飲食業界はブラックかD サービスにお金を出さない日本人

 日本の飲食業界が過酷になる原因の一つとして、「日本人は接客サービスにお金を出さない」という性質が根底に大きくあります。
 
良いサービス・充実したサービスをしようと思ったら、当然、それなりの人員が必要になるし、相応の教育・訓練も必要になります。
 
つまりそれは、「人件費がかかる」ことを意味しています。

 しかし、日本人は、材料費のような物的サービスにはお金を出しますが、接客サービスのような、ソフト的なサービスには、あまりお金を出さない…というか、「サービスは良いのが当たり前」と思ってる傾向があります。

 これは、日本人の気質に由来していると思います。

 日本人は、良くも悪くも基本的に控え目で、波風の立つ行為を嫌う文化風習があります。
 欧米人は議論やディスカッションが大好きですが、日本人は、議論をふっかけるようなタイプの人は基本的に「めんどくさい人」で、むしろ黙っているほうが「美徳」とされ、口数が少ない方がカッコイイ、くらいの風潮があります。

 ニュートラルな状態でそれだから、そこに「従業員」と「客」との関係になれば、当然それ以上の関係を要求するのは、ある意味自然な流れかも知れません。
 そんなことだから「お客様は神様」などという、おかしな言葉が広まったりするのでしょう。(そもそも「お客様は神様」という言葉は、本来は飲食店や商店などの客と従業員との関係とは全く別の意味です→「お客様は神様? )

 欧米にはチップ制があり、日本にはそれがないから、という人もいますが、制度のあるなしというより、そもそも日本にチップ制度が定着しなかったことに、日本人の性格が出ているように思います。

 実は日本でも、戦後の高度成長期に入る前くらいまでは、レストランでチップを払うのは、ごく当たり前のことだったのです。

 戦前に至っては、レストランのサービススタッフは給料ゼロという店も多く、ウェイター(ボーイ)やウェイトレス(女給)は、お客さんからのチップ(当時は「ご祝儀」や「おひねり」と言っていた)のみを収入にしていたそうです。
 そのため、客席に出ないコックからは、「ボーイはテーブル乞食」と揶揄されたりしていたようです。

 何故昔はそのような仕組みが成り立ったかというと、ウェイターがいるようなレストランというのは、基本的に富裕層しか利用しない場所だったからです。
 
前提としてVIPなお客さんに対してスペシャルなサービスをすることによってチップを受け取っていたのであり、感覚的には今でいう高級クラブにような位置づけでもあったのでしょう。

 それが、高度成長と共にレストランが大衆化してから、状況が変わったようです。

 日本では1980年代頃から一億総中流と言われ、日本人は猫も杓子もブランド物を買い漁り、富裕層でなくとも、フレンチやイタリアンの高級店に出入りするようになりました。
 そして、ファミリーレストランを代表として、定価販売が当たり前になると、
いつしかどこのレストランでもチップは払わないものとなっていきました。

 今でもフレンチやホテルなどではサービス料をとっているところもありますが、はっきりいってあれは値段を安く見せかけるための小細工に過ぎず、サービス料がホールスタッフに分配されるわけではないので、実質的にチップとは全く別物です。

 「ご祝儀・おひねり」がなくなって給与体系が崩れたことも飲食業界の労働環境がおかしくなった要因の一つではあると思いますが、そもそもチップの習慣が廃れてしまうこと自体に、日本人の昔からの気質が背景にあるような気がします。
 そして
、1971年に日本での展開が始まったマクドナルドがやりだした「スマイル0円」などが、そうした風潮をさらに助長した大きな原因の一つではないかと思います。

 個人主義の欧米では、基本的に無条件で感じ良く振る舞うという感性がないので、あくまでビジネスとして感じ良く接するに過ぎません。
 だから、チップのない大衆レストランや小売店などでは、従業員に笑顔がなかったり対応が雑なのはごく当たり前で、そのことに顧客は誰も文句を言いません。

