西洋料理の歴史

12.アメリカの「フード・インダストリー」


●セントラル・キッチンと冷凍技術

 ヨーロッパのレストラン文化は、宮廷料理を起源に、非日常な時間と空間を楽しむものという性格を色濃く持ち、日常食は家庭で食べるもの、という考え方が強いことに対して、アメリカでは、1920年に施行された禁酒法と、1929年にウオール街での株価大暴落からはじまった大恐慌の影響により、高級レストランは衰退し、大衆的で日常的な外食需要が高まりました。

 また、1920年代のモータリゼーションによって、国道や高速道路が整備されると、人々は中西部方面に移動して住宅街を形成し、幹線道路沿いにコーヒーショップやドライブインのチェーンが生まれました。

 そうした背景から、アメリカでは大衆的な外食文化が発展し、高級感や非日常感よりも、合理性や経済性が重視された事業構造が発達しました。

 その合理的な経営方法を象徴するのが、セントラル・キッチン(集中調理所)と冷凍技術です。

 セントラル・キッチンとは、食材を切ったり煮たりという料理の一次工程を一か所でまとめて行い、それを配送して店舗で最終調理を行う、という仕組みにすることで作業効率を高めるシステムですが、その原点は「カミサリー」です。

 カミサリーとは、もともと開拓時代のアメリカの炭坑や開拓地で食料を配給していた場所のことで、軍隊用語に転用されて軍の貯蔵庫を意味していましたが、それが料理の品質の安定化と生産性向上を図るためにレストランの事業展開にも応用され、セントラルキッチンに発展しました。

 食品を冷凍することは、1900年代のアメリカではじめて行われたと言われています。ジャム用の苺を日持ちさせるために冷凍したことがはじまりとされ、1920年代にはアメリカの家庭にも冷凍庫付きの冷蔵庫が普及したことから、食品を保存するために冷凍することが広く行われるようになりました。

 レストランでは、セントラルキッチンでまとめて調理し、冷凍保存して配送するという手法が採られるようになり、1930年代以降、アメリカでチェーンレストランビジネスが展開していった背景には、このセントラルキッチンと冷凍食品の技術は欠かせない存在でした。

●ファースト・フードの発達

 アメリカ的な外食文化の象徴的な存在は、チェーンレストランと、もう一つはファーストフードです。

 ファーストフードの文化は、アメリカにもともと存在していたわけではありません。
 そこに、ファーストフードを代表する料理である「ハンバーガー」を大きく広め、ファーストフード文化を確立させたのは、カンザス州のレストランのコックだった、ウォルター・アンダーソンと言われています。

 レストランで新しい料理を考えていたアンダーソンは、ミートボールを調理する時間を短縮するために、平たく潰して焼く方法を考え、それにオニオンを乗せてバンズに挟んで提供しました。

 このハンバーガーの評判が良かったので、アンダーソンは1918年、それを専門にして安価で売るハンバーガースタンドをカンザス州のウィチタに開き、これが、後のチェーンスタイルのハンバーガーショップの元祖となりました。

 もともと、ハンバーガーという料理自体は、サンドイッチとハンバーグステーキが合体した料理で、初めて作ったのが誰なのかは、アメリカの議会でも議論になるほどで、はっきりわかっていません。

 テキサス州は、同州で食堂を営業していたフレッチャー・デイヴィスという人物が1880年代に考案したものであり、テキサスが「ハンバーガー発祥の地」と主張し、一方、ウィスコンシン州は、同州のチャーリー・ナグリーンという人物が、やはり1880年代に考案したものとして、ウィスコンシン州こそ「ハンバーガーの生まれ故郷」、と主張するなど、アメリカ本国ですら統一見解はないようです。

 ともかく、余った肉を細かく刻んでパンにはさんで食べると言う手軽さから、十九世紀後半のアメリカ工業化時代には労働者をはじめとする一般大衆に人気となり、多くの屋台などがあったそうです。

 しかし、ミンチにして焼いてしまえば何が入っているかがわかりにくいので、内臓肉から肉以外の混ぜ物、果ては犬やネズミの肉など、何が入っているかわからない劣悪なハンバーガーも存在したため、ハンバーガーは当初、低品質な食べ物のイメージを持たれていました。

