学校教員に求め過ぎな日本

 最近なのか、日本人の傾向なのかわかりませんが、今の日本では学校の教員に多くを求めすぎだと思います。

 ポイントは三つあります。
 一つ目は、大前提として、
学校は「学問の場」であって、もちろんそこには年齢相応の道徳・倫理教育も含まれはしますが、基本的な「躾」レベルのことは親が責任を負うべきであり、基本常識すら欠けている生徒の改善指導を教員に求めるべきではない、ということ。
 
二つ目は、学校教員も労働者なので、適正な勤務時間内で終わる範囲しか求めるべきでない、ということ。
 
三つめは、日本の教員の大半が大学を出てすぐ教員の道に進むため、そもそも一般社会で揉まれた経験もないような連中に、高度な期待をかけること自体がそもそも間違っている、ということ。

 先日、こんなニュースが出ていました。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190728-00189286-bizspa-life

 某タレントが、学校に対して18時以降になると電話が留守電になるのが不満だとしてぶちまけたところ、多くの反発をくらったという話。
 
こういう輩がまさにモンスターペアレンツになるので、反発を受けるのは当然でしょう。
 
問題は、そうした反発に対してその某タレントは、自分の発言について一応の謝罪をしたものの、「モンペだからできること」などとコメントしたことからも、謝罪したのは形だけで、全く自分が間違っているとは思っていない様子。
 世間から諭されても自分の間違いに気付かないなんて、もはや人として完全に何かが欠けています。

 こんな非常識な輩に対して細かく突っ込むのめんどくさいので、内容に対していちいちどうこうは書きませんが、こんなモンペが、今の日本では決して珍くないのでしょう。

 こういう親は、自分の子供に対する責任を放棄しすぎなんだと思います。
 
親として、自分の子供に対して責任を持っていたら、こんな不満が出るわけがない。
 
学校は、勉強させる場所であって、子供預け所ではない。
 
さすがに授業中は管理監督責任があると思うが、授業が終われば、そして部活が終われば、それまでです。

 そこに、時間外の自分の子供の面倒をみてくれだなんて言うこと自体がおかしいし、それを対応できないというと、冷たいだとか心の問題、などとい言いはじめることもおかしい。

 そもそも、お前の子供だろ。
 お前がほったらかしてるからそうなったんだろ。
 
アカの他人をとやかく言う前に、お前は何なんだ。

 勉強だけに特化すると、それでは塾だ、予備校だ、という人がいるかも知れませんが、学校は「受験」だけが目的ではないだけで、通常教科、体育科目、芸術科目、そして集団行動や協調性、人間関係といった、先進国の文化人たる教育を施すに過ぎない。
 
「子供を親の代わりに預かる場所ではない」ことには変わらない。

 子供の生活行動の管理や人としての躾をするのは、全て親の責任だと思います。
 
ましてや時間外の素行管理を学校に求めるなんて、親として話になりません。

 こういう話をすると、

 「忙しい親だっている」
 
「仕事をしている親はどうしたらいいんだ」
 
「そのための学校じゃないのか」

 なんてほざくモンペも少なくない。

 おいおい。
 
他人に依存しなきゃ子供を育てられないなら、子供を作るなといいたい。

 百歩譲って、「忙しい親」という立場をフォローしたとしても、といって学校にその対応を押し付けるのは筋違いだ。
 むしろ学校としては、「おたくのお子さん、はっきりいって手に負えませんね。私らの指導に従えないなら、登校禁止にさせてもらいます」と言っていいくらいの話だと思います。

 自分が忙しくて面倒が見れないなら、家政婦か執事でも雇えって話だ。
 学校に、時間外の子供の預け代でも払ってるならともかく、どういう前提で学校に面倒をみさせようって言うんだ。
 ムシが良すぎる。