 しかし日本では、「お客様は神様」なんて言葉が広まったように、「お客」は無条件に偉く、従業員は無条件にへつらうもの、というような関係が出来上がってしまいました。

 「お客様は神様」なんて言葉は、欧米にはありません。
 欧米では、従業員と客との関係は、ビジネスの契約相手であり、立場はあくまで対等です。

 確かに、金銭とは関係なく、感じ良く接する日本人の風習自体は素敵なことです。
 
チップを払わなくとも、従業員がナチュラルに素晴らしい接客が出来るのであれば、それはそれで良いことと思えるかも知れません。
 
欧米の文化が何でも良いとは思いませんし、日本人はその波風が立つことを嫌う性質ゆえに、世界一平和で治安が良いのではないかと思いますし、欧米でも、特にヨーロッパでは、チップ制度に対して最近では否定的な風潮も出てきているそうです。

 ただ、欧米の場合、チップのない店は、定価を上げます。
 ホテルのレストランなどがそうですよね。
 欧米でチップをなくそうという動機の理由は、単に計算が面倒だから、チップをいくら置くとかを考えるのが煩わしい、という理由であり、サービスにお金を払う必要がない、というわけではありません。

 一方、日本では、「スマイル0円」が象徴するように、笑顔・感じの良いサービスは、接客業の従業員なら無条件で身に付けなければならないことのように思われています。

 しかし、「接客」というものは、やったことがある人はわかると思いますが、たかがレストランでも、お客さんに対して「常に笑顔」で接するだけでも、実際にはかなりの精神的労力と、ストレスを伴うものです。
 
どこまでが当たり前の範囲で、どこからがストレスになるレベルかには個人差があると思いますが、ほとんどの従業員が、多少なりと精神を消耗しながら接客をしているのが実態でしょう。

 最近では、そうしたことを「感情労働」と呼ばれるようになっています。
 「肉体労働」や「頭脳労働」と並ぶ、新たな概念です。

 レストランのサービスというもの自体、見た目はただ注文を取って料理を運んでいる程度にしか見えないかもしれませんが、実際にはかなりハードで、タイミングよく漏れのないサービスをするには、技術も体力も人の手も要する煩雑な仕事なのです。

 感じの良い接客を、ただの「心がけ次第」と思ってる人が多いかも知れませんが、人間、生きていれば色々なことがあります。
 彼氏に振られて滅入っている時もあるでしょう。愛犬と死別して悲しみに暮れている時もあるでしょう。奥さんと大喧嘩してイライラしている時もあるでしょう。
 そんなの個人的なこと、と思われるかも知れませんが、どんな時でも笑顔で居続けるのは、生易しいことではありません。
 内勤や、一般の営業マンなら、上司と話す時やクライアントとの商談の時だけスイッチを入れれば良いだけかも知れませんが、接客業の場合、8時間なら8時間、店に出ている間、ずっと笑顔で感じ良く居続けなければならないのは、かなりの「重労働」です。
 
その上、飲食というのは、物理的作業だけでも決して余裕ではなく、ギリギリの人員でやっていたりするのに、その上で精神を消耗する接客をするのは、実は大変なことなのです。

 このように、どんな時でも「笑顔で」「感じ良く」振る舞うことも、そこには訓練と技術を伴う「感情労働」なのです。

 本来、「接客」という仕事に関わる内容全てがが労働であり、ホスピタリティサービスのような感情労働もその他の肉体作業などと同じく労働賃金に含まれ、それはすなわち人件費として価格に含まれているのであって、「タダ」なわけではありません。
 それなのに、「スマイル」という感情労働の部分を切り離して「0円」と書いてしまったから、おかしな誤解を生んでしまったように思います。
 物理的作業に余裕がなかったり、ギリギリの人員でやっているのも、経営の問題というより、サービス労働が0円扱い=原価ゼロ円扱いされているため、人件費に余裕がなくなり、そうせざるを得なくなるのです。

