学校教員のレベルは本当に下がったのか?

 最近の学校教員は質が下がっている、という話が、ニュースやネットの記事などでちょいちょい出てきます。

 本当にそうでしょうか??

 学校の先生なんて、昔からたいしたことはなかったと思います。
 変わったのは「親」と「社会」だと思います。

 だいたい、昔は「でもしか先生」という言葉がありました。
 高度成長期やバブル時代は、民間企業の方が圧倒的に人気が高く、戦後2度のベビーブームで学校の先生が不足していたので、職にあぶれた人が「先生にでもなるか」「先生にしかなれない」といって教員になったことを揶揄した言葉だそうです。

 さらに言うと、終戦直後は、教員としての勉強をしたわけでもない予科練崩れや軍隊上がりの元兵隊が、どういった経緯か学校の先生になり、軍隊さながらに生徒に暴力をふるうことが趣味のような輩がザラにいたそうです。
 しかし、当時は体罰でクビにはならなかったので、結局そうした先生が昭和の終わり頃までは沢山いて、そんなのがゴロゴロいた時代の学校教師のレベルなんて、推して知るべしです。
 僕が中学に入学した頃は、ギリギリその世代の先生がいて、生徒が何かをやらかすとすぐに殴ってました(小突くのではなく、全力のグーパンです)。

 一方、今の教員は大学できちんと教職の単位を取得した人ばかりで、就職氷河期時代なんかは百倍以上の狭き門を突破した選りすぐり集団だからレベルが上ったのか?
 となると、そういうわけでもないでしょう。

 だいたい、人を教える・指導する、というのは、一つの技術であり、適正も重要です。
 どんなに頭が良かろうが、大学で単位を取ったからと言って教育者としての技術があり、適正があるのかは別です。

 僕自身、中学と高校の教員免許を取得したので知っていますが、単位を取るために大学で勉強したことなんて、ほんとタカが知れてます。

 教師は教育の「プロ」というけれど、スポーツのように実力と実績でなったわけじゃないし、良い授業が出来ないと2軍に降格するわけでもない。

 やってみたけど適正がなかったり、公務員の地位に甘んじて技術を磨く努力をしない人もいることでしょう。
 
とどのつまり、学校教員のレベルなんて、今も昔もピンキリだったということです。

 ただ、それが良い悪いの話ではなく、「昔と今が違う」点となれば、それは「親の質」と「社会の変化」でしょう。

 昔は、「常識」は家で親が教えるものでした。
 学校で生徒が何か問題を起こすと、先生が親に文句をつけて、親が謝るものでした。

 1980年頃の人気テレビ番組「あばれはっちゃく」シリーズでは、毎度問題を起こす息子に対し、父親が「バカヤロウ!」といって息子をひっぱたき、「てめぇの馬鹿さ加減にはなぁ、父ちゃん情けなくて涙が出てくらぁ」と嘆くシーンがお決まりでした。
 間違っても「学校の教育はどうなってんだ!」と言って学校に乗り込んでいったりはしません。

 それが今では、生徒が問題を起こすと、先生に管理責任が問われ、親が学校に文句をつける時代です。
 その最たる例が「モンスターペアレンツ」でしょう。

 これは、正しい時代の変化でしょうか??

 そもそも「学校」の成り立ちを考えると、本来学校は「学問」を教えるところです。
 もちろんそこには、一般常識や道徳・倫理の勉強も含まれますが、それは、より社会的な「教養」レベルのものです。
 人間としての基本レベルの「常識」は、親が教えなくて誰が教えるのか? と思います。

 何故なら、学問は客観的なものです。
 だから、学校で教えられる内容が無条件に「正」です。

 しかし、「常識」には多分に主観的な側面があるから、家庭で別の価値観をもって育てれば、そっちに傾いてしまいます。

 ネットの記事では、「昔の教員は尊敬されていたから先生の言うことに親も納得した」と書く人がいるけれど、はっきり言ってそんなんじゃなかったと思います。
 昔は「学校」という「社会」に子供が適合しなかったら、それを親は「恥ずかしい」と思ったり、そうした集団に適合させることが社会性を身に付けることだと思われていました。
 「他人様に迷惑をかけることは悪いこと」という認識が、当時の親の認識だったからだと思います。
 教員が立派かどうかは丸っきり関係ない。

 それに、根本の認識として、親の教育を塗り替えるほどの指導力を学校の先生に求めるのは、ハードルが高すぎでしょう。
 というか、仮にそれが本当に出来たとしたら、自分の子供が親の言うことより学校の先生の言うことを信じるということなりますが、親として、本当にそれで良いのでしょうか??
 
自分の子供が、自分が教える常識よりも、学校の先生の常識に従ってほしいと、本気でそう思っているのでしょうか??

