず啜ると、その時点で普通のラーメンではないと感じました。

 「えっ? 何これ?」

 見た目はノーマルな醤油ラーメンでしたが、驚くほど味が軽く、爽やかさを覚えるほどだったからです。
 当時のラーメンは、どんなに有名店・人気店のラーメンだろうと、多少なりと大衆感・ジャンク感があるものでしたが、それを一切感じなかったため、ある種「肩透かし」をくらったような感覚になりました。
 といって、決して味が薄いわけではない。
 僕も友達も、互いに同じような印象を口にしました。

 そして、一口、ふた口と、食べ進めるにつれて……
 食べるごとに、どんどん深まっていく味わい。
 そして麺が、スープが、喉を通るたびに心地よい香りが鼻を抜けていきます。
 軽いといっても、明らかに動物性の出汁がしっかりあるのに、しつこさが全くない。
 しかしそれでいて、密度の濃い確かな味とコク。

 最初のスープの印象を口にしたきり、それ以降は黙ったまま食べ続け、後半に差し掛かろうとした時、再び二人は口を揃えて、

 「やばい。めっちゃうまい」

 そう言って互いに顔をほころばせました。

 スープの最後の一滴まで飲み干し、一息ついた時は、もはや恍惚感にも似た充足感に満たされていましたが、

 「なんやろ、これ。明らかにラーメンやねんけど、ラーメン食べた気せえへんな」

 と、そう話しながら一致した意見が、「上等な和食を食べた後のような食後感」でした。

 料亭の美味しい吸い物を飲んだ後のような、何ともいえない、後を引く感じです。
 最初は軽いように思ったのが、飲み進めるにつれて丁度よく感じ、飲み干すと、「あ、終わっちゃった。でもなんか、もうちょっと飲みたいな」と思わせる、満足感はあるけれども、どこか切なくも幸せなあの感覚です。

 食後感が和食っぽいからといって、決して、和風っぽいわけでなく、明らかにラーメンなのですが、かとにかく、絶妙な味加減なのです。
 出汁がどうとか、醤油がどうとか、濃いとか、薄いとか、そういうパーツを一切感じさせず、塩も、脂も、旨味も、香りも、全てが渾然一体とし、絶妙なバランスでまとめられた「料理」だったのです。
 もちろん、風味や味わい一つひとつも、たまらなく上質だからこそ美味しいわけですが、それらのバランス感覚が絶妙なのです。

 それまでに食べた全てのラーメンと、料理としての完成度が根本的に違いました。
 そしてそれ以降も、あれ以上の完成度のラーメンに出会ったことがありません。

 ラーメンに限らず、味なんてものは好み・嗜好のものなので、誰もが同じように、美味しいと思うかどうかはわかりません。
 佐野さんのラーメンも、人によって評価は分かれるかも知れません。
 ですが、少なくとも、唯一無二の個性と完成度を持っていたことは間違いありません。
 スタンダードな醤油ラーメンでありながら、あれほどの独自性と完成度を感じさせたのは、後にも先にも佐野さんの支那そばやだけです。

 ただ、その後、佐野さんが病気をされたのか、別の活動が忙しくなったかで、店に顔を出されなくなってからの支那そばやでは、もう二度と同じ味には出会えませんでした。
 戸塚の本店も、弟子なのかアルバイトなのかが作ったラーメンは、「美味しいラーメン」ではありましたが、そこまでの特別感はありませんでした。
 佐野さんが亡くなられてからも新横浜の支那そばやには行きましたが、もはや「普通のラーメン」でした。

 「思い出補正」ではないと思います。
 あの時食べたラーメンは、ラーメンとは思えない爽やかな口当たりから始まったのに、現在の支那そばやは、どこにでもあるラーメンと同じく、一口目からしっかり旨味がくる、明らかにありきたりな味に思います。

 やはりあの味は、佐野さんが眼を光らせていなければ出せない、「佐野さんだけの味加減」なのだとつくづく思います。
 もっとも、その裏には、佐野さんがいたからこそかけられたコストや手間もあるかも知れませんが、いずれにしても、佐野さんのこだわりあってこそ存在し得た味だったんだろうと思います。

 「ガチンコ」の過激なヤラセ演出のせいで、悪い印象を持たれている人も少なくないようですが、実際の佐野さんは、良い人なのかどうかはわからないけど、普通の人だったと思いますよ。
 テレビでは、テレビ側から求められている「キャラ」を演じていただけだと思います。

 youtubeを漁ると、「ガチンコ」以前の佐野さんの映像がいくつか出てきますが、「ガチンコ」に出演された2000年より前の映像を見る限り、営業中以外での佐野さんは、気さくなただのオジサンです。
 1994年頃のテレビの取材では、営業中は不愛想で無口でしたが、店が引けた後の、厨房でテレビのリポーターからの質問に対しては、自分のこだわりを始終嬉しそうに答えていました。
 1999年に放映された「愛の貧乏脱出大作戦」でも
、売れないラーメン店主にラーメンを教える姿は、「ガチンコ」のそれではなく、真摯に、丁寧にラーメン作りを教える、普通のおやじさんでした。
 「ガチンコ」での佐野さんは、尊大な態度で具体的な指導は一切せず、禅問答のようなやりとりばかりで意味不明でしたが、「愛の貧乏脱出大作戦」での佐野さんは、とんこつの割り方から火加減、分量、時間まで具体的に説明し、最後にはレシピを書いて渡していました。これが本来の佐野さんなのでしょう。

 「ガチンコ」以降は、テレビ局や視聴者が求める「鬼」のキャライメージを落とさないように、意外と、頑張って演技をされていたのだと思います。
 何かのバラエティ番組では、腕を組み、終始ニコリともせず感じの悪い「鬼キャラ」を装いながらも、ちょっとカメラの画面から外れそうになったところをよく見ていると、笑いをこらえきれずに口元が緩んだりしている瞬間とかがありました。
 テレビに出るって大変なんですね。

 いずれにしろ、惜しい方を早くに亡くしました。
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 

 


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