 ぶっちゃけ、これに反発する親は、自分が子供に常識や躾を教育するのが面倒だから、それを学校に押し付けているだけだと思います。
 
時間外の対応も、自分が面倒を見るのが手間だから、学校教員に押し付けているだけ。

 自分が親としての基本的責務を果たそうとしない怠慢を棚に上げて、先生という「他人」のせいにするなってんです。
 
冷たいのも、心に問題があるのも教員ではなく、お前(親)自身だって気づけよ。

 ちなみに、僕がこうして学校教員を弁護するようなことを言うのは、決して学校教員に同情しているわけではありません。
 
むしろ、先生なんてろくでもないやつらばかりだと思ってるくらいです。

 だからこそ、学校教員は、余計なことはしなくていいから、もっと学問の教育に専念して、日本の教育レベルを上げることに必死になれよ、と言いたいからです。
 
問題児の世話なんかにかかずらっている時間自体が、日本の学校教育の生産性を下げていると思うのです。

 人によっては、「人間性の指導も教育のうちであり、むしろそこにこそ教育の本質があり、知識を教えるだけなら意味がない」という人もいるかも知れません。

 そこにも一理あるとは思いますが、限度があると思うのです。
 
僕ら飲食業界の人間は、それこそアルバイトとして、数えきれないほどの高校生を雇い、教えます。
 
そこにはやはり、常識もろくに知らない高校生なんてザラです。
 
作業を教えればやってくれるのなら楽な話で、実際には、常識に欠けていたり、遊び心、サボリ心だらけの高校生に、いかに真面目に仕事をさせるか、仕事の面白さを伝えるか、モチベーションを持たせていくかが最大のポイントといっても過言ではありません。

 だから、学校教育でもそういう側面が重要であること自体は否めませんが、僕らの場合、雇ったバイトの常識レベルが一定水準を下回った場合(採用失敗)、それを真人間に更生するための労力をかけるのは生産性が低いので、ぶっちゃけ辞めてもらう方向にもっていきます。

 その判断は、学校でも同じではないのか?
 
と思います。

 年齢相応の社会規範を教えていくことは、学校教員の役割に含まれると思いますが、一般的な常識水準に著しく達しないレベルの生徒となると、「悪貨は良貨を駆逐する」がごとく、まともな生徒にまで悪影響を与え、足を引っ張ることになるので、退学させたほうが日本社会のためだと思います。

 もっとも、中学校までは義務教育なので退学にはできないので、そういう専門の学校を作ればいい。
 
こうすると「教育格差が生まれる」とか言わたり、「一度落ちこぼれ烙印を押されたら這い上がれない」とか言う人が出てきそうですが、これは決して学力で分けるのではなく、あくまで「常識レベル」で分けるだけです。
 周りに迷惑をかけるような素行不良な輩は、矯正施設で管理するしかないし、そうなってしまったのは親の責任です。

 一度区分けしたら這い上がれない、というのはわかる部分もなくはないですが、だからといって、常識から落ちこぼれた人間を、普通の集団に混ぜることで、問題が改善されるわけじゃあないでしょう。
 
あくまで目立たなくしているだけで、それによって周囲に与えるマイナス影響のほうが問題だと思います。

 何度もいうように、常識や躾の基本は親が教えるべきこと。
 
「おたくの子供は通常中学では預かれません」と言われて困るのなら、親が子供をぶちかましてでも躾し直し、「子供には学校に迷惑をかけないようにさせますので、どうか隔離しないでください」と、親が学校に土下座して謝るくらいのでもなればいい。
 そうなれば、子供に対する躾にもなるし、学校は「学びの場」として、もっとよくなると思います。

 「集団生活や人間関係を学ぶ」というのは、そういうことだと思います。
 周囲に迷惑をかけたら社会から排除されてしまうリスクを身をもって知ることこそが、文化人たる常識を学ぶ、ということではないでしょうか?
 なのに、非常識な行動をとっても、その子供本人は許されて、教員が「私の管理不足です」なんて親に謝らなければならないなんて、そんなんじゃその子供が自分の間違いに一生気付くわけがない。
 
学校を荒らしたり暴力をふるったりするまでになれば、警察か少年院のお世話になってもらったら良いと思います。

 一般の学校教員には、泥船を一所懸命漕がせるような非生産的なことはもうやめさせて、より高い指導力、より上質な教育技術を磨くことに専念してほしいと思います。


 

 


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