ビジネススーツの文化

 最近、ビジネスの場での服装の自由化が進み、「スーツ離れ」が進行していると言われています。
 スーツなんてかたっ苦しいし、仕方なしに着ている作業着に過ぎない、という人も少なくないと思います。

 でも、ビジネススーツの歴史って、結構面白いです。

 もともと僕も、スーツなんて堅苦しくてで好きではありませんでした。
 しかし、これだけ世界中に広まって定着するからにはそれなりの理由があるのか?
 と思って、歴史や文化を調べると、やはり相応の背景があり、そうなると色々考えながら買うのが楽しくなり、そうやってこだわって買ったスーツだと着るのも楽しくなるので不思議なものです。

 どうせ着なけいといけないなら、少しでも楽しめるように、スーツの歴史を紹介しみようと思います。

 スーツは、元を辿ると中世期のヨーロッパで、大衆から軍人、貴族まで、色々な階層の人が普段着として着用していた、「フロックコート」なるものが源流だそうな。襟なんかは軍服から変化したものらしい。

 中世の貴族は、正装でも格好はバラバラだったそうです。
 それがだんだん、モーニングコートだとか、テールコート(燕尾服)だとか、定番の型が生まれ、それを短く着易くした「ラウンジスーツ」なるものが今のジャケットの原型になったそうです。
 ズボンは、イギリスでも貴族はみんな半ズボンでしたが、十八世紀中頃に新古典主義というのが流行すると、ギリシアの彫像のようなスタイルが理想像になり、それを服で表現しようとしたことからジャケットは男性的な肩と胸を立体的な作りに、ズボンは足のデコボコを隠す長ズボンになったようですね。(中世の王侯貴族はぽっちゃりしてるのが普通だった)

 服装が定番化していくと、イギリスの貴族の間で格好良いスーツを仕立て合うのが流行り、それがいつしか貴族階層の嗜みとなって、現在の英国紳士のスーツスタイルになったそうです。
 つまり
スーツというのは、身分の高い人が着るものだったわけですね。

 そこから、スーツを着用している=素性卑しからぬことを示すこととなり、それがビジネスの世界でも、相手から信用される・うさんくさい人間と思われないために、スーツを着用することが広まっていったそうです。
 今でも一部の高級レストランなどではジャケット・ネクタイ着用などがドレスコードとしてあるのは、高級レストランが富裕層の社交の場であった時代の名残というわけです。

 今日でスーツは大量生産されて安価に手に入るため、スーツを着ていることで身分の証明になんて成り得ませんが、かつては一着一着オーダーメイドして作る高価なものだったので、単純にスーツを作れるというだけでも、ある程度まともな人物かどうかの目安になったみたいです。

 ちなみに、フォーマルな場でのワイシャツが「白」とされるのも、イギリスの貴族の服装に由来します。
 産業革命時のイギリスの街では、工場や鉄道の排煙で、外に出るとシャツがすぐに汚れたそうです。
 そこであえて、汚れの目立ちやすい白いシャツをいつでも綺麗な状態で着こなす事が、ワイシャツを沢山持っている=クリーニングを頻繁に行えるということのアピール、つまり富裕層の証、というのもあったみたいですね。

 とまあ、ここまでは成立史のようなものですが、面白いのはここからです。

 十九世紀以降、多くのヨーロッパ人が、一旗あげようと開拓地アメリカに移民しました。
 多国籍混合の新興国であるアメリカが、短期間に力をつけるために歩んだ道は、徹底した合理主義です。
 このアメリカで、
イギリスで生まれたスーツスタイルは独自の「合理的」進化を遂げ、スーツの大衆化を生み出します。

 そこで登場するのが、ブルックス・ブラザーズ。
 このブルックスブラザーズこそ、アメリカン・トラディショナルの原点です。

 イギリスのスーツは、分厚い肩パッドで男性的な上半身を表現しつつウェストを絞るという、逆三角形のフォルムを形作るのが特徴です。
 ギリシア彫刻のようなフォルムが理想像ですから、そうした男らしいシルエットになることが特に意識されたわけです。
 生地や色合いは、目付きの良い重厚な生地を使い、色はジェントルマンらしくあざとい自己主張はせず、ネイビーやチャコールグレーといった、落ち着いたトーンを良しとするのがイギリスらしさです。
 それらの背景には、気候が寒いこともあったとようです。

