西洋料理の歴史

1.西洋料理の源泉


●ギリシア文明とヨーロッパの文化

 西洋における、人間らしい「文化的な食」の始まりとなると、古代ギリシア文明にまでさかのぼります。

 古代ギリシアの文化はヨーロッパ文化全ての源と言われていますが、食文化もそのことが言え、B.C3000年のエーゲ文明には、早くも美食やテーブルマナーの概念の始祖が存在し、紀元前4世紀にアルケストラトスによって書かれた叙事詩『ガストロノミア(美食法)』には、当時の食生活や料理法のことが書かれています。

 そうしたギリシアの文化は、紀元前後に栄えたローマ帝国によって大いに発展し、それが紀元五世紀のゲルマン民族大移動によってヨーロッパ全土に広まっていきました。

●ローマ帝国と宴会

 ヨーロッパで栄耀を誇ったローマ帝国(B.C27〜A.D395)では、社交の場において「美食」は非常に大きな位置を締めるようになり、貴族や政治家、富裕層達は、宴会の贅沢さを競い合うようになりました。

 帝国の拡大に伴い、宴会場には各地から集められた山海の珍味が並べられ、参加者はそれを楽しみ尽くすために、吐きながら食べ続けたというのは有名な話です。
 また、宴会の豪華さを競うために、腕の良いコックは非常に重用されたようで、年収が黄金100kgもあったコック長もいたそうです。

 さらに、この時代にはもうテーブルマナーの原形が作られています。
 その頃はまだフォークやスプーンといった道具がなかったので、皇帝であっても手づかみで食べていたため、食事の前には必ず入浴し、体を綺麗にしなければなりませんでした。

 そして、豪華な服を来て宴会に臨み、身分の序列に応じた席次で、各自のベッドに着いて食事をしました。(当時は椅子ではなくベッドに寝そべって食事をするのが正式でした)

 これが、今でいうテーブルマナーにあたる当時の食事の作法でした。

 それが次第に、汚れた手や口を拭うために「マッパー」と呼ばれる布をそれぞれ携帯するようになり、食事前には入浴せずとも手を洗うだけで良くなり、それが現代のナプキンやテーブルクロスの原型になったとされています。

 さらに紀元一世紀頃、ローマのガウィス・アピキウスによって、ヨーロッパで最初の料理学校が創設され、『ラルス・マギリカ』という、468種もの料理とソースが掲載された料理書が書かれました。

 この料理書は、紀元一世紀というかなり古いものでありながら、活版印刷が発明された十五世紀末に出版され、イタリア語、フランス語、ドイツ語、英語など、ヨーロッパ各国の言語に翻訳されて広まり、中世期の西洋の食文化に大きな影響を与えました。

●中世期のフランス料理

 このように、歴史を辿ると西洋料理の中心はギリシアやイタリアといった、政治的にも文化的にも繁栄した国家が中心でした。それが、中世期になるとフランスでも料理人として名を残す人物が現れ、その代表的人物が、十四世紀に宮廷料理人として活躍したタイユヴァン(不明〜1395年、本名・ギヨーム・ティレル)でしょう。

 タイユヴァンは料理の改革者としても知られ、ソースのとろみをパン粉でつけるという技法を発明し、これが古典フランス料理における小麦粉のルーの原形になったと言われています。

 そして何よりタイユヴァンは、『ル・ヴィアンディエ』という、中世期のフランスで最高といわれる料理書の著者としてその名が知られるようになります。
 ただ、近年の研究では、この書はタイユヴァンの著作であるとは断定されておらず、それまでのフランスで培われてきた調理法が積み重ねられて書き加えられたものという見解もあります。

 その内容は煮込み料理が中心の重たいものばかりで、近代フランス料理から見ると洗練された料理とは言い難い内容ですが、中世期のフランス料理の料理法としては権威として長らく重要な存在となりました。

 


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