** テーブルマナー講座 **

ドリンクのオーダーについて

 これは、ちょっと微妙なテーマです。
 日本人にありがちで、しかし日本人だからやむを得ないとも言えることですが、レストラン文化の発展の妨げになっている要素の一つでもあるので書いてみます。特に女性にありがちなことのように思います。

 ランチはともかく、フレンチのディナーでは、高級店でも、ビストロクラスの店でも、何かしら飲物を頼むのが当たり前なのですが、日本ではドリンクを何も注文しない人が少なくないようです。

 この「ドリンクを注文するのが当たり前」ということについては、異論のある人もいるでしょう。

 しかし、これの何がおかしいかと言うと、もともとフランス料理は、ワインに合わせた料理として発展してきたものです。
 だから、フランス料理店というのは、ワインと表裏一体で、料理を楽しむと同時に、お酒を楽しむための場所でもあるのです。

 喩えれば、フレンチのディナーでドリンクを注文しないのは、夜に居酒屋に入って、飲み物をオーダーしないで料理だけ注文しているようなものなのです。
 日本でも、居酒屋なら、お酒が飲めない場合でもソフトドリンクを注文するのは当たり前で、それは決してメニューに書いているわけではないのですが、暗黙の習慣になっていると思います。

 西洋人にとってのレストランも、ある意味似たような感覚なのです。

 それでも、「ここは日本だ。居酒屋とレストランは違う。押し付けだ」と思う人もいるでしょう。

 確かに、本当にお酒が飲めない人は少し話が別かも知れません。

 しかし、女性グループがレストランで女子会をして、参加者全員が一滴もお酒を飲めない、なんてことは滅多にないと思います。
 実際のところ、飲み物代を惜しんで、料理代だけで済まそうと考えているのが本音ではないでしょうか??

 決して、高いワインを注文することが格好良いわけではありません。
 むしろ、ワイン通でない限り、そのワインの個性も料理との相性もわからずに高いワインを頼むよりは、安価なワインを飲んでるほうがよっぽどスマートです。
 というのも、安いワインのほうがクセが弱いので、だいたいの料理に無難に合うからです。

 本当にお酒が飲めない人は、ミネラルウォーターや、ウーロン茶でも良いから注文すれば良いのです。
 その場合、どちらかと言えば、ガス入りのミネラルウォーターのほうがすっきりします。
 居酒屋の総菜がどうしても濃い味のものが多いように、フランス料理も、もとがお酒に合わせる料理であるため、味の強い料理が多いので、ガス入りの水の方が後味が良くなります。

 ちょっとしたことですが、これも意外とお店の雰囲気に大きくかかわります。
 フレンチやイタリアンには、それなりの楽しみ方があります。
 美しいワインが注がれたグラスや、ワインボトルがテーブルに乗っている風景も、レストランの重要な味付けなのです。

 「食は文化」とか、「セレブな生活」みたいなことを言うならば、西洋の歴史や習慣をわきまえた上で楽しんでこそ、そう言えるのだと思います。

 そこに、あからさまに財布を気にして、ドリンク代をケチりながら食べに来ている人たちの振る舞いが、スマートに見えるはずがありません。
 ミネラルウォーターがタダでなかった場合、「えっ!水でお金取るの!?」と客席で声を出したり、料理の値段が予想より高いからと、取り分けして何とか安く済ませる方法はないかと相談をはじめたり、会計が近づくとテーブルの上で両替をやりだしたり、「バラバラで払いたいんですけど〜」とか言い出したり、そうなってしまっては全くもって興冷めで、非日常な雰囲気も何もあったもんじゃありません。

 もちろん、レストランの利用動機なんて、人それぞれです。
 しかし、そういってしまえば、そもそもテーブルマナーを否定することになります。
 テーブルマナーとは、自分だけが楽しむためでなく、その空間にいる人、全員が快適に過ごせるための作法なわけですから。

 一食7〜8千円を超えてくるようなレストランを利用する人というのは、特別な記念日などで来ている人か、それくらいの金額を日常的に使えるブルジョアな人々です。

 決して、お金持ちでなければレストランを利用してはいけないわけと言っているのではありません。

 ただ、お店のリッチな雰囲気作りは他のお客さん任せにし、自分はケチケチ振る舞って、豪華な雰囲気のおこぼれにだけあずかるなんてのは、スマートじゃないなあ…と思います。

 僕はレストラン側の人間なので、このサイトを読んでいる人にお金を使わせようと誘導していると思われるかも知れませんが、そういうつもりはありません(笑)

 自分が誰かと食事に行った時、たとえ食堂やファミレスですら、ドリンクをオーダーすると、不思議と豊かな気分になります。
 それは、お金を使うという贅沢感の裏返しなのかも知れませんが、特に、大切な人と来ている時ほど、ドリンクをオーダーしたほうが、この時間を満喫しようという気分になれて、嬉しくなります。