 なお、欧米にマックにはスマイル0円という項目は存在せず、日本オリジナルの施策です。

 これを、「日本の良い文化」「おもてなし」などと、綺麗ごとで片付けるのは間違っています。
 感情も労働であり、それを無償で要求するには、戦前の『蟹工船』『女工哀史』のごとく、ただの「搾取」でしかありません。

 これは飲食に限らず、人と接する業界では同様にことであり、航空業界のCAや小売業界、医者や介護士といった業界も、感情労働のウェイトが大きな業界とされています。

 だいたい、この世の中の商売は、いきつくところ全て人件費です。
 「食材」にしたところで、例えば高級な肉が何故高いかというと、育てるのに手間暇がかかる=人件費がかかるからであり、高い飼料を与えてるというのも、それもつきつめれば、飼料の生産に人件費がかかっているからです。
 
車でも電化製品でも、それを部品から原料まで突き詰めていけば、コストの理由は全て人件費に集約されます。

 飲食店というのは、人の手によってお客さんから注文を伺い、人の手によって調理し、人の手によって提供されるという、店舗段階で最終加工されて商品が成立するものなので、いわば小売りであり同時に生産ラインでもあるという二面性を持った販売形態であり、ここが物販との大きな違いです。

 だから、店舗でどれだけ人の手がかかるか、ということも製造原価の一部なのです。
 
飲食がグレーになりがちなのは、まさにこの部分です。

 店舗の従業員が、少ない人員でサービス残業もお構いなしに歯を食いしばって頑張れば、それだけ利益が上がるし、逆に値段を下げて安売りするということも出来るわけです。

 この部分だけ見ると、従業員に過酷な環境を強いる経営者の問題と思われがちです。
 
しかし、むしろ厄介なのは、顧客のほうにあり、実はそこが本質だと思います。

 基本作業がよく訓練され、言葉づかいから立ち居振る舞いも洗練していて、常に笑顔でよく気遣いの出来るスタッフを育てようとすると、当たり前ですがかなりの教育が必要です。
 しかし、今の飲食店の原価構造だと、それだけの教育を施して、それを人件費としてのっけると、今の値段ではとてもやっていけない店がほとんどと言っても過言ではありません。

 だから、良いサービスを受けたいなら、本来お客側は、その「感情労働」や、その教育にかかる「教育費」に対しても、相応の対価を上のせして支払うべきなのです。
 しかし、今の日本の顧客は、ほとんど適正な対価を支払っていないと断言できます。

 何故断言できるかというと、これはよくニュースでも言われていることですが、日本の飲食店は、世界的に見て圧倒的に価格が安いと言われています。
 
日本が、海外に比べて、特別流通が優れているとか、食材が安いわけではありません。
 むしろ、食材や、特に都市部の賃料などの固定費は、海外よりも高いのです。
 
原材料も固定費も海外より高いのに、海外よりも安く提供しているということは、店舗での人件費が他国よりも圧縮されている、ということに他なりません。
 
しかも、チップがないわけですから、その分だけ見てもサービス部分に対する配分が少ないことは明らかです。
 それで店が成り立つのは、従業員をよほど安い給料でこきつかっているか、もしくはサービス労働によって補っているかの二つしかありません。

 もちろん、日本人がサービスに対して関心が低く、劣悪なサービスを平気で享受している、というのなら話は別ですが、実際の日本人のサービスに対する要求レベルは、むしろ欧米より高いです。

 海外に行ったことがある人はご存知だと思いますが、海外の大衆レベルの食堂や小売りのサービスは、日本と比べるとかなり感じ悪く、コンビニなどで丁寧に笑顔で接客してくれる店員が当たり前にいるのは日本くらいなものです。
 
