西洋料理の歴史

7.近代フランス料理を確立したエスコフィエ


●オーギュスト・エスコフィエとセザール・リッツ

 フランス料理に携わる人間に、「フランス料理史上、最大の巨人は誰か?」と10人に聞けば、10人が選ぶであろう偉大なるシェフが、十九世紀中頃に登場します。それが、オーギュスト・エスコフィエ(1846年〜1935年)。近代フランス料理の完成者です。

 エスコフィエは一般の家庭に生まれ、十三歳の時にニースのレストランで修業をはじめましたが、パリのレストランで料理長となった頃から、その腕前が評判になりました。

 そして、その名声が世界的になったのは、パリの「ホテル・リッツ」や「リッツ・ロンドン」の創業者であり、「ホテル王」と呼ばれたセザール・リッツと共同で事業を展開してからです。

 セザール・リッツが、自身の経営するモンテカルロのグランドホテルのシェフとして、パリで評判で得ていたエスコフィエを招いたことから二人のタッグがはじまります。

 1890年、リッツは経営不振に陥っていたロンドンのサヴォイ・ホテルの経営を請け負うと、エスコフィエと共にサヴォイ・ホテルの再建を図り、大成功を収めます。
 特にエスコフィエの料理は評判を呼び、そこで生み出された数々の料理は現在のフランス料理店でも提供され、オペラ歌手のネリー・メルバに捧げられたデザート「ペーシュ・メルバ」(ピーチ・メルバ)や、大作曲家ロッシーニが好んで食べた「トゥルヌード・ロッシーニ」(牛フィレ肉のロッシーニ風)
などは、料理に詳しくなくても耳にしたことがある人は多いのではないかと思います。

●フランス料理の改革者

 エスコフィエの最大の業績は、それまでの複雑なフランス料理を、料理技法や食材で分類して体系化・単純化し、基本技術とスタイルを確立したことにあります。

 エスコフィエ自身はカレームやデュボワといった先人の技法をベースとしながらも、そのあまりに複雑な調理法を見直しました。「料理人の使命は、いかに味を損なわずに手順を簡略化するか」と言い、それまでの外見や装飾に偏重した盛り付けや提供方法を見直し、調理法からも無駄をなくし、味本位で顧客満足を重視した料理に改革しました。

 カレーム時代の料理においては、食べられない装飾品まで飾り立てての演出がなされていたので、エスコフィエはそうした過剰な装飾を排し、純粋に料理だけで盛り付けるように変えました。
 もっとも、お皿の上から装飾品を排除する運動は、エスコフィエよりも少し後進の料理人、ブロスピエール・モンタニェらがはじめたことでしたが、エスコフィエはこれに同調して強力に推進したのでした。

 調理法の変革では、例えば、ベシャメル・ソース(ホワイトソース)は、カレーム時代もエスコフィエ時代も基本のソースとされていますが、作り方は全く違います。

 エスコフィエのベシャメル・ソースは、バターと小麦粉を合わせて炒め、それを牛乳で伸ばし、塩とスパイスで味と風味を加えるだけというシンプルなソースで、現在でも用いられている調理法です。

 しかし、カレームのベシャメルソースは、まずバターと小麦粉を合わせて炒め、それにフォンを合わせてソース・ヴルーテを作り、それを煮詰めたら濃い生クリームを少しずつ加えて伸ばし、火にかけながら良く混ぜ合わて煮詰め、ほどよく詰まったら火から外してバターを加え、ソース・ドゥーヴルを加えてナツメグを加えて完成という、非常に手間のかかったものでした。

 エスコフィエは、ソースに手をかけ過ぎることで用途が限定され、料理ごとに何種類ものソースを別にスタンバイしなくてはならなくなることは非効率だと考え、複雑な調理工程を簡略化し、ベースとなるソースはシンプルにして種類を減らし、料理に応じて味を加えて展開していく手法を取ったのです。

 そうしてエスコフィエがまとめあげた調理法は、現在もなおフランス料理の基本とされています。

 また、料理の提供方法においては、一皿ずつ料理を提供するロシア式サービスを採用し、出来たての料理を出来立ての状態で食べられるようにしました。
 
そして、それまでのように、貴族が見栄を張るために必要以上に豪華にしていたような長大な料理構成を改め、食べられる量をシンプルに組み立てて提供する、新しい「コース料理」のスタイルを作り出しました。

 エスコフィエがはじめたコースは、前菜、スープ、魚料理、肉料理、ロースト、サラダ、デザートというような、ほぼ現在に近いコースですが、それ以前は、スープ数種、アントレ十数種、魚料理・肉料理が数種、ロースト数種、アントルメ、サラダ、デザート、という、信じられないような長大な提供方法だったので、当時においてエスコフィエがいかに革新的な存在であったかがわかります。

 このように、エスコフィエは味や顧客満足を重視することで、それまでのフランス料理の慣習にあった無駄な部分をそぎ落とし、現代に近いフランス料理のスタイルの基礎を作り上げた人物とされています。

 また、エスコフィエがこのような大改革を行えたのは、それまで社交の道具として発達してきたフランス料理を、市民化・大衆化という社会の変化の流れに適合させる必要性があったから、という時代背景が大きくあります。