 もちろん、いつでもどんな食事の時でも贅沢をするわけではありませんが、少なくともディナーでは、そんな気分になるものではないでしょうか?
 ディナーに来て、「水だけで」と、相手に飲み物を頼むことを惜しまれると、そのディナーの時間を楽しむことをあまり期待されてないように感じて、逆に寂しい気分になります。

 ただ、レストラン側も、もうちょっとドリンクの値付けは考え直すべきだと思います。
 料理と違って、コルクを開けるだけのワインなんて、食べ物の仕事をしていなくても、お酒が好きな人ならのモノの原価はだいたい想像がつきます。なのに、あのバカ高い値段を平気でつける感性は理解できません。

 確かに、材料費も手間もかかる料理より、ドリンクが売れたほうが利益が出るので、実際のところ、高価な食材を使うフランス料理店では、料理の原価は赤字スレスレで、ワインやドリンクを売ることでバランスを取っている店が少なくありません

 でも、このやり方が、逆にフレンチから足を遠のかせている原因になっている気もするんですね。

 ただのぼったくりの「サービス料」もそうですが、メニューだけ見るとお値打ちに見えて、食べている時はすごく楽しく過ごしていたのに、伝票を見ると予想外の高い支払いになっていて一気に興醒めした、という経験のある人は多いと思います。

 そうなると、「二度と行くか」って気にもなってしまい、ますます「フレンチは高い」という印象を持たれてしまうだけです。

 ドリンクの注文がない、というより、本当は、飲みたいお客さんが多いのではないでしょうか…?
 料理はお値打ち価格でも、ワインはやけに高い値段を取られるので、頼むのをやめてしまっている可能性も大いにあります。

従業員に対する気遣い

 先ほども書きましたが、日本人に欠けているものの一つとして、非常に大きいものです。
 
日本では、「オキャクサマハカミサマデス」という言葉をどこかの商売人が安易に使ったせいか、「客なら何をしてもいい」、と思ったり、「店の従業員は下僕みたいなもの」、と思いこんでいる人が少なくありません。

 しかし、そもそも「お客様は神様です」というのは、店側の心得であって、客側の心得ではありません。「同じことだろ」と思うかもしれませんが、全く違います。

 いかなる権力者であったとしても、その権力をカサに振るって威張ることがみっともないことは、誰でも容易にわかることでしょう…

 そもそも、従業員と顧客の立場は法的にも対等であり、レストランでいうと、ウェイターやコックは、決してお客さんの奴隷でも召し使いでもなく、契約相手であり、取引相手です。
 商談がかみ合えなければ拒否しても良いのです。
 ただ、より多くの顧客をつかむ手段として、店側が、「お客様は神様です」という立場をとって、顧客満足を上げようとする“ことがある”、だけのことです。
 (※本来の「お客様は神様です」の意味は全く違うのですが…⇒お客様は神様??

 つまり、店の立場は、店が決めることであって、お客さんが決めることではない、ということです。 
 
こうした認識を持つことが、従業員に対するマナーであり、礼儀になります。

  「何だその殿様商売的思考は!?」

と思う人もいるかもしれません。

 しかし、レストランは税金で給料をもらってるわけでもなんでもなく、あくまで私的な施設であり、いってしまえば「他人の家」です。

 そこが気に入らなければ、二度と行かなければいいだけの話です。
 本当に誰にも支持されないような殿様商売をしているのなら、ほっておいてもその店は潰れます。
 お店だけが一方的に増長してのさばることはありません。

 といって、従業員相手に必要以上に気遣え、というわけではありません。

 ここで言いたいのは、友人相手でも、恋人相手でも、家族でも、どんなに打ち解けたとしても、「親しき仲にも礼儀あり」と同じで、人付き合いの基本です。
 ましてや初対面なら、一定の距離を持って接するのが当然で、お互いを知って行くうちに、打ち解けて、踏みこむ領域が近づいて行くものでしょう。

 つまり、お店とお客さんの関係もそれと同じで、結局は人間同士の関係であり、人としての礼儀を守って接するのが、お客さんである以前に、「人」としてのあり方ではないでしょうか。

 それなのに、お店に入ってきて、初対面でいきなり「俺は神様だ」という態度で接されたら、それはお客さんである以前に、「人としてどうなのか?」ということです。

 年配の従業員に対して、のっけからタメ口をきく若造のお客さんもいます。
 「客のほうが偉いから敬語なんて必要ない」と思っているのでしょうけど、日本の人間関係の常識である「長幼の序」を欠いた、「人として」恥ずかしい態度だと思います。

 西欧では、良いサービスを受けるために、良いお客であろう、とするのが常識となっています。
 これは、自分自身の「人」としてのプライドのためにも、自分の人間性を疑われないためにも、紳士・淑女であることを意識し、また紳士・淑女だと思われたいという意識が強いからだそうです。