 一方、アメリカのブルックス・ブラザーズのスーツは、肩パッドはほどほどに、丸みのある肩のラインにし、何よりウェストを絞らず、寸胴のように太い「ボックス型」といわれるフォルムにしたことが特徴です。
 
この全体的にゆったりとした作りは、どんな体型でも着る者を選ばないことを企図したためです。
 いかにも合理主義のアメリカらしいデザインです。

 もっとも、ウェストを絞らないスーツは「サックスーツ」といって、もともと存在してはいましたが、それを独自のデザインで確立して広め、アメリカのスタンダードとして定着させたのがブルックスブラザーズというわけです。
 それまで、人ぞれぞれの体型に合わせてオーダーメイドして作るものだったスーツを、体型を気にしない着こなしを流行らせたことで、同時にスーツの量産化を可能にし、より広く普及させることに繋がったのです。

 また、ボタンダウンシャツを生み出したのもブルックスブラザーズです。
 スーツの本場であるイギリスの伝統的な着こなしに存在しないため、日本のスーツマニアの中にはスーツと合わせる服としてボタンダウンシャツを認めない、という人がいますが、それはあくまでイギリス偏重の視点です。
 
アメリカ人は、歴史を辿ると宗教的な理由などでヨーロッパから追い出された人々が多かったので、むしろアメリカで生まれたボックス型スーツとボタンダウンシャツを着てこそアメリカ人らしさ、という考えのアメリカ人も少なくないそうです。

 そうしてアメリカでは、ヨーロッパへの対抗意識もあり、イギリスのスタイルに捉われない、独自のファッションスタイルを作り上げていきます。

 しかし、そこでさらに面白いのが、1930年代のアメリカのジャズメンが生み出した、ズート・スーツです。
 キャブ・キャロウェイなんかがよく着ていた服で、ジャケットの丈が非常に長く、上下ともにめちゃくちゃダボダボなのが特徴の、ある意味ふざけた感じのスーツです。
 何故
そんなスーツが生まれたかというと、ジャズを生み出した当時の黒人達は、アメリカ社会の中では差別され虐げられていたので、白人文化であるスーツをそのように崩すことで対抗意識を燃やしていたそうです。

 アメリカのスーツ自体、ヨーロッパの伝統文化に対抗して独自進化していったのに、アメリカの中ではそれに対抗意識を燃やしたスタイルがさらに生まれたというのが面白いです。
 しかも、そのズートスーツが、今度は本家イギリスに逆輸入され、イギリスの1950年代の不良の「テッズファッション」(リーゼント頭にエドワードジャケットを着るというもの)に影響を与えたというのだから、本当に面白い。

 そして、世界的なスーツスタイルのもう一つの潮流は、イタリアです。
 
芸術が盛んで職人の国でもあるイタリアでは、スーツスタイルは純粋なファッションとして大いに発展しました。

 イタリアのスーツは、イギリスともアメリカとも違い、体のラインに自然に沿ったフォルムが特徴です。
 肩パッドで誇張することなく、首から肩にかけたなめらかなラインをそのまま表し、ウェストも軽く絞って体のラインを自然に見せるという、俗にいう「セクシー」なスタイルです。
 イタリアでは、単にユニフォーム的な服としてではなく、カジュアルな着こなしも重視したからです。

 そこからさらに新しいスタイルを世界で流行らせたのが、かの「アルマーニ」です。
 アルマーニの「ソフトスーツ」は、ガッチリとした構築的なイギリスのスーツとは対極を成し、スーツの内部の色んな分厚い構造を取っ払い、柔らかい着心地の、それまでの堅苦しいイメージを変えたスーツです。
 バブル時代の日本でも流行った、やわらかく大きな肩パッドが入った、少しオーバーサイズのスーツですね。
 大きくすることで可動域を広げ、さらに女性用のジャケットスタイルも提案して流行らせました。

