飲食業界はなぜブラックかB 旧態依然の飲食業界

 日本の飲食業界で労務環境が過酷になる原因の本質は、古くからの慣習を「正」と信じてやまない経営者が多すぎることと、客側の要求が高すぎるからです。

 一方、ドイツやフランスの飲食店や小売店で、従業員が時間通りに帰っても問題にならないのは、法律云々もありますが、おそらく欧米人は日本よりも個人主義が強いため、従業員もお客さん、お互いに「相手の権利を干渉しない」というスタンスがベースとしてあるからでしょう。

 それが日本では、飲食に限らず、売り手と買い手では、買い手である顧客が強く、売り手は一方的に低い立場におかれる風習があります。

 また、飲食に限らず、戦前の日本では、「丁稚奉公」の制度ではっきりわかるように、一人前として認められるまでは、雇い主に絶対服従で、しかも無給で働かされるのが当たり前でした。

 丁稚奉公の風習は江戸時代が最も盛んで、明治維新後は徐々に近代的な雇用形態に移行していったとされますが、松下幸之助氏や本田宗一郎氏が幼少期に丁稚奉公していたことでもわかるように、戦前の日本ではまだまだ敢然と存在していました。

 結果、商店の従業員というのは、社会的地位自体が「下僕」のような扱いになり、雇い主に対しても、お客さんに対しても、全力で奉仕するのが当然だとされていました。

 これが日本の、「物」に対しては価値に応じた対価を支払っても、人的サービスに応じた対価を支払うという概念が希薄になった要因の一つだと思います。

 飲食小売の従業員は客に対して、「いかなる時も愛想よく腰が低く、逆らわないのが当たり前」という位置づけです。

 しかし今となっては、そのような感性は時代遅れではないでしょうか
 
日本にそうした古いしきたりや過酷な労働環境があったのは、飲食に限ったことではありませんでしたが、戦後に多くの業界が近代的な企業経営への移行を実現しました。

 工場でも、『蟹工船』や『あゝ野麦峠』のように、劣悪な環境でドレイのごとく労働者を酷使していた時代もありました。
 戦前や戦後間もない頃、日本の繊維業界は主要産業の一つでしたが、日本の繊維産業が世界での競争力があったのは、繊維工場で働く女工の給与を著しく低く抑えていたからと言われています。
 しかし、それらは過去のものとなり、男女の賃金に差別はなく、適正な労働時間で、土日休むのが当たり前、と思われる世の中になりました。

 しかし飲食は、いまだに旧時代の感性をかなりひきずっています。
 形式的には雇用契約や福利厚生などが一般企業と同じになっていたとしても、経営者の考え方が旧態依然のままということが圧倒的に多いのが飲食業界で、代価とは関係なく、高いレベルでの奉仕精神を従業員に求めます。

 ここには、体育会の部活で、新入部員の時に、先輩から理不尽な「しごき」を受けて嫌な思いをしても、自分が先輩になったら「しごき」をやめるかというと、「新入部員はそういうもの」「自分達もそれを乗り越えてきた」といって、「しごき」の風習がなくならないのと似たような背景もあるかも知れません。

 しかし、他の業界では脱皮できたものが、何故飲食では脱皮できないか?
 というと、飲食業界は、拠点が分散しているため、労働者が組織として団結しなかったために、「労務環境ありき」としたビジネスモデルを作ることを、労使一体となって取り組んでこなかったからだと思います。

 多くの業界が近代化した背景には、必ずストライキや労働闘争の歴史があります。

 しかし飲食では、トップから主要な経営陣にいたるまで、現場出身者が多く、店自身も、店の労働環境が悪いのは自分自身の個人の問題と考えてしまい、業界全体に「飲食はそういうもの」という空気が強くあるように思います。

 それらのことが、飲食業界の人間に、社会の変化への対応を鈍らせている大きな理由だと思います。

 世の中で、労働環境をはじめとするコンプラインアンスを守らなければならないのは、法律が変わったからというよりむしろ、社会が変わったからでしょう。

 戦前の丁稚奉公はともかく、労働基準法自体は、戦後すぐに整備された、歴史のある法律です。
 しかし、労働基準法が制定されても、平成の初めの頃までは、日本のサラリーマンは「企業戦士」と言われ、「24時間戦えますか?ジャパニーズビジネスマン!」という歌のCMが全国で堂々と流れ、それに誰も違和感を感じていなかったのです。

 しかし、2000年を過ぎた頃から、世界の有名企業の相次ぐ不祥事を契機に、「コンプライアンス」というものが世界の企業経営において重要なキーワードになりました。
 そして、企業のあり方もグローバルスタンダードとなり、多くの企業の経営者はそれに順応していきました。
 これは、完全なパラダイム・シフトだったのです。

 にも関わらず、飲食業界の多くの経営者は、その社会の変化を、いまだに本気では理解していないのです。

 といって、飲食以外の業界出身者に経営をやらせればうまくいくかというと、簡単にはそうはなりません。
 
何故なら、そのやり方でも結局、「経営」と「現場」が分断されるからです。

 外からやって来た経営陣は、自分の持ち場である本部の労務環境は整えるかも知れませんが、自分が現場をやっていないだけに、店舗のことは現場出身者に任せます。

 接客や調理には専門性があるので当然と言えば当然ですが、そうなると現場の指揮官は相変わらず長時間労働を当たり前にするし、そのやり方で成果を出して親方になったり、エリアマネージャーや営業責任者になっていくので、現場内での悪循環は変わりません。

 これは、かつて外食業界が急速拡大したバブル時代に、多くの大手商社やメーカーなどが飲食業界に参入しましたが、そうした企業が運営すれば店も本体と同水準の労務環境になったかというと、そうはならなかったことからも明らかです。

 企業には社会の変化に応じて「常識」を更新していく自浄的な仕組みがあるべきなのに、飲食業界は、現場の叩き上げがそのまま経営の舵を握っているか、経営と現場が分離した組織のどちらかであるため、いつまでたっても自浄されないままになるのです。

 では、その旧態依然の考え方とは、具体的にどんなものなのか?

 そこに、飲食がブラック化する原因があります。

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