海外では、お金を払わなければ相応のサービスを受けられないのが普通です。

 しかし、いくら日本人の気質が温和だと言っても、例えば学生アルバイトで、まだ社会人教育もされていない、心がまだ子供に近いような高校生バイトを、一人前の大人として、どんなに忙しくても、しかも面倒な客・わがままな客相手にも、笑顔を絶やさず接客するよう教育するのは、大変なことなのです。
 にもかかわらず、レストランでも小売店でも、高校生アルバイト相手に「笑顔が足りない」という程度で、簡単にクレームを入れてくるのが日本の客です。
 
 高い
教育を当たり前に求めるのであれば、人件費もかかるし、時給も高くしなければならないし、もっと高い値段にしなければ割に合わない。

 また、それは、社員にしても同じことです。
 何故なら、社員は原則固定給だからです。
 
欧米なら、チップによるプラス売上の分配があるからモチベーションになりますが、日本では、努力してもしなくても稼ぎは一緒なので、それなら頑張らない方がましだ、という発想になりかねません。

 残業したなら残業代を出せばよいだけの話だといえば話は簡単ですが、例えば閉店時間間際にお客さんが押し掛けてきたとして、欧米では、もしその客を受け入れたことによって片づけが終わらないと思ったら、平気で入店をお断りしてきます。
 しかし日本では、そうした場合にお断りすると、確実にクレームになります。
 そのお客さんを受け入れたことによって残業が発生したとしても、その残業代をそのお客さんが払ってくれるわけではありません。
 欧米なら、無理を通したなら、それをチップで上乗せする、という考えもありますが、日本にはそれはありません。
 しかもそもそも、街のレストランやスーパー、コンビニの客なんて、支払う額なんて数百円〜数千円程度。
 たかがその程度で、「常に笑顔」というVIP対応を当たり前に求めてくるわけです。

 だから、飲食企業では、某飲食大手で問題になった「名ばかり管理職」問題や「みなし残業手当」のように、法律スレスレの微妙な制度で、社員の固定給制度を導入したがるのです。
 どんなに混んで店長に残業が発生しようとも、従業員に欠勤者が出てそれをカバーしようとも、店長の人件費が増加しない仕組みです。

 そうした安い給料で長時間労働で酷使され、しかも「店舗に社員一人」といった運営体制で、全責任を一人で負っているため疲弊しきっていたら、お客さんに気を遣う精神的・体力的ゆとりなんて維持出来ません、
 そんな社員がザラにいる、というのが飲食業界の実態でしょう。

 こうした制度にするのは経営側の問題かも知れませんが、そういう制度に傾かせているのが日本の「客」だと思います。

 いずれにしろ、飲食店のスタッフに対して、価格や人件費を切り離して奉仕精神を求めべきではないと思います。

 笑顔で丁寧なサービスをしてくれる従業員には敬意を払うべきだし、もし「神対応」と思ったのなら、それにはチップを払うくらいの心意気を持つべきではないか?と思います。
 
そういうと、「無償でやってくれたからこその神対応」と言う人がいるかも知れませんが、そんなのはお金をケチりたいだけの勝手な方便でしう。

 といって、今さらチップ制度を日本に定着させるのは難しいと思うし、チップという形式自体が重要なわけではないので、せめて、飲食に安さを求めるのをやめて、かかる労力に対して適正な代金を払うか、安さを求めるなら、心地よいサービスは諦めるか、そのどちらをしてもらわないと、従業員はもちません。

 また、飲食業界は、よく「底辺の集まり」と揶揄されることがあります。
 飲食は、ただでさえ給料が安く、その上労務環境は過酷。
 そんな業界に転がり込んでくるような人材は、底辺が多く、だから従業員の質は低い、と。

 百歩譲って、それが事実としましょう。
 
であれば、なぜそんなレベルの低い人材に、「聖人君子になれ」といわんばかりのサービスを求めるのでしょうか??

