飲食業界はなぜブラックかC 社畜を強要する悪習

 「最近の若者は、仕事を覚えることよりも、休みや、プライベートを重視する」

 このフレーズは、飲食業界に限らず、世代論としてあたかも一般論のようによく耳にします。

 高度成長期を過ごした団塊世代や、それに準ずる世代の人たちは、「俺たちの若い頃は…」と言って、朝から晩まで、寝ずに働いて仕事を覚えたことを武勇伝のように語り、それに比べて近頃の若者はそうでなくなった、というように言います。

 しかし、本当にそうでしょうか??

 飲食業界の業界紙として有名な『月刊食堂』や『専門料理』の、1960年代〜1970年代くらいのものを読んでいると、経営者や料理長の悩みのところに、「近頃の若者は、仕事を覚えることよりも自分の休みやプライベートを重視する」といったことが書かれた記事が、いくらでも出てきます。

 1960年代〜1970年代の新人、つまり当時のハタチ前後となると、まさに団塊世代からその次の世代です。
 ということは、「俺たちの若い頃は…」と偉そうに言っている団塊世代も、当時は上の人間からすると、「最近の若者」と同じだったわけです。

 これが意味することは、「仕事を覚えることよりもプライベート」を重視するのは、「近頃の若者」ではなく、「いつの時代も若者は同じ」ということです。

 ハタチ前後の若者が遊びたい盛りなのは、今に始まったことではなく、いつでも同じなのです。

 ただそれを、企業や雇い主が、365日24時間働いても文句を言わない「社畜」へと育てあげていただけの話なのです。

 だから、変わったのは、世の中なのです。

 多くの一般企業は、焼け野原からの復興、そして高度成長期からバブル崩壊と、従業員は自らが「不眠不休のリーダー」もしくは「社畜」となって、ひたすら勤勉に働き続けていたのが、社会・文化の成熟とともに、働きながらも人間が人間らしく生きる、「ワーク・ライフバランス」を実現することが社会常識となりました。

 しかし、飲食業界は、そうした「社会常識の変化」に気付かず、いまだに「社畜」を育てることが「正しいマネジメント」と本気で考えている経営者が、当たり前のようにいます。

 これが、飲食業界の最大の問題です。

 本当に「最近の若者が変わった」のであれば、どれだけ旧態依然とした職人や経営者がいたとしても、そうした親方や上司のもとで働く人間は誰もいなくなり、勝手に世代交代するはずです。

 しかし、そうならないのは、「若者」自体、というか、人間の本質は、今も昔も何も変わらないため、やりようによっては「今時の若者」であっても、いくらでも社畜に洗脳することが可能だからです。

 最近でも電通の過労死事件が騒がれましたが、「業界の常識(非常識)」を「それが社会の常識」に巧みにすり替え、洗脳教育することが横行している業界は、飲食だけの話ではなく、広告、IT、証券、デザイン、芸能などなど、数多くあります。

 だから、外食企業は大量採用をして、某大手居酒屋チェーンのように徹底した洗脳教育を施し、社畜となれる部下が何人か残ればいいくらいに考え、洗脳に成功した社員は、長時間労働を苦と思わず、むしろ自分の成長のためと信じてやまないようになるのです。

 だから、その手法を間違いだと思わない、今でも通用すると思っている経営者がいなくならないのです。

 むしろ、それが出来ない経営者や上司のほうが、コミュニケーション力のない、「無能なリーダー」とすら思っているわけです。

 上司がパワハラで訴えられたり、部下が過酷な労務環境について内部通報してくるのは、業務上に問題があるのではなく、上司の部下に対するリーダーシップ(洗脳力)が足りないからだ、と飲食マンは考えます。

 上司が部下に対して適切なコミュニケーションを行っていれば、そんな訴えは出てこないはずだ、と考えるわけです。

 彼等にとっては、パワハラや労働環境の事実がどうであるかには興味がなく、それを受け入れられるよう部下を教育(洗脳)できていないことのほうに、問題意識を持つのです。

 そして、部下に対する評価も、長時間労働も厭わず頑張る部下を、「やる気と情熱のあるやつ」と評価し、時間通りで帰りたがったり、休みを欲しがる部下については、「やる気がない」「責任感がない」という扱いをするわけです。

 これが、多くの飲食マンの人材育成観なのです。

 といっても、飲食マンも、まっるっきり世の中と断絶しているわけではないので、ニュースも読むし、時代の変化についての多少の情報は持っていて、昔とは手法を変えた部分はあります。

 しかし、彼ら飲食マンにとっての時代の変化は、昔は部下を殴って従わせても良かったのが、今は言葉で従わせなければならなくなった、くらいにしか思っていません。

 確かに昔に比べれば、中身もなくただ長時間労働することだけを存在意義にするような人は評価されなくなりましたし、仕事さえきちんとしていれば、休みをとってもさっさと帰っても、ダメ扱いされることは随分なくなりました。

 それでも、営業時間やお客様対応はじめ、飲食の現場は長時間労働や休日勤務が発生しやすい環境であるため、それに対する責任は昔と何ら変わりなく要求されるため、結果的に、きちんと仕事した上で長時間労働しなければ、認められにくいことは変わっていません。

 工場だって、従業員がサービス残業で昼夜問わず土日もなく稼働し続ければ、生産性は上がります。
 しかし、それは「非常識なこと」と理解している企業であれば、業績不振でも、赤字でも、工場は休みます。

 ですが飲食では、「開けていればお客さんが来るから」と、定休日を作らず、居酒屋でもランチをするといった長時間の営業時間をとることが「正」という考えが横行しています。
 そうやって売上を伸ばせる人間が、「デキる飲食マン」となるわけです。

 確かに、世間の営業マンだって、時には土日休日返上してお客さんのところに日参することもあるし、サービス残業で接待などしてようやく契約を取り付ける、なんてことはよくある話でしょう。

 しかし、飲食でのそれが問題となるのは、それに見合った対価が得られないことです。

 証券マンが、休みを潰して営業活動し、ついに100万の金融商品を買ってもらったというのなら、生産性の高い話です。上客ならそんな金額どころではないし、システム開発や建設系の大きな仕事の契約となれば、何千万、何億という額になることもあるでしょう。

 しかし、飲食で休みを潰して一日営業したとして、一体いくらの稼ぎになるのか?
 飲食店を一日回そうと思ったら、いったい何人の、何時間の労働時間が必要になるのか?それだけ当時て、いくらの稼ぎになるのか??

 といって、獲れる売上が大きければ正当化されるものでもありません。
 電通の過労死問題が社会問題になったように、いかに給料が高かろうとも、非常識なものは非常識なのです。

 そもそも、少ない休日数で、ましてや休みを潰して上げた売上なんて、真っ当でない手法で獲得した売上だと思うべきなのです。

 とにかく、「飲食なら週一休みくらいが普通」「体を張ってでも営業をして売上確保が優先事項」の意識から脱却することが先だと思います。
 今はもう、そういう時代になっていると思います。

 飲食業界の労働環境を改善するには、こうした意識改革が何よりも最大の課題です。

 しかし、これだけではまだ飲食業界が過酷になる原因はなくなりません。
 実は、その原因には、お客さんの問題も大きくあるのです。

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