** テーブルマナー講座 ** テーブルマナーの目的
●儀式と行儀
テーブルマナーには、大きく分けて二つの考え方があります。
一つ目は、「儀式」としてのテーブルマナー、二つ目は、「行儀」としてのテーブルマナーです。「儀式」としてのマナーは、正式な典礼などの席における儀礼的マナーを指し、「行儀」としてのマナーは、日常の食事でも気をつけるべき調和的マナーのことです。
この二つは求められる質が違うため、分けて考えたほうが良いでしょう。
例えば、皇族や国賓を接待するような正餐に招かれた時の「儀式的」作法となると、食事を楽しむということや、同席者への気遣いとかは関係なく(もちろんそれもありますが)、「こうすべし」と厳格に決められたルールや作法があります。
一方、行儀としてのマナーは、周りの人に不快感を与えたりせず、スマートに美味しく食事するための、大人としての常識にあたる作法です。
ここでは、一般人にはあまり関係ない儀礼的な作法ではなく、単純にフランス料理店などを利用する際の行儀的なテーブルマナーについて説明します。
●テーブルマナーの本質
テーブルマナーの最大の意義は、
“そこにいる全ての人々が、楽しく、美味しく食事して、気持ちの良い時間を過ごす”
ことです。
そう言うと、「かたっ苦しいマナーなんぞにこだわってたら気持ち良くなれねぇ!」という人もいるかもしれませんが、そこには、「レストラン」そのものの成立背景が多分にかかわります。
食事をしようと思えば、喫茶店から居酒屋まで、色々なお店があります。
その中で、「レストラン」というものは、「文化人として、食事の場を楽しみ、料理を味わいたい人の集まる場」という考え方があります。ただお腹を満たすためだとか、美味いか不味いかとか、それだけではありません。
ヨーロッパの貴族達や文化人の間で、長い歴史と共に作り上げられた「文化」としての食事の場、それが「レストラン」なのです。押し付けのように思われるかもしれませんが、それが西洋の「レストラン文化」であり、我々日本人が西洋料理を「文化」として受け入れるのであれば、そうした価値観も合わせて理解するべきだと思います。
その考え方、つまり文化人である必要性自体を否定するというなら、そもそも最初からテーブルマナーなんて一切無視して、好きに食べれば良いでしょう…(笑)
話を戻して、原点を辿れば、テーブルマナーには、王侯貴族たちの宮中での作法という、過度に形式的な一面ももちろんありました。
その一方で、美食家達によって工夫された、料理の美味しさを楽しみ、食事の時間と空間を最大限に楽しむために生まれた方法、という一面もあります。
それが、フランス革命と封建社会の崩壊とともに、それまで王侯貴族だけの楽しみ方だった食事のスタイルが大衆にも広がり、一般市民でも、華やかなレストランで、スマートに食事を美味しく楽しむ、という文化が形成されていきました。
封建社会は崩壊しても、人々にとって、華やかな宮廷生活への憧れや、元貴族達の上流意識はすぐには消えません。
だから、誇りと教養の高い文化人ほど、テーブルマナーの「躾」を身に付けて食事を楽しみたいと志向するようになっていったわけです。日本でも、戦国時代に「力」で権力を握った武士達が、野蛮なだけだと思われたくないために、茶道や歌を教養として身に付けようと務めたのと、基本的な発想は同じだと思います。
店によっては、服装などで入店制限をしている店もあるので、お店がお客さんを選んでいるように思われがちですが、その本質は、お店がお客さんを差別しているのではありません。
これは、他ならぬ「お客さん」が、レストランにそういう雰囲気の店であることを期待しているから、お店も、そういう店であるように努めているだけのことなのです。
もちろん、普段着で外食すること自体が悪い事であるはずがありません。
ドレスコードがある店・ない店というのは、「利用目的の違い」であり、服装規定がある店を、敷居が高いとか、お高くとまってるなどというのは、そもそも的外れな指摘なのです。極端な例えをすると、大人のデートをする店を選ぶ時、お子様が走り回っているような店は選びませんよね…?
ドレスコードがある店は、お客さん全員が、きちんとした服装で食事をしている雰囲気を約束するものなのです。とにかく、テーブルマナーの一番大事な本質は、そこにいる全ての人が気持ち良く時間を過ごし、料理を美味しく楽しめるための「気遣い」です。
レストランの雰囲気は、お店が用意している建物やサービスだけではなくて、「お客さんである自分達も含めて作るもの」です。
自分の好き勝手に振舞うのではなく、お店のコンセプトに合わせて、周りのお客さんに合わせて、ふさわしい節度を持つこと、料理を美味しい状態でいただくこと、それがテーブルマナーの本当の意味です。ルールのように決められた数々のテーブルマナーの作法も、そこに本質があります。
「周りへの気遣い」を考えた場合、現実的には、他人の心を読むことなんて出来ません。
だから、テーブルマナーさえ身に付けていれば、概ね周りの人に不快感を与えることはなく、料理の味を損なわずに食べられる、という、わかりやすい目安だとも言えます。
テーブルマナーは、レストランで食事を楽しむためのガイドなのです。そうした本来の意味からすれば、形式的な作法が完璧に身に付いているかどうかは必ずしも重要ではない、とも言えます。
少々形式からはずれていても、雰囲気に調和し、美味しい食べ方をしていれば、それを不快に思う人はいないでしょう。
むしろ、表面的な形ばかりにこだわって、食事を楽しめない雰囲気を作る人がいたら、その人こそマナーを理解していない人ではないかと思います。本質を理解しないで、形式だけで慢心することこそが、一番不粋で、テーブルマナーの本来の精神に反することだと思います。