西洋料理の歴史

3.フランスの宮廷料理


●オート・キュイジーヌ

 ここまでの背景からもわかるように、基本的に西洋料理は貴族や富裕層のための料理として発展していきました。
 
これは食に限ったことではなく、クラシック音楽にしても、ほとんどが基本的に教会や宮廷音楽として発展したものであり、ヘンデルやハイドン、モーツァルトといった大作曲家達はみな宮廷音楽家でした。そしていわゆる「コック」というのも、基本的には宮廷や貴族のおかかえのコックのことを指し、民間で料理を生業とする者とは根本的に別の存在でした。

 もちろん、音楽に民謡があるように、食事には家庭の郷土料理があり、庶民文化は庶民文化として発展し、いかに宮廷料理といえども、原点を辿れば、それぞれの地域・風土の郷土料理をベースに発展したものには違いありません。
 しかし、封建時代の社会においては、富裕層と一般庶民との生活は、現在では考えられないほど全く別世界と言えるほどの開きがあり、当時は社会・経済・流通・科学も未熟だったので、庶民レベルで行われていることと富裕層で行われていることの格差は相当なものでした。
 
例えば、かつて「コショウ一粒は黄金一粒」という言葉があったくらい、スパイス一つにしても、それを自由に使用できるのは一部の限られた層での話で、交通も流通も未成熟な時代においては、庶民の郷土料理というのは、その住んでいる所から、自分の足で入手出来る食材だけで作った、ささやかな田舎料理に過ぎません。
 
それに対して、美食のためにお金も手間も厭わず工夫し発展させた宮廷料理というのは、王侯貴族の娯楽として特別に発達した文化であり、庶民が生きるために発展した食文化とは別次元のもので、フランスの宮廷料理はまさにその最たるものと言えます。

 そうした、高度に発達した宮廷の高級フランス料理のことを「オート・キュイジーヌ」と呼び、フランスに存在する郷土料理を含んだ全ての料理を意味する、単純な「フランス料理」という言葉とは区別されます。

●ラ・ヴァレンヌの『フランス料理人』

 そして十七世紀中頃に、宮廷フランス料理の古典の礎を切り拓く、一冊の優れた料理書が現れます。
 その書は『フランス料理人』といい、著者はフランソワ・ピエール・ラ・ヴァレンヌ(生没年未詳)という料理人で、この本には、肉のローストの際に焼き汁を利用するデグラッセの技術や、ソースをリエする(とろみをつける)際に、パン粉ではなく小麦粉を使うようにしたり、ペイストリー(パイやタルト生地など)に牛脂や豚脂ではなくバターを使う、といったことが書かれてあり、今日「古典」と呼ばれるフランス料理の基礎がこの時期に作られていたことがわかり、フランス料理が着実に進化を遂げていることがわかると同時に、その技術が世に広まりました。

●カトリーヌ・ドメディシス以降のフランス料理

 1533年にメディチ家のカトリーヌ・ド・メディシスがフランス王妃になってから、イタリアのルネサンス文化がフランスに流入してフランス食文化が大きく進化したことは先に述べましたが、この頃から料理名に人名をつける習慣が生まれ、現代にも残るソースが編み出されはじめます。
 
カトリーヌ・ド・メディシスに捧げられたスープ「ポタージュ・ア・ラ・メディシス」をはじめ、フランス国王アンリ四世の出身地にちなんでつけられた「ソース・ベアルネーズ」や、ルイ十五世の愛妾・ポンパドール夫人のために作られた数々の「ポンパドール風」、そして「ソース・ベシャメル」(ホワイトソース)や「ソース・マヨネーズ」もこの頃に生まれた料理で、これらは全て人名にあやかって付けられた名前です。
 コックはパトロンである国王や貴族達を喜ばせるために、創意工夫をして料理やソースを編み出し、その料理を捧げる相手の名前を料理名にしたのです。

 また、カトリーヌ・メディシスによってフランスに陶器類の文化がもたらされましたが、1602年にオランダ東インド会社が設立され、中国や日本の磁器がヨーロッパに輸入されるようになると、特に白磁が圧倒的な人気を誇り、ヨーロッパの王侯貴族達は競って美しい白磁器を求めるようになりました。
 
そして十八世紀に入ると、ザクセン公国初代国王のフリードリヒ・アウグスト一世は、錬金術師のJ.F.ベッドガーに命じて白磁を研究させて造成に成功し、1710年に「王立ザクセン磁器工場」を設立します。これが現在のマイセン窯となり、ここからヨーロッパに白磁器の文化が広まり、フランス料理においても白い皿が多用されるようになっていきました。
 なお、初期のマイセンは日本の有田焼の影響を強く受け、特に柿右衛門が参考にされたので、現在でもマイセンには柿右衛門に類似した模様の器があります。

 

 


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