西洋料理の歴史

2.ルネサンスとイタリア料理


●ルネサンス

 西洋文化において大きな転機となるのが、十五世紀からはじまったルネサンスです。これによって、ヨーロッパのあらゆる文化・芸術が革新し、食文化も大きく変革しました。
 
最も文化が華やいだのがイタリアで、絵画・彫刻ではミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロ、音楽ではジョスカン・デ・プレやモンテヴェルディ、ジョバンニ・ガブリエリなど、芸術史に燦然と輝く大作家達の多くがイタリアで生まれ、活躍しました。ピアノやヴァイオリンといった楽器が発明されたのもこの時期のイタリアです。
 イタリアで開花した
ルネサンスがフランス文化に与えた影響も大きく、フランスの有名なシャンボール宮殿やフォンテンブロー宮殿は、イタリアの建築家に依頼して作られたもので、これらを代表として、イタリアのルネサンス文化がフランスに取り入れられました。

 当時のイタリアは現在のような統一国家ではなく、フィレンツェ共和国・ナポリ王国・ジェノバ共和国・教皇領といった小国が林立している状況でしたが、十一世紀から約200年にわたって行われた十字軍の影響で、イタリアの国々は貿易や商業で大いに栄え、食文化も発展していました。
 ただ、統一国家ではなかったので、「イタリア料理」として明確に確立した概念は存在せず、イタリア半島にある各国の郷土料理の集合体がイタリア料理、というような状態でしたが、イタリアの食文化はヨーロッパの他の地域よりかなり進んでいて、それを示す象徴的なものとして、テーブルナイフ・フォークの発明や、食器としての陶器の利用があげられます。
 
当時、フランスをはじめとするヨーロッパの宴会では、木や錫で作った大きな皿に料理が盛られ、それを各自で用意したナイフで切り取り、手づかみで食べるのが宮廷でも正式でした。一方、イタリアでは、個人用の銀器や陶器のお皿が用意され、それを手に持って料理を取り、ナイフ・フォークで食べるという、それまでに比べて遥かにスマートで清潔感のある食事作法が確立していました。
 
また、食材の扱いや調理法においても、イタリアの諸国では他国よりも進んだ調理法が取られ、この頃のヨーロッパにおける食の先進国はイタリアであり、フランスはまだまだ後進国でした。

●メディチ家とカトリーヌ・ド・メディシス

 ルネサンスにおいて、そして西洋食文化において外すことの出来ない存在が、イタリアのメディチ家です。
 
中世期の名家として世界史上でも名高いメディチ家は、フィレンツェ共和国の大銀行家、ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360年〜1429年)を始祖とします。彼は教皇庁の財務担当を務めて莫大な財産を築きましたが、その息子・コジモ・デ・メディチ(1389年〜1464年)の代に、その確固たる地位が確立します。
 コジモは教皇権力をバックに政治を裏から操り、富と名声を欲しいままにして絶大な権力を握り、フィレンツェ共和国の税金の65%はメディチ家が納めていたと言われたほどの財力を誇りました。
 そしてその一方で、コジモは古代ギリシア哲学に傾倒し、文化や芸術を保護してルネサンスの振興を全面バックアップし、イタリアの多くの芸術家のパトロンとなってルネサンスの発展に尽力したことが、西洋文化史においてメディチ家が重要な意味を持つゆえんです。

 そのメディチ家の一族の中で、ヨーロッパの食文化に大きな変革をもたらしたのが、フランス王・アンリ二世に嫁いで王妃となった、カトリーヌ・ド・メディシス(1519年〜1589年)です。
 
美食家であったカトリーヌは、フランスに嫁ぐ際に召抱えのイタリアのコックを引き連れ、それまでフランスの食卓にはなかった食器やナイフ・フォーク、ナプキンなどを持ち込みました。
 フランスの貴族達は、カトリーヌの連れてきたイタリア人コックの作る新しい料理や、美しい銀器・陶器の食器類、ナイフ・フォークを用いた洗練された食事作法に目を瞠り、それを真似するようになりました。
 こうしてフランスの貴族達の間にイタリアの最先端の食文化が流入し、フランス料理が大きく進化することになったのです。

●イタリアの食文化がフランス料理に与えた影響

 また、この他にフランスの食文化に大きな影響を与えたイタリアの人物として、プラティーナとノストラダムスの名もあげられます。
 
プラティーナ(本名バルトロミオ・デ・サッキ)は、料理人ではなく文筆家でしたが、1474年に『適度の楽しみと健康について』という本を出版し、そこにはサラダを中心とした多くのイタリアの野菜料理が紹介され、フランスでも大人気となりました。
 それまでのフランス料理は、煮込み料理がほとんどだったので、こうしたフレッシュな野菜を扱った調理法は画期的な存在で、フランスにおける野菜料理の形成に大きな影響を与えました。
 
ノストラダムスは予言で有名なので、怪しい占い師か何かと思われがちですが、本職は医者であり、健康や栄養に関する研究の一環として砂糖を使ったデザートに関する本をフランス語に訳して出版したことが、フランス料理におけるデザートの新しい時代の扉を開くことに繋がりました。
 それまでのフランス料理のデザートは、果物や蜂蜜を使った簡単なものばかりでしたが、イタリアでは果物を砂糖で煮詰めたコンポートや、いわゆる「ジャム」など、甘いお菓子が盛んに作られていたので、それをノストラダムスがフランスに紹介したのです。
 また、イタリアで生まれたアイスクリームも、この頃フランスに持ち込まれました。

 この時代より、フランスの食文化が急速に進化し、ヨーロッパの食文化の中心となる道を歩みはじめます。


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