 貴族の道楽ではなく、幅広い顧客を相手に商業ベースに料理を作っていくこと。こうした背景があったから、見せかけではない、実質的な美味しさの追求と合理化が求められたのです。

 さらにエスコフィエは、フランス料理における厨房組織の確立と、社会的地位の向上にも取り組みました。

 現代でも使われる、「シェフ・ド・キュイジーヌ」(総料理長)、「スー・シェフ」(副料理長)、「シェフ・ド・パルティ」(部門料理長)、「ソーシエ」(ソース係)、「ロティスール」(焼き物係)、「パティシエ」(菓子係)といった、大きな厨房組織の役職制度を最初に構築したのはエスコフィエです。総料理長の帽子を高くしたのもエスコフィエが最初と言われています。

 また、料理人は、動物を殺し、解体して作業をすることから、残酷で血なまぐさい職業という印象を持たれていることを快く思わなかったエスコフィエは、料理人に規律と品格を求め、自ら作り上げた組織体制の中で、高潔な職業人であることを目指し、社会貢献活動も積極的に行いました。

●『ル・ギード・キュリネール(料理の手引き)』

 エスコフィエのもう一つの偉大な功績は、1902年に、自身の集大成でもある料理書、『ル・ギード・キュリネール(料理の手引き)』を発行したことです。

 これこそが、エスコフィエの技術、そしてフランス料理を西洋料理界のスタンダードたらしめた、フランス料理史上最も偉大な料理書であったと言っても過言ではありません。

 これには約5,000ものルセット(レシピ)が紹介され、それまでのフランス料理のありとあらゆる技法・料理を網羅し、さらに自身の新しい料理を加え、それらがソースの部、ガルニチュールの部、ポタージュの部、鶏料理の部、というように、調理法や素材別に体系化され、分量まで詳しく記載されました。

 この書は、当時はもちろん今日にいたるまで、フランス料理のコックのバイブル的存在となり、その功績は計り知れないものがあります。
 
エスコフィエが集約した調理技術とルセットは、今日でもエスコフィエの料理の回帰運動が起こるほど、その存在感と影響力は絶大で、エスコフィエの名は、単なる一シェフの域を越え、ある種神格化されているほどでもあります。

 ただ、『料理の手引き』に記載されている料理も、あくまで近代フランス料理の「礎」であり、今では古典とされ、そのままでは現代にはそぐわないものも多くあります。

 例えば、古典のフランス料理はルーを多用し、例えばカレームが挙げた4大基本ソースのうち3つのソースはルーを使用したものであり、エスコフィエが挙げた基本ソースも、ベシャメル、エスパニョール、ヴルーテ、オランデーズ、トマトだったことから、エスコフィエのフランス料理は、現代の感覚からすると「重たい」ソースを用いた料理が中心だったことがわかります。

 これには、科学の発達していなかった当時の時代背景による理由も大きく、食材の輸送や保存技術の乏しかった中世においては、素材の風味を活かすというよりも、濃厚なソースの味で美味しく食べる、ということが重視されていたことが理由として大きいでしょう。

 また、いくら市民化されたとはいえ、まだ宴会料理としての需要も大きかった当時、大量調理や長時間置くことを前提にした料理の頻度が高かったからでもあり、このことは、『ル・ギード・キュリネール』で書かれているレシピの分量が、何十人前という単位のものが多いことからもわかります。

 ただ、実際にエスコフィエ自身、これを著した頃にはすでに、この内容よりも進んだ料理を作っていたようです。エスコフィエはその自伝において、『ル・ギード・キュリネール』について、「今日は完璧であったとしても、明日のはもはやそうではない。進歩がとどまることはない」と述べ、実際にも数年後に再版した際には内容を改訂し、初版で書いていたことを撤回して、進化した調理法に変更するといったこともしていました。

 つまり、エスコフィエの本質は「革新」であり、これまでの伝統料理を踏まえつつ、それを今の時代に変え、新しい料理を作り出していたのでした。

 例えば、エスコフィエの時代の後半には、かつてフランス料理で多用されていたドミグラスソース※1は使用頻度が少なくなり、代わってフォン・ド・ヴォー※2を用いられるようになっていました。何故なら、ドミグラスソースは、良く言えば完成度が高過ぎる、悪く言えば何もかも入り過ぎて重たいため、これを使うとどんな料理も同じ味と風味になってしまうからです。

 そのため、エスコフィエのルセットでもフォン・ド・ヴォーはよく用いられ、晩年にはドミグラスソースの使用頻度は減っていたと言われています。

 今では、古典=エスコフィエとされますが、エスコフィエが存命した時は、フランス料理の進化とともにエスコフィエ自身も進化を続けていました。 

※1…ソース・エスパニョールを濃縮させたものがソース・ドミグラス。
※2…焼いた仔牛の骨や筋肉、野菜を煮詰めた出し汁。味が画一的になりがちという点においてはドミグラスと同じ弱点があるが、エスパニョールのように小麦粉は使用せず、味も重たくないので、他のソースに展開しやすい。


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