 イタリアは歴史的にも国家や階級などが長く安定しなかったので、イギリスのように階層社会のユニフォームとしてスーツが発達したわけではないのが、こうした違いを生んだのでしょう。

 イタリアのスーツは、気候や生産条件の違いもあって、高い染色技術を持ち、イギリスに比べて圧倒的に色や柄の種類が豊富で、生地は柔らかくしなやかで、目付きも軽いものが多く、地味で重厚なイギリスとは全く別物です。
 本切羽とかバルカポケットとか、小技を利かせるのもイタリアで生まれたスタイルだそうです。

 そして日本。
 戦前はどちらかというとイギリスの影響を強く受けてスーツ文化が発達しましたが、戦後にアメリカ文化が急速に流入したのに加え、かつて日本のファッションの神様といわれた石津謙介氏が、1960年代のアメリカの「アイビーリーグ」のスタイルを日本に紹介したことから、アイビースタイルが大流行しました。
 石津氏は、日本のファッション史では必ず名前が出てくる「ヴァン・ヂャケット」の創始者ですね。

 アイビーリーグとは、アメリカ東海岸の名門大学のことです。
 アメリカ社会を担うエリートたちのスタイルであることから、日本でもエリートたちの目指す模範的なファッションとして人気になりました。
 今もなおオジサンたちの間では定番となっている「紺ブレ」スタイルなんかが、アイビーの象徴的なスタイルです。
 ブランドではブルックス・ブラザーズはもちろん、J-PRESSがその代表的ですが、日本生まれのケント・アベニューなどもアイビースタイルがコンセプトですね。

 しかし、日本がバブルを迎え、経済的に潤い世界中の最先端のファッションが入ってくるようになると、ヨーロピアンスタイルも広まり、バブル期の日本ではアルマーニのスーツが大流行しました。
 
そして、何故かわかりませんが、バブル時代〜1990年代の日本では、ソフトスーツをさらに誇張した、やたら肩幅を広くとった、ダボついたジャケットやズボンを着るのが流行ってました。当時の芸能人や、CDのジャケットなんかを見ると、その傾向がよくわかります。
 これはおそらく、新しい着心地を提案したアルマーニの思想とは関係なく、小柄な日本人が、より自分を大きく見せようとした結果ではないかと勝手に推測しています。

 ですが、2000年代になって文化も成熟したことや、おそらくインターネットの普及により、世界の情報が簡単に手に入るようになったからでしょうか。
 仕事などかっちりした場で着用されることの多いスーツは、変化球的なデザインではなく、伝統的な着こなし方がお手本となり、体にフィットしたスタンダードなスーツを着るのがスマートとされるようになっていきました。

 ただ、最近の日本独自のトレンドとしては、やたらスリムフィットなスーツが流行っています。
 スーツマニアの間では気持ち悪いとか言われていますが、これは日本人の体型の特徴ゆえに、必然的に生まれたスタイルなんじゃないかなあ? と思います。
 何故なら、日本人は、最近は身長こそ伸びましたが、骨格的にはまだまだ細いし、やはりファッショントレンドとなると若者が中心になるのは当然のことなので、逆三角形を理想とするイギリスなんかとは違った形になるのは日本人として必然的なのかなあ、と思います。

 セレクトショップでも、ユナイテッド・アローズや、ベイクルーズグループのEDIFICEなんかは、かなりスリムなスタイルが強いと思います。
 SHIPSは少し大きめで、BEAMSはやはりアメリカ寄りなフォルムのように感じます。

 そんなわけで、スーツなんて面白みのない作業服だと思ったら大間違いで、色んなスタイルや特徴があるのです。

 とまあ、こんなことを考えていると、それまでは仕事で義務的に着ていただけのスーツにも、デザインの違いや生地の違いなど、なかなか選び甲斐が出てきて楽しくなり、そうやってあれこれ悩みぬいて選んだスーツとなると、着るのも楽しくなり、人生の楽しみが増えるのではないかと思います。 

 

 


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