 ウォルター・アンダーソンのハンバーガーショップも、店構えこそは、みすぼらしいほったて小屋のような店から始まりましたが、肉の鮮度にこだわるなど品質に非常にこだわっていたので、アンダーソンのハンバーガーは高い人気を得て評判になりました。

 そして、より幅広い顧客に買ってもらえるよう、店舗の見栄えを良くし、清潔感を高め、扱っている食材は新鮮なものを使用していることをアピールして、ハンバーグの劣悪なイメージを意図的に払拭するよう取り組むなど、試行錯誤をしながら1921年に創業したのが「ホワイト・キャッスル」です。

 ホワイトキャッスルは、保険と不動産業の経営者だったビリー・イングラムと組んでチェーン展開をはじめてから勢いを増し、安価で持ち帰りもできるハンバーガーは工場勤務者などにも支持されて次々と店を増やし、1930年頃にはシカゴやニューヨークといった大都市にまで店舗展開するほどになり、ホワイトキャッスルの真似をするハンバーガースタンドも現れ、全米にハンバーガーのブームが巻き起こりました。(なお、ホワイトキャッスルは現在もアメリカで400店舗ほど展開しています)

 こうしたホワイトキャッスルの成功の背景には、高い品質を維持しながらも多店舗展開にも適した、シンプルなハンバーガーの調理工程にあります。

 アンダーソンは、チェーン展開することを意識し、熟練のコックがいなくてもすぐに店が開けるよう、ハンバーガーの調理工程を、ただ「ひき肉を鉄板でグリルしてオニオンを乗せてバンズに挟むだけ」とシンプルにし、パンと牛肉と調味料を配送するだけで、特別なセントラルキッチンなども必要のない事業構造にしたことが、短期間での成長を可能にしました。

 こうして、カンザスというアメリカ大陸の真ん中の片田舎で生まれたハンバーガーショップは、大恐慌によって不況の真っただ中にあったアメリカの大衆の需要にもマッチし、アメリカ全土にファーストフードの文化を定着させることになりました。

●チェーンビジネス全盛

 この、アメリカ独自のファーストフード文化は、1950年代頃から隆盛を極めます。特に1955年には、「マクドナルド」と「ケンタッキーフライドチキン」という、今日でも世界的なファーストフードを代表する二大企業が創業しました。

 マクドナルドは、もともと1948年にカリフォルニアでマクドナルド兄弟が開いた、美味しいハンバーガーが人気のドライブインでしたが、厨房機器の社長だったレイ・A・クロックが、営業先だったマクドナルド兄弟の店に興味を持ち、1955年にマクドナルド兄弟から営業権を買い取って展開したもので、1970年代には2000店舗を超える世界的な大企業にまで発展しました。

 ケンタッキーフライドチキンは、創業者のカーネル・サンダースが、ケンタッキーで「サンダース・カフェ」という店を開き、看板商品としてフライドチキンを売り、フランチャイズ展開していたところを、ジョン・ブラウン二世という実業家が、1964年に創業者であるカーネル・サンダースから買収して展開したもので、4000店舗を超えるチェーンにまで成長しました。

 一方、レストランでは、「ビッグボーイ」、「ハワードジョンソン」、「サンボス」、「I-HOP」、「デニーズ」といった郊外型コーヒーショップのチェーン店が流行し、いずれも数百店舗の規模で展開していました。

 当時のコーヒーショップというのは、単なるコーヒー屋ではなく、カジュアルなレストラン業態のことを指し、通常レストランというと、ランチとディナー営業しかしないのが普通でしたが、モータリゼーションを契機に生まれた郊外型コーヒーショップは、自動車で長時間移動する人々のために24時間営業し、朝食が充実しているのが特徴でした。

 このように、戦後のアメリカでは、合理的な経営手法を用いたチェーンのレストランやファーストフード店が全盛を誇り、「美食」というより「ビジネス」としての側面を強く持ちながら食文化が発展し、巨大な「フード・インダストリー」(日本での「外食産業」)の市場を築き上げていきました。

 この、1950年代〜60年代にかけてアメリカで隆盛したチェーンビジネスが、日本にも1970年代にもたらされ、日本でも1960年代後半から始まるモータリゼーションに伴い、チェーンレストランやファーストフードのブームを生み出すことになります。

 


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