西洋料理の歴史

10.アメリカのチェーンレストラン


●チェーン・ビジネス時代の到来とハワード・ジョンソン

 アメリカでは、1910年代から自動車の量産がはじまり、移動手段は鉄道に代わって自家用車の時代になり、1920年代にはモータリゼーションが到来しました。

 特に、アメリカ大陸を東から西まで横断する国道66号線(ルート66)が1926年に開通すると、その沿線を中心に商業活動が発展するようになります。

 ここで登場するのが、「ハワード・ジョンソン」で、フレッド・ハーベイの次世代を代表する外食企業です。

 薬局を経営していたハワード・D・ジョンソンは、モータリゼーション化が進む社会を見て、自動車の幹線沿いにレストランを展開すると売れるのではないかと考え、薬局からレストラン業に転じ、レストラン「ハワード・ジョンソン」の展開をはじめました。

 ジョンソンは、店舗展開にあたって、「均質な品質」「大衆価格」をモットーに、料理やサービスは決して最高のものでなくとも、“そこそこの品質”を”安定した価格”で提供することを約束しました。
 そのために、料理やサービスはもちろん、店内外の清掃状況に至るまで、一定の基準が守られていることをスーパーバイザーが巡回して厳重にチェックするという仕組みを構築し、店舗をチェーン展開しました。

 今でこそ「チェーン店」というと、ありきたりの物を提供する店のような印象がありますが、雑多な人種・文化が混在し、発展途上にあった当時のアメリカでは、食べ馴れた物を適正価格で安心して食べられる、ということは非常に重要なことでした。

 特に、1929年に、ニューヨークのウォール街における株価の大暴落を端緒にはじまった世界大恐慌の影響により、アメリカは長期にわたる大不況に見舞われたので、大衆路線を選んだハワード・ジョンソンの狙いは見事に成功しました。

 見知らぬ地でも、手ごろな価格で安心して食事が出来るハワードジョンソンは、車を利用する人々にとって「なくてはならない存在」になり、遠くからでもわかりやすいオレンジ色のとんがり帽子の屋根は安心の証となり、幅広い層から高い支持を受け、700店を超える大チェーンにまで発展し、人々はハワード・D・ジョンソンのことを「レストラン王」と呼んで賞賛しました。

 そして、ハワードジョンソン以外にも、郊外にレストランをチェーン展開する企業が増え、アメリカは郊外型のチェーンレストラン全盛の時代を迎えます。

 そして、社会がモータリゼーションに完全移行したことにより、それまで主流だった鉄道沿線のレストランは衰退し、かつて隆盛を極めたフレッド・ハーベイ・カンパニーも、優秀な二代目社長フォード・ハーベイが病気で早世した不幸も重なって衰退の道を辿り、姿を消しました。

●コーヒーショップの流行

 郊外型チェーンレストランの発展に伴い、アメリカでは「コーヒーショップ」と呼ばれる新しいスタイルのレストランが登場します。その代表的存在が「ビッグボーイ」です。

 ビッグボーイは、1936年にロバート・C・ワイアンによって開業された小さなハンバーガー屋で、その味とビッグなサイズが評判になっていました。

 人気に伴い、ワイアンは店の規模を拡張し、主に朝の利用者をターゲットにパンケーキやワッフルといった軽食メニューを加えて、ますます人気を高めましたが、この店をマリオット社が買収してチェーン展開し、カリフォルニア州を中心に約600店まで店舗を増やしました。(後に、日本でも、ダイエーがフランチャイジーとなって1978年に日本一号店を開業します)

 こうした、朝食利用者をメインターゲットにしたカジュアルなレストラン業態は、「コーヒーショップ」と呼ばれて1940年代頃からアメリカで流行し、ハワードジョンソンもコーヒーショップに分類され、この他にも「サンボス」や「デニーズ」といった店が人気を得て大チェーンを展開し、これらのコーヒーショップ業態が、後に日本のファミリーレストランのモデルとなりました。

 


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