 なぜ、そんな「底辺」だと思っている飲食の従業員に、聖人君子なることを求めるのか。
 逆、そんな「底辺」の従業員が素晴らしいサービスをしたと思ったのなら、もっと評価し、対価を払うべきでしょう。
 そして、その従業員をリスペクトすべきでしょう。

 そうすれば、従業員も、リスペクトに応えるサービスをしようと心がけるでしょうし、それによって見返りが増えるようであれば、質の高い従業員が増え、お客さんもより高いサービスを受けられることになり、そうしたことを繰り返していくことではじめて、公正な市場形成がされると思うのです。

 美食の国・フランスでは、レストランの従業員は、サービススタッフ、料理人ともに、非常にリスペクトされ、高い収入を得ているそうです。
 
それは、フランス人自身が、レストラン文化を誇りに思い、それに従事する従業員の大変さを理解してリスペクトしているので、優れたサービスには相応の対価を支払うから、従業員も高い志とやり甲斐をもって仕事に従事できるそうです。
 これは、技術や経営の問題ではなく、完全に「国民意識」の違いです。

 一方、飲食のレベルが世界的にも低評価のイギリスでは、飲食店従事者の社会的地位は低い。
 世界的に料理の評価の高い中国の場合は、調理師はリスペクトされますが、サービスはそうでもない。そして、実際サービスレベルは低い、というか、国民自身がそこに関心が低いので、サービスが悪くてもクレームになりません。
 卵が先か鶏が先か、どちらなのかはわかりませんが、世間のリスペクトと仕事の質は表裏一体であることは間違いないのに、高いレベルが求められ、そして実際に世界的に見れば高水準にあるにもかかわらず、対価もリスペクトも伴わないのは日本のサービスだけです。

 現在のように、日本人が人の手・心によるサービスに対して適正に対価を支払わない限り、飲食業界は間違いなく破綻します。
 スマイル0円などと言っている限り、適正な人件費は捻出できず、適正な労務環境は確保できず、結果良いサービスは生まれず、豊かな食文化も形成されず、そうなっては誰も得することがないように思うのです。

 飲食業界という所は、本当にサービスや料理が好きでこの業界に入ってくる人が少なくありません。
 しかし、過酷な労働環境や、理不尽なお客さんの存在によって、心がくじけ、挫折する人が圧倒的に多い。

 自分がこの業界に入った頃は、優秀な大学を出て、夢が大きく志も高い、優れた人が周りに沢山いました。
 しかし、そういう人ほど、早々と挫折してしまう。

 志が高いが故に、過酷な労働環境であまりにも疲れすぎて良いサービスが出来なくなってしまうことがつらい。
 常識があるが故に、非常識なお客さんの言動を受け入れることができず、逆に笑顔で接客することができなくなり、そのジレンマに苦しめられる。

 こうしたことが、飲食業界で良い人材ほど離職したり、一所懸命仕事をすることが虚しく感じてしまったり、逆にポリシーのない人材だけが居残ってしまう大きな要因だと思います。

 サービスの低下や労働環境をお客さんのせいにするのは筋違い、と思われるかも知れませんが、似たような話として、最近、宅急便サービスでの我儘放題のお客さんによって、配達員の労働環境が乱れているというのが、よくニュースになっています。

 時間指定や当日配送サービスといったものは、企業側が仕組んでいるものではありますが、時間指定をしておきながらその時間にいないというのは、人としてマナー違反ではないでしょうか??

 友達との約束なら守ろうとするくせに、客と従業員の関係になると、約束を破っても平気になってしまうというのは、やはりどこかズレていると思います。

 そういうことがあまりに多すぎるから、時間指定されていても、スケジュールが難しいとなると諦めてしまい、放棄してしまったり、ひどい場合には荷物を捨ててしまったり。

 あってはならないことではありますが、そうなってしまうのは、業界構造や、お客さんのあり方にも、原因があると思うのです。

 日本人は、サービスをする人に対してもマナーを守り、きちんとお金を払うという習慣・意識が低いことが、飲食店の価格が世界的にも見て安い値段設定になっている理由の一つだと思います。

 そのため、適正な人件費を確保できないし、良い人材も育たない。

 こうしたところも、飲食の従業員の労働環境が悪くなっている要因になっていると思います。

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