西洋料理人列伝(番外編)

山本 直文(1890〜1982)

 東京帝国大学フランス文学科卒のフランス文学者。学習院大学教授。
 戦前から、現在の日本司厨士協会の前身である日本司厨士協同会の顧問を無償で務め、まだフランス料理の関係書の翻訳本が存在しなかった当時、その翻訳や料理人のためのフランス語教室を開き、黎明期にあった西洋料理界の発展に多大なる足跡を残した。

 料理書の翻訳や料理人との交流から調理技術にも精通し、翻訳だけでなく料理人のための料理書も多数執筆し、戦後しばらく海外への渡航が厳しく制限されていた当時にあって、多くの若手コックの欧州修行もバックアップするなど、西洋料理人の教育における功績は計り知れないものがあり、若手から大御所まで、フランス料理界の大シェフ達から師として仰がれた。

 自他ともに認める食通で、国内から海外まで世界中の名声を食べ歩き、店料理関係者を中心としたメンバーによる食事会「直文会」を開き、そこには勉強のために多くの若手料理人を参加させた。
 超一流の人間しか行けないと言われ、この店を知らずして食を語るなとまで言われた、四谷にあった伝説の店「丸梅」の名物女将である井上梅氏とその娘に西洋料理を教えたり、甥のフランスのレストラン修行の世話もした。

 戦後の高度成長期から1970年代以降の日本の西洋料理界における知的・文化的側面を支えたのが辻静雄氏(辻調グループ創設者)なら、戦前の黎明期から成熟期までを支えたのが山本氏だったと言え、共に日本最大のフランス料理人組織である日本エスコフィエ協会の永世名誉顧問となっている。


 


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