 また、「個人主義」の欧米人だからこそ、客側も「良い人間」として振舞ったほうが、従業員がより感じよく対応してくれるということを知っているからです。

 ただこれは、西洋文化に限ったことではないはずです。
 日本でも、古来からお茶を飲むにしても「茶道」という文化があり、和食においても作法があり、西欧が「エレガント」「ジェントルマン」なら、日本には「雅」や、「中庸の美」の精神があり、「礼儀」や「調和」を大事に考えるということは、むしろ日本人のほうが、本来その意識は高かったはずです。
 決して西欧のマナーに媚びているわけではなく、人間関係を美しく保とうとするのは、世界共通のマナーでだと思います。

 決して従業員を大事にしろとかいうのではなく、あくまで自分自身のあり方として、相手との調和を保ち、紳士・淑女になりましょう、ということです。

 態度の悪い客を見て、一番不愉快に思うのは、従業員以上に周りのお客さんかもしれません。
 せっかくの良い雰囲気が、一人の態度の悪いお客のために、ぶち壊されてしまうことだってあります。

 そういう意味でも、従業員に対する立ち振る舞いも、テーブルマナーの一つとして認識すべきでしょう。
 「情けは人のためならず」です。

その他・テーブルマナー豆知識

●日本では逆のレディファースト

 フレンチのマナーでは、レストランは女性を主役として、店に入る時も女性を先に進ませると書きましたが、先にも書いたように、日本の作法では逆です。

 日本では「主人」である男が先で、奥ゆかしい女性は控えて後ろからついて行くのが正しい作法なので、日本式の作法を求められる場では、うっかり西洋式のクセで女性を先に行かせないよう気をつけましょう…

●ワインの頼み方

 ソムリエがいるようなお店では、よほどワインに詳しくない限り、ワインはソムリエに任せるのが吉です。
 ワインを知らないことを恥ずかしがる必要はありません。
 ワインをお客さんに説明したり、お客さんの好みに合ったワインを選ぶためにソムリエを配置しているのです。
 お客さんにワインの知識があるのが前提であれば、そもそもソムリエなんて店にいませんよ…!

●オーダーは男性がリード

 日本の慣習では、お酌するのは女性だったり(今では男尊女卑だと言われて問題になるかもしれませんが)するので、レストランでも女性の方が何かと旦那さんや彼氏の細かい気配りをし、注文なども女性が行う場合がよくあります。

 しかし、何度も言うように、西洋はレディ・ファーストの文化です。
 レストランでは、男性が女性をリードしなければならないので、当然オーダーも男性がまとめるようにしましょう。

 また、女性は、むやみに旦那さん(彼氏)に気を回さず、自分の好みなどを男性に伝えて、それ以後は任せるようにしましょう。
 上司部下の関係や接待などなら別ですが、よほど上下関係に気を配らなければならない場合を除けば、男性がリードしてしかるべきだと心得ましょう。

●レストランによる違い

 このページでは、儀礼レベルのマナーではないにせよ、ある程度格の高いレストラン、いわゆる「グラン・メゾン」クラスでも対応できるレベルのマナーを説明してきましたが、もっとカジュアルな店になれば、当然この限りではありません。

 骨付き肉の話でも書きましたが、格の高いレストランでは手に持って骨をしゃぶったりすべきではないですが、ビストロクラスであれば、手で持って骨の髄まで堪能するくらいでも全く問題ないと思います。
 
むしろ、その方が美味しく、良い食べっぷりと思われるくらいです。

 しかし、どのクラスから格が高く、どのクラスからカジュアルというのは明確ではありません。
 それに、マナーのあり方自体も、人によって考え方が違うので、一概に言えない部分もあります。
 お店の方針や雰囲気、同行するメンバーによって、臨機応変に対応することが大切です。

 


 

蛇足的に…

 とにかく、テーブルマナーの一番大事な本質は、そこにいる全ての人が気持ち良く時間がすごせるための「気遣い」です。レストランの雰囲気は、お店の用意だけではなくて、お客さんである自分も含めて作って行くということです。 

 そういう意味では、形式や作法を身につける事も、それ自体が周りの人に対する大事な気遣いなのですが、テーブルマナーの本来の意味を理解していれば、作法が必ずしも完全に身に付いていなくてもそんなに問題はないと思います。
 少々形式からはずれていても、雰囲気に調和して食事をしていれば、誰も非難しないでしょうし、むしろそれが一番スマートなことです。
 もし、それで表面的な形だけを見てとやかくいう輩がいたら、その人こそマナーを理解していない人です。
 本質を理解しないで、形式だけで慢心することこそが、一番不粋で、恥ずかしいマナー違反だと思います。
 