 そもそも、常識というものは、教わって身に付くというより、家庭環境によって身に付く部分が大きいと思います。
 親が放任主義で、子供の常識教育は学校の先生にやってもらおうなんて考えていたとしたら、放任されていること自体がその子供の常識になってしまうと思います。

 そんなわけで、日本の教育について考えるのであれば、教員の質を問うよりもまず、親のあり方、家庭での子供の「躾」について考え直すムーブメントを国は起こすべきではないかと思います。

 また、社会の変化という点では、戦後から高度成長期の日本の社会は、いわゆる「護送船団方式」で、どこの会社も年功序列でタテ社会の組織が普通で、一人ひとりの個性などはあまり尊重されず、「画一化」教育が当たり前だったし、むしろそうであることが「正」でした。
 それが良いと言っているわけではなく、
今は、多様性の時代で、社会の変化のスピードも速く、人それぞれに合わせた教育が必要になるので、昔よりも教育者に求められる技術的な難易度は確実に高くなっているということです。

 つまり、昔は教員に必要な技術レベルが、今に比べれば相対的に低かったのだろうと思います。
 
そういう意味では、昔よりも今の学校の先生のほうが、苦労してるんじゃないかと思います。

 じゃあどうしたらいいの? というと、特に高校教師には、社会人枠を増やすべきだと思います。
 何故なら
、現在の教員制度では、ほとんどの教員が大卒でそのまま先生になるため、世の中を知らない人が多すぎるからです。

 一方、生徒側は、その多くが高校時分に進学か就職かという人生の最初の大きな選択に迫られます。

 しかし、民間での社会人経験がない集まりである学校教員だけで、本当に適切な進路指導が出来るのでしょうか??

 民間企業で働けば偉いわけではありませんが、大学を出て、学校という特殊な組織でしか働いたことがなく、しかも教員のほとんどがそうした人の集まりというのでは、あまりにも偏り過ぎでしょう。

 その点については、昔のほうが、民間企業を辞めて学校の先生になった人が結構いたので、今よりも良かったかも知れません。

 最近では、社会人枠を増やしている教育委員会も増えましたが、そのほとんどが、海外での国際的な業務経験があるとか、英語が出来るとか、特殊な専門スキルの所持者を求めるようなものばかりです。
 広く社会のことを教え将来に導いていくことを趣旨とするような社会人枠の採用は、非常に少ないと思います。

 昔から日本の学校教育には、この部分が欠けていると思います。
 学校というのは学問を教えるところであり、自分の進路は自分で考えるもので、就職活動も個人で行うのが当然で、本来的には学校が責任を負うところではないのかも知れません。

 しかし、日本の経済を強くしようと考えた場合、それではいけないと思うのです。

 日本の大学は単専攻なので、文学部の文学科専攻なら文学や語学、工学部の機械専攻なら機械系と、専攻した学科のことしか基本的には学べないので、大学に入った時点で、ほぼ就職の方向性も決まってしまいます。
 しかし、欧米の大学は複数専攻できるので、例えば医学と音楽という全く異なるものを同時に専攻し、それぞれ専門教育を受け、医者か音楽家か、どちらの道に進むかを大学時代に考えることが出来ます。これは、日本では考えられないことです。

 つまり、欧米と違って日本では、高校生の時点で、ほとんど将来の方向性が決まってしまうということです。
 そうなると、高校生における進路指導は、日本の将来を背負う若者を育てる、という意味でも、非常に重要性なことのはずです。

 それに、実践的なスキルを学ぶ欧米の大学と違って、日本の大学は、理系はまだしも、特に文系学部においては、学んだことが職業のスキルにほとんど結びつきません。
 そのせいか、最近は大学に入ってから、別に専門学校に通って資格を取る、という人が増えています。

 ただそれも、大学の授業を補完するためならまだしも、文学部に入りながら、専門学校で会計士の資格を取るというような、全く無関係の場合も少なくありません。

 これはつまり、日本における大学の役割は、ほとんど「学歴」を得るためと、就職までの準備期間のようなもので、教育機関としては形骸化しています。

 こんなことでは、およそ優秀なビジネスパーソンが育つ環境とは思えません。
 大学に学費を払いながら学費の高い専門学校に行くなんて、お金もかかる話だし、高校では、進学するのは塾に行くのが当たり前になっているという。

 日本の学校教育は、一体どうなってるのでしょうか??
 進路指導もまともに出来る環境になく、専門であるはずの学業ですら、進学にも就職にも役に立たないとなっては、何のための学校なのか。

 いくら、自分の人生は自分で切り拓くのが基本だと言っても、日本の社会・経済を強くしようと思ったら、学校教育のあり方や、進路指導のあり方を、根本的に見直さないといけないのではないでしょうか?

 日本経済が低迷し、学力低下も騒がれる昨今、日本の教育のあり方には、まだまだ研究と改革が必要だと思います。

 

 


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