 テーブルマナーにはそうした感覚的な部分もあることが、逆に人によって解釈がマチマチだったりという厄介な部分があります。
 このページに書いた作法についても、「それは違う」と思う人もいるかも知れません。

 例えば、テーブルマナーに、イギリス式とフランス式の違いなどがあることまでは知らない人も多いと思います。
 それに、今では本国のフランスやフランスでも、そんなに厳密になっていないかも知れません。

 ですが、ずっとイギリス式で学んできた年配の人が、若い人のフランス式を見て、マナー違反だと感じるケースがあるかも知れません。
 逆に、海外留学などの経験のある若い人が、年配の人のイギリス式を見て「おかしい」と思うかも知れません。
 でも、それを年配の人の知識不足だとか、若者の配慮不足だとか、一概にどうこうは言えないと思います。

 そこに礼節や気遣いの意識があるならば、どちらも間違いではなく、誰に迷惑をかけているわけではないのに、フォークの向きがどうのと指摘するほうが、意地悪な気がします。
 少なくともレストラン側からすれば、そのお客さんの品の良さはトータルの立ち振る舞い・言動でわかるので、細かなフォークの向きだとかナプキンの置き方なんて、ほとんど気にしません。

 何度も言うように、テーブルマナーの本質は、みんなが楽しめることです。
 それは、絶対的基準に合わせるのではなく、店により、人により、状況により、空気を読んで、みんなが楽しめるように心がける。
 それがテーブルマナーです。

 また、「時代性」というのもあります。

 フランス料理のシェフは、ソースに命をかけているので、ソースを残されると、非常にガッカリするものです。
 これは、味だけの話ではなく、料理を作る人ならわかると思いますが、フレンチのソースは非常に手間もコストもかかっていて、スプーン一杯のソースが、肉一切れよりコストがかかっている場合もあります。
 つまり、料理を残されたと同じくらいの気持ちになるし、美味しくなかったのかな…?と思ってしまうんです。本当に美味しくなかったのなら仕方ないですが(笑)

 豊かさを誇示するための手段でもあった宮廷料理の考え方では、貪欲な食べ方は卑しいとされ、今でも高級なレストランでは、ソースをパンにつけて食べてはいけないとか、ソーススプーンは口をつけてはいけないとか、そういう古い時代のマナーも残っていますが、実際のところ、現代の多くのシェフは、ソースを残さず食べれくれたほうが喜ぶと思いますし、そのへんは、店の格というよりも、その店のオーナーやシェフ次第で違ってきます。

 「テーブルマナーの本質は気遣い」、と言いながらも、かつてのヨーロッパでは、上流階級の貴族達が、自分達が一般市民などと違うことを誇示するために、必要以上に格好をつけて作っていた作法も若干あります。
 でも、今はもうそんな時代ではないので、虚飾のような作法は廃れている傾向にあります。

 スプーンでソースをすくって食べて、一体何がどう意地汚いないのでしょうか??これは、単に昔のフレンチの食べ方にはなかっただけに過ぎません。
 今の時代では、ソーススプーンが出てくるイコール、その店のシェフは、ソースを全部食べて欲しいと思っている、と考えたほうが妥当です。

 イタリアンで、スパゲッティを食べるのに、スプーンを使ってよ良いか??にも似たものがあるかもしれません。
 イタリアでは、スパゲッティを食べるのに、スプーンは一切使用しません。そういう意味では、マナーにない食べ方です。

 この、スパゲッティのスプーンを使う食べ方はアメリカから入ってきたもので、それが日本にも定着してしまったようです。
 ただ、これを一概に○×というより、店でスパゲティを頼んだら、フォークとスプーンを出された。
 それなら、スプーンを使って良いということでしょう。
 もしスプーンが出てこなかった場合、その店では本場イタリアに準じた雰囲気を大事にする店だと考えて、フォークだけで食べるようにすれば良いと思います。
 
 時代の変化が一番顕著なのは服装でしょう。服装の項でも書きましたが、「クールビズ」が公認されてから、ノータイでもフォーマルと認められる社会になりました。これは、少し前までは考えられなかったことです。

 また、IT関係や企画系、アート系の人などでは、公式の場でもカジュアルな服装で出席する人が増えています。
 これは、彼らのようなビジネスをする人にとって、時代の波や流行に敏感なことは、彼ら自身の存在意義にもかかわるので、古臭い、時代遅れと思われるような格好はあえてしないわけですね。

 もちろんTPOはありますが、よほど格式の高い場でもない限り、お互いがその主義・思想を尊重しあい、若い世代は、熟年層のことを考えて、カジュアルでも度を過ぎない程度にし、熟年層も、自分の世代の価値観を一方的に押し付けず、時代にあった清潔感かどうか、といった視点で接するべきだと思います。

 


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